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眞田、真田、佐奈田、、サナダという地名と名字の由来 [中世の豪族 房総 眞田氏(佐奈田)]

眞田真田佐奈田、、サナダという地名と名字由来について、、
まぁシルバーウィークで時間あるので、少々知ってることを整理して書き足しときます(w

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(写真は神奈川県 平塚市 真田)


●サナダという地名とはそもそも何ぞや?

この地名の呼称の由来については諸説色々ありますが、、
【1】奉納用の田んぼのある地域
ようは神さんにお供えすることを前提で一般には手をつけない、もしくは神さんにお供えすることができるぐらい一級品的な米を採った地域(田んぼ?)のことを昔からそう呼んでいたらしいです、
古くは日本書紀にも「狭名田(さなだ)」と出てきますし、かの天照大御神が始められたといわれる五穀の田畑も「天狭田(アマノサナダ)」と呼ばれているそうです
多少、話は脱線しますが、
日本書紀といえば、猿田彦命(さるたひこ)も一連のサナダに関わっているとも言われます

猿田彦命は「鉄技術」に関する神さんでもありまして、古代の相模国には、高麗など大陸から製鉄技術を持ち込んだ移民が多かったとも聞いてますし、何か関連があるのかもしれません

【2】良い米が採れる地域
苗代田」(サナダ)という書き方も、その昔の文献にあったようです、
そもそも「苗代」(なわしろ、なえしろ)とは、種籾(イネの種子、籾殻つきの米粒)を密に播いて発芽させ、田植えができる大きさまで育てるのに用いる狭い田のことでもあります
つまり大元の田んぼ、重要度の高い田んぼということでしょうかね
また、「サナ」は「サネ(種)」を指しますし、大元の「サナダ」の読みはこの苗代田から来たのかもしれないですね、いずれにせよ、良い実がなる(?)田んぼ、というプラスイメージでしょうか、ウチの相模&房総の眞田の古い表記にある「実田」という文字も、ほぼこれに近い意味合いぽいですねぇ~、素直になるほど!と思わせるものがあります(w

【3】狭い田んぼがある地域
もうひとつのパターンは、「狭ノ田」を指し、山合いの田んぼのような狭隘(狭い)田んぼを指してるというのもあります、これに非常に近い表記で「狭長田」というモノもあります

【4】(特殊例)サナダという人々が住みついた地域
余所の地域からそれなりの武装性、集団性など様々な優位性を持って住み着いた人々がいて、その人達の一族の総称が「サナダ」だった場合、そこはサナダが住み着いた村、サナダに乗っ取られた(?)村=サナダ村となります、このパターンは、「サナダ」に限らず、時代が新しくなる程多くなるようです

ただし、その住み着いた場所に元々村としてのアイデンティティーが既にしっかりと存在している場合、幾ら有力な一族が住み着いたとしても一般的にこのようなことにはならないようですね、考えるに、人もまばらな荒れ地(新開地)のようなところに新たに住み着いた場合に限られるのかもしれません

まぁ上記【4】はひとまず置いといて、、
サナダ」という地名の呼称の由来に関して簡単にまとめると、ようは山間のような隠れた狭いところで大切に作られてた、おいしいお米がとれる地域、付近一帯のお米の大元の苗を育成する地域というところでしょうか?

稲作文化を前提に考えた場合、その名称に他との比較、特殊性が見えるので、やはり稲刈りの後などに一番に神社仏閣に奉納するお米を作ってた田んぼなどじゃなかったのかなぁ~などと考えられます、何にせよ、おいしいお米は食べてて幸せになれますよね(´∀`)

・・・で、名字について
これも色々な発生起源が言われるのですが、今回は豪族や武家など、その土地の領主をメインに話を進めます

ウチの系統の話でいうと、、そもそも大元に三浦氏族という大豪族がおり、そのエリアの中で様々な呼称の地名があり、三浦さんから分家して領地を配分された地名をその領主(子供や縁戚)が語ったということです、ウチの名字の場合に当てはめていうと、三浦氏族の領地内である相模の眞田(平塚市真田)地域の小領主をやってた一派ということで、以降、ウチの派は三浦氏族の別領地内に移動しましたが、引き続き眞田という名称で別地域を長い間治めてめております

何にしてもまずは先に地名を認知・呼称する住民がおり、そこに大元の領主から分家して入ってきた子供や縁戚の小領主が誕生してこの地域の新しい代表となり、領主自体の名称になってるというとこでしょうかね~
もしくは、元々からその地域の領主であって、それが後に近隣の大きな豪族に呑みこまれたという事例もあるかと思います
その上でも、その地域の当主(代表)という呼称の仕方は変わらなかったのかな?とか
ぶっちゃけウチの場合は、どうもこっちのようですw

まぁいずれにせよ田舎でも「屋号」というのがありますが、アレと似たようなニュアンスですね~
いかんせん元々豪族(レトロモノノフ系)なので、近代の洗練されたブシ発祥などと違い、ウチは泥臭いです

以下参考に、、歴史の中の各「眞田村」、
上から古い順、付加情報も一応上げときます
その地に発生したといわれる各サナダ氏の流れを表記分類してみました
※相模眞田が詳しいですが、それはウチの先祖だし、それなりに情報を多く知ってるんでカンニンしてください(w

 

ちなみにウチの場合、実は三浦党から分岐したのではなく、
 元々その地にいた土豪が三浦党に取り込まれたんじゃないかと予感はしてまして、、

 つまり元々相模の国の佐奈田郷の領主で、
 後に三浦党(三浦氏族)と婚姻関係などで深い関係を持ったんじゃないかな、と・・・
 この地には「平塚市真田北金目遺跡」や「塚越古墳」という弥生時代からの遺跡がありまして、

 かねてからこれらの遺跡とウチが何か関連がありそうで・・・ (;´∀`)



●歴史に見る全国のサナダ村
(以下、発生が古いと思われる順)


1.相模國大住郡眞田村(岡崎郷佐奈田村)
【現在の地名】:
 神奈川県平塚市真田
【史実を元にした地名発生時期】:
 古代 奈良時代から平安時代前期
【地名表記】:
 佐奈田佐那田狭名田佐名田実田眞田真田など
【この地で発生した氏族の氏流】:
 桓武平氏
【発生氏族のその後】:
平安時代の豪族である三浦氏族の一派、三浦氏族の勢力地内である相模の大住郡佐奈田(真田)を発祥とし、後に浦賀水道を挟んだ房総半島の朝夷郡(安房郡)三原郷に土着
三浦氏族揃って源頼朝公側につき、鎌倉幕府の立上げに貢献、その渦中、眞田佐奈田)義忠は、石橋山の戦いにて討ち死に
大住郡の眞田一派(相模 眞田)はこの後、2~3世代後に家名変更(岡崎、水原、杉原、土屋、陶山など)のため「眞田」という呼称では歴史から消滅
(伊豆から駿河に移った流れもあるというが足跡不明)

また、同じく相模の大住郡から房総(安房)に移り土着した眞田一派(房総 眞田)は、平安時代後期以降、三原川流域を拠点に豪族として300年以上に渡り地域の領主をしている、近世・戦国時代も土着武士として、主に里見氏・正木氏・千葉氏などの家臣団に、多数が参加していることが郷土史などからも確認されており、800年以上の長い歴史の中で、全国に広がったと言われている
※ウチの、一族全体を俯瞰した話はこちら↓
中世から近世、小豪族のウチ「房総 佐奈田/眞田」先祖達の生き残りの歴史
http://sanadado.blog.so-net.ne.jp/2012-07-19
[中世の豪族 房総 眞田氏(佐奈田)]カテゴリ一覧
http://sanadado.blog.so-net.ne.jp/archive/c2300213675-1

2.越後國西蒲原郡眞田
【現在の地名】:
 新潟県新潟市西蒲区真田
【史実を元にした地名発生時期】:
 古代、奈良時代から平安時代中期
【地名表記】:
 眞田真田など
【この地で発生した氏族の氏流】:
 不明
【発生氏族のその後】:
西蒲原郡より出羽國に中世に移転、出羽の羽黒山にて土着

3.信濃國安雲郡眞田
【現在の地名】:
 長野県長野市を含む主に長野県北西部界隈(場所特定出来ず)
【史実を元にした地名発生時期】:
 中世、鎌倉時代から南北朝時代
【地名表記】:
 佐那田佐名田眞田真田など
【この地で発生した氏族の氏流】:
 清和源氏
【発生氏族のその後】:
不明 同じ信濃の小県郡に流れた可能性あり

4.信濃國小県郡眞田
【現在の地名】:
 長野県上田市真田
【史実を元にした地名発生時期】:
 南北朝時代から戦国時代
【地名表記】:
 佐奈田眞田真田など
【この地で発生した氏族の氏流】:
 滋野氏(?)
【発生氏族のその後】:
その発生には不明な点が多いが、戦国時代末期の親子三代の武功が有名
また、その武功をベースに作られた江戸時代の物語「真田三代」、大正時代に入ってから作られた物語「真田十勇士」などで、一躍全国的に有名になる
本家は江戸時代に松代藩10万石の大名、明治以降から昭和中期までは華族となる
その他、分家の真田信繁(幸村)氏の子孫として仙台藩に仕えた片倉真田氏がいる、元々彼らは片倉氏(伊達家家臣団)であったが、当時信繁氏の娘を妻に貰ったことから、数世代後に真田に家名を変更したと言われている、または信繁氏の二男を片倉家が匿い、後にそれに基づき真田姓に改名したという話もある、いずれにせよ非常に歴史的なロマンを感じさせる一派である
その他、真田信繁(幸村)氏は歴史上の人物としても人気が高く、そのせいか現在も真田信繁氏の子孫だと語る人物は意外に多い

5.石見國鹿足郡眞田
【現在の地名】:
 島根県鹿足郡六日市町真田
【史実を元にした地名発生時期】:
 近世、安土桃山時代から江戸時代(?)
【地名表記】:
 眞田真田
【この地で発生した氏族の氏流】:
 不明
【発生氏族のその後】:
近世、安土桃山時代から江戸時代にかけ、備後(現在の広島県の東半分)に移り、小早川氏に仕えた者がいる
その他、岩國藩(山口県大島郡、玖珂郡南部)にもこの系族が見られる



※その他
6.伊勢國多気郡狭長田
更に古い地名として、古事記に出てた狭長田さなだorさながた)という地域があります
時代的には飛鳥時代から奈良時代にかけて発生したようで、
こちらは現在の地名では三重県多気郡になります


【関連日記】
三浦党 房総眞田氏、郷土史などに出てくる先人達の名
https://sanadado.blog.ss-blog.jp/2014-09-30
中世から近世、小豪族のウチ「房総 佐奈田/眞田」先祖達の生き残りの歴史
https://sanadado.blog.ss-blog.jp/2012-07-19
三原眞田 / 三浦眞田の故郷 安房の三原郷
https://sanadado.blog.ss-blog.jp/2015-12-10-1
中世豪族 眞田氏の三原城 そして神田山の三原城山城
https://sanadado.blog.ss-blog.jp/2013-01-01
中世豪族 眞田氏のやぐら・磨崖{まがい}五輪塔 南房総市指定史跡
https://sanadado.blog.ss-blog.jp/2013-04-20-1
三原郷の鎮守の社 諏訪神社
https://sanadado.blog.ss-blog.jp/2021-09-06
眞田、真田、佐奈田、、サナダという地名と名字の由来
https://sanadado.blog.ss-blog.jp/2009-09-20-1
佐奈田与一(眞田与一)の子孫について
https://sanadado.blog.ss-blog.jp/2011-07-13
房総の眞田一族にも六文銭を家紋に使う家系があります
https://sanadado.blog.ss-blog.jp/2011-07-13-1
【雑談所】やる夫が真田家に生まれたようです 雑談所その10 【2ちゃんねる より抜粋】
https://sanadado.blog.ss-blog.jp/2015-01-14-1

[中世の豪族 房総 眞田氏(佐奈田)]カテゴリ一覧
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駅員3

自分のルーツがここまでしっかり調べられて、素晴らしいですね!
私の家は、祖父から聞いた話が明治維新前後の事までで、それ以前の事は江戸切り絵図に屋敷が印されていることくらいです。
by 駅員3 (2009-09-20 19:04) 

さなゆき

>駅員3さん

屋敷が書かれてるだけでスゴいじゃぁ~ないですか!(w
ルーツや由来調べは、ここまで来たら、ほぼもう意地ですよね、どこまで分かるか己に挑戦です(www
by さなゆき (2009-09-23 10:04) 

takaki-i

相変わらずルーツ探しをしていますね^^
先日源頼朝の石橋山の敗戦後、房総に上陸し房総での旗揚げ経路を調べたとき眞田与一さんの戦いぶりを知りました。
なんにしろ歴史に残る名前に行き着くのが羨ましい。
by takaki-i (2009-09-25 22:28) 

さなゆき

>takaki-iさん

お米の件、色々すいませんでした、、

与一さんのこと、、
死に装束ともいえる目立つ鎧で戦場に10倍の兵力に向かうなんて、、特攻以外のナニモノでもないですよね、、ただ、あの意識、嗜好は、その後の武家社会に受け継がれていったベースの考えでもありますね
・・・おそろしや~(^_^;)
by さなゆき (2009-09-28 10:52) 

さなたけ

はじめまして

『サナダ』についてすごく詳しくお調べですね!尊敬します。

わたくし越後眞田村近くに住んでおります『眞田』と申します。

ご先祖様に興味がありまして色々やっていましたら、さなゆき様のページ
に出会いました。

楽しみにしてますので、UPお願いしまーす。
ちなみに家の家紋は『丸に笹竜胆』です!!
by さなたけ (2012-03-05 21:22) 

さなゆき

おーーーーーー!(゚∀゚;)=3
昨今はめんど臭がりなんでコメント不可に設定しちゃってるのに、
コメント可能な過去日記領域へのコメントw、ナイス!ですwww
たった今コメントをいただいたことに気付きましたwwwwwwwwwwwww

新潟県新潟市西蒲区真田辺りの出の方なんですか?
モノの本には、西蒲原郡より出羽國に中世に移転、
出羽の羽黒山にて土着などと書かれてましたが、現在もおられるのですね!
なんかスゲー!!!!!!
それとも家紋が丸に笹竜胆というので、清和源氏系の信濃國安雲郡眞田村の界隈とも
何か関連があるのかなぁ~
いずれにせよ、あの地域の出の眞田の方ならそもそも歴史は古く、
由緒ある豪族の出の方とお見受けしました!
もしくは戦国時代末以降になってから笹竜胆を使うようになったワタスィらの遠い御親戚の方かも・・・
わぁ~~!なんかこういうの楽しいですね!
何よりありがとうございますwww
同じ名字と言うだけでも、正直他人の気がしませんwwwwwww

ウチの家系の笹竜胆の家紋は、没落って地侍になってた当時の先祖を、
戦国時代末に雇用してくれた殿さんである里見さんや正木さんから拝領した紋です
御万の方という、正木さんの娘さんのお世話をしたことによるお礼の物と言われていますが、、
まぁ桓武平氏の出ですが、一族的に源頼朝さんに味方した側なこともあって、
これを貰ったんじゃないかということと、
大元の家紋が○に横3本線だったようで、
里見さんや正木さんの物より横棒が1~2本多く偉そうなんで、
もっともらしい理由をつけて、ウチらに元々の家紋を使わせなくしたんじゃないか?
・・・な~んて、ちょっとうがって考えていたりしますw


>>『サナダ』についてすごく詳しくお調べですね!尊敬します。

単なる意地なところがあるのと、マニアックな性分のせいかと思いますw
あと、地元の房総南部にはウチの先祖の史実がいくらでも残っているのに、
自分と同じ子孫達がみんな知らないということや、
ウチの家を含め、まとまって眞田が住んでいた南房総市の山奥の一角が、
昔から地元の連中に「平家の落人村」とか言われて異様に恐れられてたりしてたり、
そして、信州の真田氏よりずっと古くから六紋銭を家紋に使う家系がいたりしてまして、、
なんかほじくると色んな歴史がワンサと出てきて、ホント稗史に満ち溢れてて面白くってww
そんなこんながキッカケになっております(´∀`)


>>楽しみにしてますので、UPお願いしまーす。

いやいや~、実はそろそろ限界でww
持ちネタは明らかに増えてるんですが、昔の豪族同士の裏取引や殺傷沙汰話が多く、
迂闊に書くと地元に帰れなくなりかねませぬ(´;ω;`)
今も房総の南部には、自分らだけではなく、当時の豪族の血を引く連中がゴロゴロおりまして・・・
ヘタなことを書くと、はるか昔にケリのついた話を今に蒸し返すことになり、余計なトラブルが、とか・・・
自分ちの先祖が滅ぼした豪族や、逆にウチの先祖を殺した一族、
侵略した土地とか、新たな権力者に追いだされた地域の話とか・・・

でもなんかうまいことやって紹介したいですw

何より今後とも宜しくお願いいたします!!

てゆーか、一か月以上も返信コメ放っておいてホント申し訳ありませぬ・・・('A`)
by さなゆき (2012-04-07 14:40) 

さなたけ

なんとぉ~(゜д゜) コメントが返って来てるとはー(驚
私の方こそ放ったらかしでスミマセぬ・・・

私なりに色々と調べてはおりますが、江戸末期ころから今の土地に居るようです。豪族なんてとんでもないウチはただの『水飲み百姓』ですよ(笑
しか~し!血の気が多いちゃ~多い様な気がする・・・ワタシを含め歴代方々! アハハハ・・・まさかネ~・・・

話は変わりますが、三月下旬に家族旅行に行こう!って事になりまして『小町通り・横浜中華街』の食べ歩き!!に決定。そこでオレの趣味も盛り込んでいいか聞いたところOKがでたので以下の所を巡って来ました。

新潟夕方発→深夜の小田原城外堀から見物(車中泊)→日の出と共に佐奈田霊社参拝→平塚市眞田神社(改装中残念)→鎌倉銭洗い弁天→佐助稲荷神社→高徳院(鎌倉大仏)→源頼朝墓(白旗神社)→鶴岡八幡宮→小町通り→横浜中華街   「運転手は俺だぁ~」と言わんばかりに強行日程で行ってきました。最後に食べ歩きが出来たので家族も喜んでましたが、さすがにグッタリしてましたね(笑  自分だけ心晴ればれ大満足(笑

私的な事を長文スンマセン。今年中に見てくれるか分かりませんが『良いお年を~』


by さなたけ (2012-12-25 13:27) 

さなゆき

>>さなたけさん

あぁ~!
いつのまにか返信をいただいておりましたwwwwwwww

あけましておめでとうございますーーー!(∩´∀`)∩
なんなんですかこの家族旅行の計画は!www
我が三浦党の眞田(佐奈田)の聖地まで巡ってもらい感謝感激でありますwww
平塚の真田地区って笑えませんでしたか?
そこいらの家の住所表示が全部(当たり前だけど)真田なんですよね~
なんか感慨深さを通り越して一人でウケてましたw

しっかしさなたけさんは、マジに他人の気がしないっすw
そもそも佐奈田の地域に行かれるなんて、
それって故あって(引っ張られてた)んじゃないかとか
真面目な話、ウチらからそちらに渡られたとかの可能性があるのかもですねー
(゚∀゚)人(゚∀゚)ナカーマっす!

次の家族旅行は、ぜぜぜし三浦党の真田が今に息づく(細々と生き残ってる?)、房総安房の地へ!
まー新潟に比べると食べ物から観光地から
敵うモンがなんもないですがwwwwwwwwwww

あ、安房ではシャチの曲芸が見れます、
これだけは新潟には勝てるかもwwwww

by さなゆき (2013-01-02 16:17) 

さなたけ

こちらこそ、明けましておめでとうございます!です
年明け早々ルーツ探索に余念がありませんな~ 『素敵です☆』

わたくし城と神社仏閣巡りが趣味でして(人に自慢できるほど巡ってないですけど・・・汗)今年は『東国三社巡り』目標にしています。そこでちょいと足を伸ばして[正文寺]へ手を合わせに行きたいナーと考えておりまして、そうするともうちょい先の[館山城]も見たいしー うぅ~ん・・・

家族は鴨川シーワールドを餌にして納得してもらうしかないな!うっし!

ってなわけで何時行けるか分かりませんが、今からウキウキしてます★
by さなたけ (2013-01-08 16:41) 

さなゆき

>さなたけさん

もう初夏になりつつありますが、返信ですwwww

いやぁ~この半年色々あって大変でした('A`)

館山城ですか? あの根元にも親戚いますんでたまに行くんですど、
自分自身、館山城に上ったことがない事実に今気づきましたww

今年中に行ってみようかしらん(^ω^)

by さなゆき (2013-05-21 12:59) 

ダイスケ

眞の漢字の変遷など住民票移動の際に眞か真の
どちらか選んでくださいと言われた
10数年前を思い出してしまいました(笑)

私は、九州は佐賀県鳥栖市にある幸津町の眞田一族です。
昔は幸津村と呼ばれており眞田、陶山ともう一つの苗字の3家しか
いない村落だったと聞いております。
幸津町の神社には古いからの石鳥居があり、江戸時代の元号で
建立した人名が掘ってあり眞田の苗字があるのは確認してますが
何故その時代に佐賀県鳥栖市に眞田一族が居たのか
私が調べても判りませんでした。

ルーツを深く調べられてあるさなゆき氏の書き込みを見て
改めて調べてみようかと思ってます。
by ダイスケ (2016-04-04 11:30) 

佐奈田堂

>ダイスケさん

すいません、コメント自体に気づくのが遅くなってしまいました(;´∀`)
眞田に、よりによって陶山ですか・・
ひょっとしたらですが、ダイスケさんは、私達と同じ三浦党の佐奈田、相模&房総の眞田と何か関係があるのかもしれませんね
実は佐奈田与一さんの末裔として今に伝承を引き継いでいるのは一家のみ、神奈川県の某所に住む陶山さんです
しかしその方は独り身で老齢のお爺さんでして・・
by 佐奈田堂 (2016-04-19 16:13) 

西日暮里

洋服直し屋のススメ 最近は洋服直しにハマってます。を
見ました。私は西日暮里駅から近く所に住みます者です。
私もポロシャツ直しにこだわっております。
私は袖丈をつめて袖を短めにし、そして袖口のリブを
自分の腕にぴったりと合うように直したりしております。
そう致しますと、自分の腕に袖がぴったりと合ったポロシャツが
完成いたします。
現在も直したいポロシャツがあります。
こんど宜しければポロシャツの話や
荒川区のグルメな話やお酒もいかがでしょうか‥。
by 西日暮里 (2016-07-13 14:03) 

湘南歴史好き

真田、良く通ります。
30年ぐらい前の真田は丘陵地の畑が多い地域今はあまりにも違う景観にビックリします。
うちもご先祖さまは岡崎城跡に近く亡くなった叔母から遡れば天皇に繋がるんだよといった話を聞いたことがありますが、武家だったということ以外詳しいことはわかりません。
ルーツって面白いですね。
そう言えば車の営業で廻っていた頃陶山さんという方に買っていただいたことがありましたよ。
by 湘南歴史好き (2016-12-31 23:03) 

出口 満

初めまして、三浦三崎の出口ともうします
真田堂さんの真田の歴史についてよくご存知なのには驚くばかりです。
岡崎に真田性がないとのことですが、安房が真田性の発祥の地ではないでしょうか?岡崎義実。旧姓三浦四郎。悪四郎とも呼ばれた三浦水軍の奴田城城主であったそうです。岡崎城行って驚きました。岡崎とは、丘の果てからついた地名だそうです。湘南海岸八間大道り海岸からまっすぐに岡崎城に道が伸びていました。岡崎義実。岡崎に住んでも三浦水軍を率いていたのではないでしょうか?三浦党(三浦一族)の息子たちは独立すると性を変えていたようです。佐奈田与一も独立していたとしたら新しい領地を得ていたように思います。安房と相模の国は一つの国のようでした。岡崎に真田の性がないとしたら安房の真田性が本家筋の真田性ではないでしょうか、安房に真田与一のお墓(供養塔)があるように思うのですが、私の考えすぎでしょうか?
また時々ブログを読ませていただきます。
by 出口 満 (2017-06-08 14:45) 

佐奈田堂

>by 西日暮里さん

前社が荒川区でしたのですが、、
今は遠くにいますです( ´ー`)フゥー...
by 佐奈田堂 (2017-09-29 16:17) 

佐奈田堂

>湘南歴史好きさん

あぁー書き込み放置すいません(;^ω^)
ひょっとしたら遠いご先祖さん達の時代、湘南歴史好きさんのご先祖さんとお友達だったかもしれませんねw
by 佐奈田堂 (2017-09-29 16:20) 

佐奈田堂

>出口さん

ウチは与一さんが平塚の眞田町(相模国 大住郡 岡崎郷 佐奈田村)に入るずっと前から、元々そこにいた小豪族だと聞いてます
多分あの辺りの北金目遺跡などと関係あるんじゃないでしょうか
そして岡崎さんの部下というか、あの時代は岡崎軍団?の郎党になっていたようです、多分これは岡崎さんの娘さんや彼の近しい人物との婚姻などによるんでしょうね、当時はそうやって政略的に婚姻をし、味方を増やしてますしねw、で、ウチもそれで岡崎さんに取り込まれたんじゃないかと思ってます
・・で、時系列的には岡崎義忠さん(のちの佐奈田与一さん)と入れ替わる形で、ウチは安房の新たな領地となる三原郷に、長狭さんという三浦党にとっては「敵」だった大豪族の真ん前に赴任(?)となったんじゃないかと・・
でもこの地は、佐奈田村より巨大な領地であり、村より上(郷)単位の領地でした
さらにあの時代は今より富士山もよく噴火してましたし、その後遺症的な影響(火山灰など)で今より土地自体が疲弊していたようでもありますし、、
それに比べ、新たな領地となる和田町の三原郷は、太平洋・外房の郷で、背後には切り立った山もあり、色々と豊かな土地柄であったこともあり、、
私らのご先祖は、敵の真ん前だけど一族郎党揃って安房国に移住することを決心出来たんだと思います(そうじゃなけりゃ大豪族の長狭さんが怖くってやってられないと思いますw)
また、そんな場で、長狭さんに寝返らないという三浦党全体からの信用もあったんじゃないかなー
こういう諸々の人々の思惑を考えてみると、知れば知るほど今の社会と何ら変わりなくって切なくなります
ホント1000年なんて夢のような一瞬ともいえる話なのかもしれませんw

>>安房に真田与一のお墓(供養塔)があるように思うのですが、
知りうる限りでは、和田町にある眞田源吾さんが建立したという正文寺の摩崖の五輪塔が、房総の眞田の最も古い一族の祠です
また、この眞田源吾さんは、佐奈田与一さんと同時代の人物で、その後の寺社仏閣建立などの話から推測すると、与一さんが「佐奈田(眞田)」を名乗る時点では、多分与一さんよりずっと年長さんだったように見受けられます
多分ですが、この房総の眞田源吾さんにとって与一さんは、きっと義理の兄弟orイトコのような関係だったんだろうなぁーとか想像してます( ^ω^ )
by 佐奈田堂 (2018-01-22 09:38) 

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