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ここ数日の房総半島の地震【元禄型震源?】について [地震 雷 火事 親父(大山嵐/大風/おおやじ)]

一昨日7月3日に続き、昨日7月4日にも房総南端で、
ちょっと気になる地震が起きたので、一応メモっときます

【7月3日の地震】
発生時刻 2012年7月3日 11時31分 ごろ
震源地 東京湾
緯度 北緯35.0度
経度 東経139.8度
深さ 100km
マグニチュード 5.4
場所は「東京湾」と書かれてますが、正確には浦賀水道の館山湾、
北条海岸から真西に5kmという地点が震源です
http://maps.google.co.jp/maps?q=35.0,+139.8&hl=ja&ll=34.99991,139.799995&spn=0.175771,0.232773&sll=34.927601,139.952774&sspn=0.175926,0.232773&t=h&brcurrent=3,0x6017f753a573db23:0xbbffa22aea9318fd,0&z=12

【7月4日の地震】
発生時刻 2012年7月4日 14時53分 ごろ
震源地 千葉県南東沖
緯度 北緯34.9度
経度 東経140.0度
深さ 70km
マグニチュード 3.9
こちらは南房総市千倉、道の駅千倉「潮風王国」の南東5kmが震源です
http://maps.google.co.jp/maps?q=34.9,+140.0&hl=ja&ll=34.927601,139.952774&spn=0.175926,0.232773&sll=36.5626,136.362305&sspn=43.597785,59.589844&brcurrent=3,0x6017f959a6183ab3:0x8e38e0e36232fb5f,0&t=h&z=12

これら2つの地震は共に、その昔、元禄大地震を起こした震源域に属する界隈で発生しております
・・・で、先程昼飯食べながらそんな情報を探してたら
今回の地震を元禄地震と結び付けて考えているニュースを見つけました
以下に保存の意味も含め、転載させていただきます
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【3日の東京湾地震…実は大津波の前兆か!大学教授が警告】
2012.07.04
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20120704/dms1207041138008-n1.htm9219.jpg

 東京湾を震源とした3日のマグニチュード(M)5・4(推定)の地震では、最大震度4の揺れにヒヤリとした人も多いだろう。震源地は東京都が被害想定に加えている元禄型関東地震のすぐ近く。このタイプでは首都へ津波が襲来する危険が高いだけに、昨日の揺れが巨大地震の前震だったのか、不安はつのる。

 気象庁によると、3日午前11時31分ごろに起きた地震の震源地は東京湾で、震源の深さは約100キロ。発生の直後から「津波の恐れはない」とされ、幸いに目立った被害は報告されていない。

 しかし、武蔵野学院大の島村英紀特任教授(地震学)は、「震源が元禄型関東地震と極めて近い。もう少し浅く、大きな規模で発生していたらかなりの被害が出た可能性もある」と指摘した。

 元禄型関東地震とは、1703年にあった元禄大地震(M7・9-8・2)と同タイプのものを指す。徳川綱吉が将軍だった時代の大地震では、江戸を中心に多数の死者が出て、現在の東京・両国や千葉・浦安などに津波が押し寄せた。首都が津波に飲まれた珍しいタイプのため、都では被害想定の前提となる4つの想定地震の1つに同型の地震を加えている。

 昨年の東日本大震災では本震の2日前、前触れとなる最大震度5弱の前震が起こっていた。後の検証で、明らかな前震が確認されたケースだ。では、3日の地震はどうなのか。

 「現在の地震学では本震の発生前に前震を見極める方法はない。ただ、これまで元禄型関東地震の発生は関東大震災から200年の間隔があるとされてきたが、3・11による変動でいつ起きてもおかしくない状態になった。また、元禄大地震の後には大きな災害が続いたことも見逃せない」(島村氏)

 確かに、18世紀初頭には大災害が相次いだ=地図。元禄大地震の約4年後、紀伊半島沖を震源とする宝永地震(M8・4-8・7)が発生。東日本大震災の前には日本史上最大とされた地震で、最高で20メートル級の津波により2万人以上が犠牲になったといわれる。大阪湾にも津波が押し寄せ、現在の大阪市街地で7000人が溺死したという。

 さらに宝永地震の49日後には富士山が大噴火。富士山周辺の農耕地が壊滅的な被害を受けたほか、江戸にも大量の火山灰が降り注ぎ、経済活動を停滞させた。

 前出の島村氏は「あまり脅かすのはよくないが、大地震は頻発する時期がある。災害の多発期に入った可能性はある」と警告する。

 昨日の地震は大地震の前兆なのか。特に東京湾の沿岸では津波被害の危険もあるだけに警戒が必要だ。
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ちなみにここでいう「元禄大地震」ってどのような地震だったかというと、
以下のページが詳しいです
元禄大地震 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E7%A6%84%E5%A4%A7%E5%9C%B0%E9%9C%87

そして、その気になる被害は・・・
上記「元禄大地震 - Wikipedia」より抜粋させていただきました

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被害 [編集]

江戸では比較的被害が軽微で、江戸城諸門や番所、各藩の藩邸長屋町屋などでは建物倒壊による被害が出た。平塚と品川で液状化現象が起こり、朝起きたら一面泥水が溜っていたなどの記録がある。相模灘沿いや房総半島南部で被害が大きく、相模国神奈川県)の小田原城下では地震後に大火が発生し、小田原城の天守も焼失する壊滅的被害を及ぼし、小田原領内の倒壊家屋約8,000戸、死者約2,300名[3]東海道の諸宿場でも家屋が倒壊し、川崎宿から小田原宿までの被害が顕著であった。

上総国をはじめ、関東全体で12か所から出火、被災者約37,000人と推定される。地震7日後の11月29日下刻(18-19時頃)、小石川の水戸宰相御殿屋敷内長屋より出火、初めは西南の風により本郷の方が焼け、西北の風に変わり本所まで焼失した(『文鳳堂雑纂』、『甘露叢』)[2]

この地震で三浦半島突端が1.7m、房総半島突端が3.4m隆起した。また、震源地から離れた甲斐国東部の郡内地方甲府城下町、信濃国松代でも被害が記録されている。

『楽只堂年録』に纏められた各幕府への被害報告の合計では死者約6700人、潰家、流家は約28000軒となる[1]。『楽只堂年録』には又、11月29日(1704年1月6日)、勘定奉行荻原重秀が曲淵伊左衛門、鈴木伊兵衛重武に江戸城周囲の破損箇所の修複の事を命じたことが記されている[2]

震度分布 [編集]

江戸よりも相模湾沿岸で家屋の倒壊が著しく、震度7と推定される地域も相模湾岸および房総半島南部に集中した。陸奥京都でも有感であった。

街道推定震度[6]
畿内京都(e), 奈良(e)
東海道(宿場町)江戸(5-6) - 品川(5-6) - 川崎(6) - 神奈川 - 程ヶ谷 - 戸塚(7) - 藤沢(6-7) - 平塚(7) - 大磯(6-7) - 小田原(7) - 箱根(6) - 三島(5-6) - 沼津(5) -  - 吉原 - 蒲原 - 由比 - 興津 - 江尻 - 府中(3-4) - 鞠子 -岡部 - 藤枝 - 島田 - 金谷 - 日坂 - 掛川 - 袋井 - 見附 - 浜松(E) - 舞阪 - 新居 - 白須賀 - 二川 - 吉田 - 御油 - 赤坂 - 藤川 - 岡崎 - 池鯉鮒 - 鳴海 -  - 桑名 - 四日市 - 石薬師 - 庄野 - 亀山 -  -坂下 - 土山 - 水口 - 石部 - 草津 - 大津 - 京都(e)
東海道水戸(5), 銚子(5), 嶺岡(7), 沓見(7), 瀬戸(7), 神余(7), 真倉(7), 東長田(7), 出野尾(7), 藤原(7), 那古(7), 九十九(E), 大多喜(6), 勝浦(6), 佐倉(5), (5), 町田(6-7), 八王子(6), 甲府(5-6), 甲西(5), 中富(E), 鎌倉(6-7), 馬入(7), 皆瀬川(6-7), 酒匂(6-7), 熱海(7), 下田(E), 仁科(E), 伊豆大島(E), 八丈島(E), 名古屋(S), 上野(e)
東山道八戸(e), 弘前(S), 大槌(E), 余目(e), (S), 那須(E), 日光(e), 松代(E), 福島(E), 白馬(e)
北陸道富山(S), 金沢(E), 大野(E)
S: 強地震(≧4),   E: 大地震(≧4),   M: 中地震(2-3),   e: 地震(≦3)

地殻変動 [編集]

この地震による地殻変動で三浦半島突端が1.7m、房総半島突端が3.4m隆起した。今村明恒によれば房総半島布良(現・館山市)4.7m(大正地震は2.0m)、野島崎5.0m(同1.8m)、三浦半島三崎1.6m(同1.4m)それぞれ隆起したという[1]。また大磯付近も約2m隆起したと推定され、本地震は大正関東地震の震源域も包括していたと推定されている[7]

延宝元年(1673年)に描かれた房総半島南端の白浜町の絵図と明治17年(1884年)に測量され製作された地形図との比較から元禄地震前の海岸線は現在より約500m内陸にあり、また現在の地形図との比較から大正関東地震前の明治時代は現在より約100m内陸にあったことが判明した。この付近に見られる海岸段丘は最下部に大正関東地震によると見られる変位約2mで狭い巾の段丘の上部に元禄地震によると見られる変位約6mの巾も広い段丘が見られ、さらにその上部に狭い段丘数段と広い段丘の繰り返しパターンがあり、大正関東地震クラスの地震と、数度に一度、元禄地震クラスの特に規模の大きな地震が繰り返されていることが判明した[8]

このような南上がりの地殻変動は1923年関東地震と同様であり、相模トラフにおいて北アメリカプレート衝上する低角逆断層のプレート境界型地震であることを示唆している。ただし、トラフ軸の走向に対するフィリピン海プレートの南東→北西方向沈み込み方向の関係から相模沖-房総半島までの断層モデルは1923年関東地震と同様に右横ずれ成分を顕著に含む[9][10]

規模 [編集]

マグニチュードは7.9-8.2[1]と推定されているが、古文書による各地の記録に基づく推定震度分布に頼らざるを得ない歴史地震であり、また津波や地殻変動などから仮定される断層モデルなどによる推定であるからその数値は不確定性を含む[9]

河角廣はマグニチュードM = 8.2を与えていた。断層モデルによるモーメントマグニチュードはMw = 8.1と見積もられている[12]。また津波の規模から津波マグニチュード、モーメントマグニチュード共にMt = 8.4、Mw = 8.4とする推定もある[13][14]

津波 [編集]

相模灘から房総半島では津波の被害も発生し、熱海では7m程度の高さと推定される津波が押し寄せ、500戸ほどあった人家のほとんどが流出し、残ったのはわずか10戸程度であったという。また、鎌倉では鶴岡八幡宮の二の鳥居まで津波が押し寄せ由比浜大鳥居が破損(『基煕公記』)、伊東では川を遡った津波が水害を及ぼしたという。津波は三浦で6 - 8m、九十九里辺りで5m、江戸湾(現在の東京湾)入り口の浦賀で、4.5mに達した。江戸湾内でも津波は影響を及ぼし、本所、深川、両国で1.5m、品川、浦安で2m、横浜で3m、稲毛では3 - 4m、さらに隅田川の遡上も記録されている[15]六義園も被害を受け、ほとんどの松が塩害で枯れてしまい、元に戻すのに8代将軍吉宗の頃まで30年近くかかった。[要出典]九十九里浜では海岸から5Km程度内陸まで到達し、現在の白子町では1000人、長生村では900人を越える犠牲者があった[16]

伊豆半島東岸では一部遡上高が17mを越した所もあった[17]。さらに北は釜石、西は高知まで津波が届いた記録がある。

津波の被害状況
地域推定波高・遡上高
古文書の記録羽鳥(1975-2006)都司(1981-2008)
九十九里浜現・千葉県 5-6m[18]5-6m[4]
房総半島野島崎現・南房総市 8m[15]8-10m[4]
深川現・東京都江東区寅の初刻より海辺しきりに動揺し、群集押合い避難1.5m[15] 
本所現・墨田区三五尺水つかる2m[15] 
品川現・品川区 2m[15] 
川崎現・川崎市 1.5m[15] 
野毛現・神奈川県横浜市 3-4m[15] 
浦賀現・横須賀市 4.5m[15] 
三浦半島現・三浦市 間口6-8m[15]大浦>11.6m[17]
江ノ島現・藤沢市  8m[4]
宇佐美現・静岡県伊東市城宿ノ中央一町バカリノ丘ニタドリツキタル者ハ生命ノミハ助リシモ、遠ク峯、阿原田桑原部落ヲ目指シタルモノ二百人余人ハ、海岸ヲ距ツルコト数町ナラズシテ怒涛ニ追ヒツカレ男女数十人横枕ニ倒レタリ『宇佐美村誌』 9.4m[17]
鎌田現・伊東市元禄十六年大津波祈祷震災犠牲者の冥福『津波地蔵石碑』 17.3m[17]
下田現・下田市  3m[4]
仁科現・西伊豆町 3m4m[4]
土肥現・伊豆市土肥、伊藤、うさみ、あたみは廿二日の夜、津波にて人家多没したり『梨本祐之手記』 3m[4]
三保現・静岡市二十二日夜八ツ頃ヨリ申ノ正月マテ、家ノ前へ浪入ル、人々御宮へ逃ル『三保村誌』 2m[4]
浜名湖現・湖西市元緑年中地震津浪ニテ海上荒レテ風強キ時ハ浪高ク、渡舟ノ災多ク『舞坂町誌』 3m[4]
渥美半島堀切現・愛知県田原市二十二日, 夜八ツ時地震、経月不止、海水張温、人多く死し、漁網、漁具流失す『常光寺年代記』 2m[4]
名古屋現・名古屋市尾州熱田海のごときも一日に三度潮満『鸚鵡籠中記』 1m[4]
尾鷲現・三重県尾鷲市  2m[4]
高知現・高知県高知市所々湊口汐満干日数三日不定一日之間ニ四五度も曲ヒ不審する所に東国大地震『大変記』 1m[4]
 
地震おっがんねーんで
でーっきれーだ!(´Д⊂ヽ

オラホんとこや親戚んちに、くんでねーよ!

 


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