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眞田刑部左衛門尉 室町時代のご先祖の足跡 [中世の豪族 房総 眞田氏(佐奈田)]

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【九重地区略年表 - たてやまフィールドミュージアムより】
豪族たちの里 -九重-
http://enjoy-history.boso.net/book.php?strID_Book=0504&strID_Page=001&strID_Section=20

【たてやまフィールドミュージアム】
http://enjoy-history.boso.net/


以下、九重地区略年表より一部抜粋
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1423年 応永30年
安東又三郎の旧領安東郷内朴谷村が真田刑部左衛門尉に押領される。鎌倉公方足利持氏、安房国守護上杉定頼に対し、同地を鎌倉極楽寺へ渡すよう命じる

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あーにやってんだ~ご先祖さん(゚Д゚;)

上記抜粋文の地名で、東郷内朴谷村と書かれてますが、
朴谷は宝貝の小字としてある宝ヶ谷にあたると考えられ、現在の館山市宝貝の最奥部の集落の事だそうです

ちなみに上記抜粋文中の「~真田刑部左衛門尉に押領される。~」の、押領の意味はというと・・・
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押領
押領(おうりょう)は、古代・中世日本の法律用語。
兵士の監督・統率を行うこと。後に兵士を統率して治安維持にあたる意味が含まれるようになり、令外官として押領使が設置された。
荘園制において、他人の所領である田畑や年貢を実力をもって収奪・支配すること。本項で解説する。
押領(おうりょう)とは、平安時代中期以後の荘園制下において武力などの実力をもって他人の所領や年貢などの知行を侵奪する行為。本来は不法行為に相当するが、後には正当な権利者によるものも含めて実力行使一般をさすようになった。
これに対して被害を受けた者は知行回復の訴訟を行った。
御成敗式目には不正な方法によって他人の所領もしくはその年貢を押領した者はその押領物を元の所有者に返還するのみならず、本来所有する所領についても没収し、所領の無い者は遠流にするという規定がある。また、知行年紀法の対象外とされた。
ウィキペディアより抜粋 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8A%BC%E9%A0%98
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あーつまり
武力による侵略 鎮圧・・・(´・ω・`)
まぁこの室町時代、
鎌倉方の足利持氏さんや、安房国の守護であった上杉定頼さんを
ご先祖さんは明らかに小馬鹿にしてたんじゃないかな?
彼らの力が目に見えて衰えてたんで、色々と動きやすかったというのも大前提にあると思う
そして時代的には京都の将軍と鎌倉公方が対立してた時期だし、
それに乗って京都側に着いてたのかな?
まぁ何にせよ現在でいう館山市の東側に住んでた豪族、安東さんが没落した機会に
ラッキ~! d(*´∀`)b
すわ陣取るなり(; ・`д・´)キリッ!
とばかりに、武装し越境して陣取ったんだろうなwww

うーん、いかにも我が先祖らしいw
ガサツで漢(おとこ)らしく(?)
そして抜け目ないところが
ホレボレします
眞田刑部左衛門尉
Good job !

この眞田刑部さん辺りまでが、
平安末期から安房国朝夷郡(現在の南房総市と鴨川市江見界隈)の三原郷で
ブイブイやれてた最後の時代のようで、
その後は、三浦半島から渡ってきた同じ三浦党の正木さんの一族とツルむようになり、
一緒になって安房国への下剋上の風潮を喰い止めたようで・・・、
そして新興勢力の里見さんらに協力するようになった我が一族は、
眞田隼人佑さんが一族の頭領(代表)の代、戦国時代の1520年代前後の頃には、
有力な土着武士団として、本格的に彼らの勢力に取り込まれていきました
正木さんや里見さんの元、勝浦城や大多喜城の家臣団として重用されていったということです

ちなみに、この冒頭の室町時代の先祖、眞田刑部左衛門尉さんに限らず、
平安時代以降の房総各地の郷土史に、ウチの先祖達がチョロチョロと顔を出します、
お陰で戦国時代や江戸時代ぐらいでは、
ホンのちょっとの昔の事にしか思えなくなったっす(゚ω゚)

 

西暦1423年(応永30年)、
ウチの先祖の一人である「眞田刑部左衛門尉」を中心とする一部の郎党が、
安東郷内朴谷村、現在の地名でこちらの地図の地域「千葉県館山市宝貝」の界隈を武装占拠し、
理由はともあれ、当時の皆さんに大変ご迷惑をおかけしたであろうことを、
子孫の一人として心から深くお詫びいたします
・・・まぁ現在は2012年、
さすがに589年も前の話しだし、もう時効っすよね?(´;ω;`)


参考までに・・・、この眞田刑部さん以降、
自分達の筋である「房総眞田」、いわゆる「三原眞田」から、戦国時代後期辺りに分岐したという「宇田眞田」家が、
この館山市宝貝に隣接する近隣の領地を里見の殿さまからもらいうけてます(・ω・)
「宇田眞田」家は主に里見のお殿様に仕えてた「房総眞田」の流れです

【関連日記】
三浦党 房総眞田氏、郷土史などに出てくる先人達の名
http://sanadado.blog.so-net.ne.jp/2014-09-30
中世から近世、小豪族のウチ「房総 佐奈田/眞田」先祖達の生き残りの歴史
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三原眞田 / 三浦眞田の故郷 安房の三原郷
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中世豪族 眞田氏の三原城 そして神田山の三原城山城
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眞田、真田、佐奈田、、サナダという地名と名字の由来
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佐奈田与一(眞田与一)の子孫について
http://sanadado.blog.so-net.ne.jp/2011-07-13
房総の眞田一族にも六文銭を家紋に使う家系があります
http://sanadado.blog.so-net.ne.jp/2011-07-13-1
【雑談所】やる夫が真田家に生まれたようです 雑談所その10 【2ちゃんねる より抜粋】
http://sanadado.blog.so-net.ne.jp/2015-01-14-1

[中世の豪族 房総 眞田氏(佐奈田)]カテゴリ一覧
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