韓国/国民保導連盟事件 【ねずさんのひとりごとより転載】 [日本の隠された歴史]
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1712.html
先日、FacebookではHさんからのシェアでご紹介したのですが、あらためてyahoo知恵袋から「国民保導連盟事件」をご紹介します。
たいへんよくまとまっています。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1251448547
要するにいま日本にいる在日韓国人というのは、
朝鮮戦争のときに李承晩による韓国民の大虐殺事件の結果、済州島を中心に日本に難民となって逃げてきた朝鮮人の末裔です。
要するに、不法入国してきた者達です。
当時、日本政府はこの密入国してきた韓国人をもてあましました。
ですから日本は、韓国に対し「まとめて逮捕して韓国政府に引き渡したい」と申し入れました。
ところが韓国政府は、拒絶します。
つまり、この時点で、在日韓国人は、韓国から棄てられたのです。
日本政府はやむを得ず、虐殺からの逃れてきた朝鮮人達に「25年」の滞在許可を与えました。
ところが25年後に日本から韓国に引き渡されれば、そのときに自分たちは韓国政府に殺されるかもしれないと考えた在日韓国棄民は、知恵を絞りました。
そしてサンフランシスコ講和条約に「戦前から滞在している朝鮮人、台湾人には無条件で日本での永住権を与える」と定められていることを悪用して、
「我々は戦前強制連行されてきた朝鮮人である」と名のり出したのです。
要するに、最初から彼らは嘘ばかりなのです。
=======
やまと新聞の動画コラム「ねずさんの動画マガジン」
http://www.yamatopress.com/co/pg146.html
最新号
第10回 主権のお話
主権を持つということはどういうことか
第11回 野蛮人とは
人間と人間ではないものとは・・・・
======
一方、日本の民間人は、当時の日本人の生活が極めて貧しいものであったにも関わらず、ボートピープルとなっていた朝鮮人難民に対し、実に細やかに親切にしました。
身ひとつで難民となってやってきた朝鮮人達を、風呂にいれてあげたり、家で匿って食べさせてあげたり、あるいは東京や東北に親戚がいるなどと聞けば、近隣のみんなで金を出し合って旅費を作ってあげたりしました。
困っている人をみたらほっておけない。変わらぬ日本人の日本人らしい姿勢です。
普通なら、世界中どこの国の民でもそれだけの恩義を受ければ、感謝の心を忘れないものです。
ところが朝鮮人達には、そういう恩義を感じる心というものがない。
日本人から受けた恩義を忘れ、日本国内で徒党を組み、日本人が武器を持たないのをいいことに、集団で土地をロープで囲んで土地を占拠横領し、バラックを建てていた家族を殺害してその土地を奪いました。
それがいまある駅前の一等地のパチンコ店の敷地です。
さらに白昼堂々、商店を襲って商品を根こそぎ奪ってこれを売ってお金に変え財を築きました。
モノがない時代です。闇市で捌けば何でも売れた。
さらにバスや列車に無銭で乗り込み、駅員を殴り倒し、網棚の荷物を外に放り投げ、日本人に対して集団で暴行を加えました。買い出しや遠い親戚に会うために乗車していた若い女性が、親兄弟の前で素裸にされ強姦された例は数知れません。
そしてこれを咎めようとした警察官に対してさえ、集団で暴行を加え、殺害をくり返したのです。
日本では、白バイによるスピード違反等の取締は行われません。
なぜかというと、その昔、大型トラック輸送を牛耳った在日朝鮮人達が、追跡してきた白バイに、加減速をくり返して白バイが真後ろについたことを見計らって、急ブレーキをかけたのです。
白バイ警官は、トラックの荷台の下に突っ込み、ヘルメットをかぶった生首が道路に飛びました。
こうした事件が、50年代に多発しました。
機動力を活かしたはずの白バイが、走行中の車両の取締に使われないのはそのためです。
恩を仇で返す。これが嘘も隠しもない、韓国人の姿です。
=======
【質問】
韓国最大のタブーという動画を見たのですが、1951年に韓国軍が二十万人を虐殺した国民保導連盟事件というのがあったそうですね。
詳しく教えてください。
日本には朝鮮戦争で虐殺から逃げてきた避難民がたくさん来たといいます。
日本最大の朝鮮人街大阪の猪飼野は済州島から逃げてきた「アカ」の人たちだといいますね。
助けてもらったクセに、何故、日本に敵対するようなことをするのですか?
【ベストアンサー】
保導連盟事件は、共産主義を支持した人々が転向して国家に忠誠を誓うとした保導連盟というものがあり、それが朝鮮戦争でにわかに赤狩りをするようになった韓国政府にスパイ容疑での虐殺リストとして使われた事件です。
保導連盟事件を中心に一連の事件で100万人以上が虐殺されたと言われています。
虐殺の容疑はすべて共産主義のスパイということでしたが、実際にはちょっと疑わしい程度から、権力者(憲兵など)が気にくわないというだけでどんどん虐殺されるようになり、大規模な国家による国民虐殺に繋がりました。
この虐殺は、第二次世界大戦で亡くなった朝鮮人の数よりも遙かに多かったので、これをごかますために、1970年代に軍事政権から民主主義大統領制に移行した際、日本と日本の占領制度を責めるというような方向でのガス抜きをするようになっていきました。
保導連盟事件が韓国内で口にできるようになったのは1990年ごろからで、それまでは関係者が口を開く気配があるだけで連行される時代でした。
(韓国では、戦前の日本にあった治安維持法と全く同じ法律である国家保安法があり、怪しいというだけで証拠が特になくとも逮捕も拷問も出来るように法整備されています)
済州島のは、その流れのうちでも初期の事件で、4.3事件と呼ばれるおよそ7万人が虐殺された事件です。
このときに逃げてきた人々が後の虐殺から逃れるために半島の人々を手引きしたことから、済州島出身者を中心として朝鮮人街が生まれているケースが多いのです。
一昨年、公文書館から当時外務省と韓国政府の交わした文書が発見されているのですが、これによると日本政府はこの密入国してきた韓国人たちをもてあまし、まとめて逮捕して韓国政府に引き渡すと申し入れています。
そして、韓国外務省はそれを拒絶している回答を残していました。
つまり、二国間でもてあまされた政治棄民だったわけです。
そして、日本政府は虐殺からの逃れてきた半島の人々に対して25年の滞在許可を与える決定を出します。
これに過敏に反応した在日の人々は、知恵を絞った結果、
「我々は戦前強制連行されてきた朝鮮人である」
と名乗ることにしたのです。
これは、25年後に引き渡されて殺されることが明白だったために、生き残るための知恵でした。
日本は、サンフランシスコ平和条約で「戦前から滞在している朝鮮人・台湾人に無条件で永住権を与えること」と定められているためです。
しかし、彼らには戦前から滞在していたと証明するものはありません(何せ、実際住んでいなかったのですから)。
だから「強制連行なんだから、証拠や書類なんて我々が持っているわけがない!
日本政府が無理矢理連れてきたのだから謝罪しろ!」と無理矢理な理屈でゴネたのです。
日本政府としては、強制連行された朝鮮人は二百数十人しかいないことを知っていますから文句のひとつもつけたいところですが、敗戦後の国際世論の目が光っている状態で、「日本はサンフランシスコ平和条約にけちをつけた」と言って触れ回られたくないために、渋々黙認するようになったのです。
彼らは日本政府を非難することで生き残る道を作ったので、その方針がそのまま引き継がれるようになっていきました。
ウソも突き通せば本当になると思ったのでしょうが、世の中の情報化社会への進化のほうが早くて、薄まりかけていた彼らの真実も、現在では明るみに晒されているのでした。
虐殺に関してはTRC(真実和解委員会)という団体が調査をしていますが、昨年、李明博大統領は彼らへの予算は配分しないことを宣言しており、韓国政府はこれ以上この問題を公にしたくないという態度をとっています。
========
「国民保導連盟事件」というのは、まさに朝鮮戦争の最中に起こった大規模虐殺事件です。
当時韓国の初代大統領であった李承晩(りしょうばん)が、共産主義者から転向した者達を、再教育するためにと称して「国民保導連盟」という組織を作ったのです。
要するにこの「国民保導連盟」に加入している韓国人たちは、全員が元アカ、つまり共産主義者もしくはその家族だったわけで、そういう人達に、おいしいことを言って連盟に加盟させ、人数がまとまったところで、李承晩は、その加盟員を、韓国軍と韓国警察に命じて、全員皆殺しにしたわけです。
この事件について、李承晩大統領が失脚した1960年の四月革命直後に、韓国の全国血虐殺者遺族会が、遺族たちの申告をもとに報告書を作成しています。
その報告書によると、虐殺された人数は114万人であったとされています。
また、韓国政府の「真実・和解のための過去史整理委員会(ko)」も、朝鮮戦争の初期に韓国政府が、子供を含む少なくとも10万人以上の人々を殺害し、排水溝や炭鉱や海に遺棄したことを認めています。
公開された米軍の機密書類には、この虐殺時に米軍将校が立会ったことや、虐殺を承認した事実などの詳細の記録があり、また英国軍の役人や、豪州人による目撃記録もあります。
つまり、韓国軍による自国民の大量虐殺が行われたことは、まぎれもない事実なのです。
韓国政府は、2012年の現代に至っても、自国にあったこの歴史を国民に隠蔽し続けています。
それどころか、大量虐殺の遺体写真などを、あたかも日本軍による蛮行であったかのように偽装し、国民をたぶらかし続けています。
また一方、この事件を逃れて難民として日本に不法入国してきたのが、いま日本にいる在日朝鮮人たちです。
日本は、彼らを保護し様々な恩恵を与え続けてきましたが、彼らはそれをいいことに、日本社会を食い物にし続けてきました。
そして戦後に日本に密航してきた不法入国者であるにも関わらず、自分たちは戦前に日本に強制連行されたのだと嘘を尽き続けています。
人を騙すことが平気な在日韓国人と、人と信頼し合うことを大切にする日本人。
日本人はいいように利用され続けてきたのが「国民保導連盟事件」以後の60年です。
歳月経ち、いまでは在日の三代目が社会人となっています。
普通、三代経てば、だいたい郷に入って郷に従うようになる。
けれど在日韓国人というのは、支那人と同じで、どこまでも郷に入って郷に従わない民族です。
いろいろな問題はあろうかと思いますが、私は、少なくとも在日韓国人の通名だけは一切認めず、仮に帰化していたとしても、韓国系日本人、朝鮮系日本人と、ちゃんとわかるように区別ができるように、法制度を変えるべきだと思っています。
そうでなければ、日本人の安全で安心な生活は担保できない。
今日は、そのことを強く申上げたいと思います。
先日、FacebookではHさんからのシェアでご紹介したのですが、あらためてyahoo知恵袋から「国民保導連盟事件」をご紹介します。
たいへんよくまとまっています。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1251448547
要するにいま日本にいる在日韓国人というのは、
朝鮮戦争のときに李承晩による韓国民の大虐殺事件の結果、済州島を中心に日本に難民となって逃げてきた朝鮮人の末裔です。
要するに、不法入国してきた者達です。
当時、日本政府はこの密入国してきた韓国人をもてあましました。
ですから日本は、韓国に対し「まとめて逮捕して韓国政府に引き渡したい」と申し入れました。
ところが韓国政府は、拒絶します。
つまり、この時点で、在日韓国人は、韓国から棄てられたのです。
日本政府はやむを得ず、虐殺からの逃れてきた朝鮮人達に「25年」の滞在許可を与えました。
ところが25年後に日本から韓国に引き渡されれば、そのときに自分たちは韓国政府に殺されるかもしれないと考えた在日韓国棄民は、知恵を絞りました。
そしてサンフランシスコ講和条約に「戦前から滞在している朝鮮人、台湾人には無条件で日本での永住権を与える」と定められていることを悪用して、
「我々は戦前強制連行されてきた朝鮮人である」と名のり出したのです。
要するに、最初から彼らは嘘ばかりなのです。
=======
やまと新聞の動画コラム「ねずさんの動画マガジン」
http://www.yamatopress.com/co/pg146.html
最新号
第10回 主権のお話
主権を持つということはどういうことか
第11回 野蛮人とは
人間と人間ではないものとは・・・・
======
一方、日本の民間人は、当時の日本人の生活が極めて貧しいものであったにも関わらず、ボートピープルとなっていた朝鮮人難民に対し、実に細やかに親切にしました。
身ひとつで難民となってやってきた朝鮮人達を、風呂にいれてあげたり、家で匿って食べさせてあげたり、あるいは東京や東北に親戚がいるなどと聞けば、近隣のみんなで金を出し合って旅費を作ってあげたりしました。
困っている人をみたらほっておけない。変わらぬ日本人の日本人らしい姿勢です。
普通なら、世界中どこの国の民でもそれだけの恩義を受ければ、感謝の心を忘れないものです。
ところが朝鮮人達には、そういう恩義を感じる心というものがない。
日本人から受けた恩義を忘れ、日本国内で徒党を組み、日本人が武器を持たないのをいいことに、集団で土地をロープで囲んで土地を占拠横領し、バラックを建てていた家族を殺害してその土地を奪いました。
それがいまある駅前の一等地のパチンコ店の敷地です。
さらに白昼堂々、商店を襲って商品を根こそぎ奪ってこれを売ってお金に変え財を築きました。
モノがない時代です。闇市で捌けば何でも売れた。
さらにバスや列車に無銭で乗り込み、駅員を殴り倒し、網棚の荷物を外に放り投げ、日本人に対して集団で暴行を加えました。買い出しや遠い親戚に会うために乗車していた若い女性が、親兄弟の前で素裸にされ強姦された例は数知れません。
そしてこれを咎めようとした警察官に対してさえ、集団で暴行を加え、殺害をくり返したのです。
日本では、白バイによるスピード違反等の取締は行われません。
なぜかというと、その昔、大型トラック輸送を牛耳った在日朝鮮人達が、追跡してきた白バイに、加減速をくり返して白バイが真後ろについたことを見計らって、急ブレーキをかけたのです。
白バイ警官は、トラックの荷台の下に突っ込み、ヘルメットをかぶった生首が道路に飛びました。
こうした事件が、50年代に多発しました。
機動力を活かしたはずの白バイが、走行中の車両の取締に使われないのはそのためです。
恩を仇で返す。これが嘘も隠しもない、韓国人の姿です。
=======
【質問】
韓国最大のタブーという動画を見たのですが、1951年に韓国軍が二十万人を虐殺した国民保導連盟事件というのがあったそうですね。
詳しく教えてください。
日本には朝鮮戦争で虐殺から逃げてきた避難民がたくさん来たといいます。
日本最大の朝鮮人街大阪の猪飼野は済州島から逃げてきた「アカ」の人たちだといいますね。
助けてもらったクセに、何故、日本に敵対するようなことをするのですか?
【ベストアンサー】
保導連盟事件は、共産主義を支持した人々が転向して国家に忠誠を誓うとした保導連盟というものがあり、それが朝鮮戦争でにわかに赤狩りをするようになった韓国政府にスパイ容疑での虐殺リストとして使われた事件です。
保導連盟事件を中心に一連の事件で100万人以上が虐殺されたと言われています。
虐殺の容疑はすべて共産主義のスパイということでしたが、実際にはちょっと疑わしい程度から、権力者(憲兵など)が気にくわないというだけでどんどん虐殺されるようになり、大規模な国家による国民虐殺に繋がりました。
この虐殺は、第二次世界大戦で亡くなった朝鮮人の数よりも遙かに多かったので、これをごかますために、1970年代に軍事政権から民主主義大統領制に移行した際、日本と日本の占領制度を責めるというような方向でのガス抜きをするようになっていきました。
保導連盟事件が韓国内で口にできるようになったのは1990年ごろからで、それまでは関係者が口を開く気配があるだけで連行される時代でした。
(韓国では、戦前の日本にあった治安維持法と全く同じ法律である国家保安法があり、怪しいというだけで証拠が特になくとも逮捕も拷問も出来るように法整備されています)
済州島のは、その流れのうちでも初期の事件で、4.3事件と呼ばれるおよそ7万人が虐殺された事件です。
このときに逃げてきた人々が後の虐殺から逃れるために半島の人々を手引きしたことから、済州島出身者を中心として朝鮮人街が生まれているケースが多いのです。
一昨年、公文書館から当時外務省と韓国政府の交わした文書が発見されているのですが、これによると日本政府はこの密入国してきた韓国人たちをもてあまし、まとめて逮捕して韓国政府に引き渡すと申し入れています。
そして、韓国外務省はそれを拒絶している回答を残していました。
つまり、二国間でもてあまされた政治棄民だったわけです。
そして、日本政府は虐殺からの逃れてきた半島の人々に対して25年の滞在許可を与える決定を出します。
これに過敏に反応した在日の人々は、知恵を絞った結果、
「我々は戦前強制連行されてきた朝鮮人である」
と名乗ることにしたのです。
これは、25年後に引き渡されて殺されることが明白だったために、生き残るための知恵でした。
日本は、サンフランシスコ平和条約で「戦前から滞在している朝鮮人・台湾人に無条件で永住権を与えること」と定められているためです。
しかし、彼らには戦前から滞在していたと証明するものはありません(何せ、実際住んでいなかったのですから)。
だから「強制連行なんだから、証拠や書類なんて我々が持っているわけがない!
日本政府が無理矢理連れてきたのだから謝罪しろ!」と無理矢理な理屈でゴネたのです。
日本政府としては、強制連行された朝鮮人は二百数十人しかいないことを知っていますから文句のひとつもつけたいところですが、敗戦後の国際世論の目が光っている状態で、「日本はサンフランシスコ平和条約にけちをつけた」と言って触れ回られたくないために、渋々黙認するようになったのです。
彼らは日本政府を非難することで生き残る道を作ったので、その方針がそのまま引き継がれるようになっていきました。
ウソも突き通せば本当になると思ったのでしょうが、世の中の情報化社会への進化のほうが早くて、薄まりかけていた彼らの真実も、現在では明るみに晒されているのでした。
虐殺に関してはTRC(真実和解委員会)という団体が調査をしていますが、昨年、李明博大統領は彼らへの予算は配分しないことを宣言しており、韓国政府はこれ以上この問題を公にしたくないという態度をとっています。
========
「国民保導連盟事件」というのは、まさに朝鮮戦争の最中に起こった大規模虐殺事件です。
当時韓国の初代大統領であった李承晩(りしょうばん)が、共産主義者から転向した者達を、再教育するためにと称して「国民保導連盟」という組織を作ったのです。
要するにこの「国民保導連盟」に加入している韓国人たちは、全員が元アカ、つまり共産主義者もしくはその家族だったわけで、そういう人達に、おいしいことを言って連盟に加盟させ、人数がまとまったところで、李承晩は、その加盟員を、韓国軍と韓国警察に命じて、全員皆殺しにしたわけです。
この事件について、李承晩大統領が失脚した1960年の四月革命直後に、韓国の全国血虐殺者遺族会が、遺族たちの申告をもとに報告書を作成しています。
その報告書によると、虐殺された人数は114万人であったとされています。
また、韓国政府の「真実・和解のための過去史整理委員会(ko)」も、朝鮮戦争の初期に韓国政府が、子供を含む少なくとも10万人以上の人々を殺害し、排水溝や炭鉱や海に遺棄したことを認めています。
公開された米軍の機密書類には、この虐殺時に米軍将校が立会ったことや、虐殺を承認した事実などの詳細の記録があり、また英国軍の役人や、豪州人による目撃記録もあります。
つまり、韓国軍による自国民の大量虐殺が行われたことは、まぎれもない事実なのです。
韓国政府は、2012年の現代に至っても、自国にあったこの歴史を国民に隠蔽し続けています。
それどころか、大量虐殺の遺体写真などを、あたかも日本軍による蛮行であったかのように偽装し、国民をたぶらかし続けています。
また一方、この事件を逃れて難民として日本に不法入国してきたのが、いま日本にいる在日朝鮮人たちです。
日本は、彼らを保護し様々な恩恵を与え続けてきましたが、彼らはそれをいいことに、日本社会を食い物にし続けてきました。
そして戦後に日本に密航してきた不法入国者であるにも関わらず、自分たちは戦前に日本に強制連行されたのだと嘘を尽き続けています。
人を騙すことが平気な在日韓国人と、人と信頼し合うことを大切にする日本人。
日本人はいいように利用され続けてきたのが「国民保導連盟事件」以後の60年です。
歳月経ち、いまでは在日の三代目が社会人となっています。
普通、三代経てば、だいたい郷に入って郷に従うようになる。
けれど在日韓国人というのは、支那人と同じで、どこまでも郷に入って郷に従わない民族です。
いろいろな問題はあろうかと思いますが、私は、少なくとも在日韓国人の通名だけは一切認めず、仮に帰化していたとしても、韓国系日本人、朝鮮系日本人と、ちゃんとわかるように区別ができるように、法制度を変えるべきだと思っています。
そうでなければ、日本人の安全で安心な生活は担保できない。
今日は、そのことを強く申上げたいと思います。
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