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「房総の頼朝伝説」という本を読んでて思った色々(^ω^) [中世の豪族 房総 眞田氏(佐奈田)]

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最近、笹生 浩樹氏 著「房総の頼朝伝説」を、
通勤の地下鉄内で、懐かしさと共にじっくりと読み込んでます(´∀`)

自分の故郷でもある、房総半島南部は、
「イイクニ作ろう鎌倉幕府」で有名な、源頼朝公の伝説が多い地域です
彼は、弟の義経さんを殺した兄として、
また、非常に残酷な決断を下す人物として、しばしば冷淡な人と思われがちなようですが、
少なくとも自分の故郷では、そんな見方をする人はおらず、
共に戦った英雄、気さくな人、弱さも持った人間臭い人、
そして頼りになる大将というイメージなんじゃないかな、
かなりプラスイメージで捉えられていると思います

源頼朝さんは、混沌とした平安時代末、治承4年(1180年)に、
当時の世間を牛耳っていた伊勢平氏、いわゆる平清盛公を中心とする平家に対し、
クーデターを起こしたわけですが、石橋山の戦で敗退、
そして落武者となった源頼朝さんは山中に逃げ込み、
再起を図るために、味方の多い房総半島南部の安房国に、船で渡ってきました

安房を始めとする当時の日本の東国は、
まー簡単にいうと「地方」ということでかなり色々と都=伊勢平氏に虐げられていたようで、
地元の豪族連中も不平不満で一杯だったようでして、、
そんな背景もあり、
東国の豪族が源頼朝さんを担ぎ上げ、クーデターに参加したわけですね

あー、ちなみにこの石橋山の戦は中々にひどいもので、、
蓋を開けたらおおよそ無謀な戦だったようでして・・
まー天候の悪化で、予定通り味方が集結出来なかったため、
敵に対し1/10程の戦力で戦ったわけで、、
その割には大将(頼朝さん)を逃すことが出来て、まー、よく善戦したよなぁと
その際、佐奈田与一さんという、ウチの身内とも言える武将が戦死してます(;´∀`)

そして房総半島の安房国に渡ってきた頼朝さんは、
この地が、頼朝さんの味方でもある三浦党牛耳る安全地帯という側面もあり、
ここを起点に上総や下総、武蔵国などの豪族達に協力を乞う書状や特使を出しています

そこからの歴史は、一般の教科書などで書かれている通り、
雪だるま式にアンチ平家の豪族達が集結、
鎌倉入りを果たしました(^ω^)

あー、話は前後しますがこの時代、
安房国内でも長狭さんという豪族だけは伊勢平氏側についており、
頼朝さんが安房国に入った折、夜襲をかけようとしたようです
ただそれは事前に察知され、アンチ伊勢平氏(アンチ平家)軍団で一気に滅ぼしたと・・
この場所は、鴨川市の一戦場公園のあたりですねー

房総の頼朝伝説

房総の頼朝伝説

  • 作者: 笹生 浩樹
  • 出版社/メーカー: 冬花社
  • 発売日: 2013/07
  • メディア: 単行本





    まーなにはともあれ、この本を読んでると、
    本当に安房をはじめとした房総人は、

自分も含めて頼朝さんが好きなんだよなーと感じますわ、
また、自分にとって、よく見た風景や遺跡が写真で載ってますし、
今イチ知らなかった史跡の由来なども詳しく書かれています


あー、そして以下、雑談!
こんな荒くれた時代の狭間に、自分の直系の先祖はどこにいたか?
実は、この伊勢平氏(平家)についてた長狭六郎常伴さんの領地と隣接する境界線、
「三原郷」と呼ばれる、南北に長いこの里の領主をしてました
領主といっても、安西さんや丸さん、神余さんらが表向き仕切る安房国、
その中の小領主として、ちょっと前に相模国の佐奈田村(現 平塚市真田)から、
土着の佐奈田の本家総出で引っ越してきたようです
領地はかなり広くはなりましたが、ある意味「敵」との最前線に布陣したんですよねー
頼朝さんが安房に渡ってきた時に、ウチがどういう動きをしてたかなどの詳細な話については、
郷土史にも、ウチの口伝や家伝にも特には見当たりませんが、
時代的にも、この楔(くさび)を打ち込むような防波堤のような布陣をすること自体、
意味がないわけはないでしょうね、
また、ウチの先祖が三原郷にに突然布陣して早々に、城(館城)や菩提寺、諏方神社建立など、
どう考えてもお金のかかるものをホイホイ作ってます
この辺りも、三浦党全体からの、資金を始めとした様々な手厚い協力・援助があったんじゃないかな?とか

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まー、そんな三原郷に引っ越してきた我々佐奈田さん一家(現在は眞田/真田表記)ですが、
三浦党の桓武平氏の一豪族として、敵対関係にある長狭さんの真ん前に立つことで、
長狭さんとも何度か和平交渉じみた話し合いの場にも同席してたんじゃないかな
時には一緒に彼ら伊勢平氏側に与する豪族達と酒を呑み宴を催してたかもしれない
隣接する長狭氏本人とは、時には和田浦や江見、太海の磯場で、
一緒に魚釣りでもしながら世間話(密談?)でもしてたかもしれない
だって、長狭さんからしたら、ウチは三浦党(彼から見て敵対勢力)最前線の土豪なんで興味津々、
巧く長狭さん側に取り込めれば、敵対勢力の三浦党のフォーメィションを崩せて、
長狭さんらにとっても武がよくなるわけですしねw
余談ですが、こういうパワーバランス的な考え方は、大人になり、そして社会人になり、
実際にそのようなビジネス上の駆け引きを多々するようになって、
実感としてよく分かるようになってきましたw
相手は大豪族の長狭氏、
その最前線にいたウチの先祖なら、
むやみに潰されないように案外「お隣さん」としてソツなくシタタカに、
どっちともつかない態度で、ヤンワリと交流してたんじゃないかな、とか、
で、しっかり長狭さんの動向だけは追ってるとwww

まー、以下、あくまで空想だけど、
長狭さんが頼朝さんに夜襲かけようと企てたのをチクったのは
案外ウチの先祖かもなーなんて思ってますwww

ある日、尾根道を伝い、
三原郷に不意に遊びにきた長狭さんは言いました

源吾殿、
ワシは清盛様への手土産に、
頼朝公の御首を頂戴する所存じゃ、
源吾殿もワシらにつかれよ!
さすれば房州も安泰、
佐奈田(眞田)の家も
未来永劫安泰であろう!( ー`дー´)キリッ

とか・・

で、先祖
(お!ビジネスチャンスの(゚∀゚)ヨカーン!)
うむうむ、
長狭殿の(^ω^ ≡ ^ω^)おっおっおっしゃる通りです
がしかし、しばし猶予をくだされぃ!
あーちなみに、
何時にどこで待ち合わせですか?(; ・`ω・´)

まで聞いといて

そして時が経ち、いざその日の黄昏時、、
長狭さんは、頼朝さんがいるとこに兵隊動かしながら
「サナダのヤツ、マジ来ねーなおい(´Д`)y-~」とか思いつつ夜襲に向かう面前に

先祖 待ち合わせ場所に着
長狭殿ーー!来ましたー!ヽ(=´▽`=)ノ

長狭氏
おぉ!佐奈田殿!!
やはり来てくださったか!!(゚∀゚;)=3 


先祖
お友達もいっぱい連れてきましたーー!
ワーイヽ(゚∀゚)メ(゚∀゚)メ(゚∀゚)ノワーイ


長狭氏
あ!?!?・・・源氏の白旗
佐奈田どの あぁーーーーっ(´;ω;`)


(突然)三浦義澄氏 乱入
長狭六郎常伴殿とお見受けした、お命覚悟!!

長狭氏
ひーーーーっ!
サナダのウラギリモノーーーー!!


先祖
すいません、娘が三浦の家に嫁いでるんで
やっぱムリです(*´σー`)エヘヘ

・・・なーんてねw
さすがにここまでギャグマンガみたいじゃないだろうけど、
様々な情報が錯綜している渦中、
意外と近いものはあったんじゃないかな?とか勝手に想像して楽しんでおります
※この先祖と長狭氏とのやりとりは史実じゃないです、私の勝手な空想です念のためww

あー下らないヨタ話にお付き合いいただき有難うございました(-人-)


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