SSブログ

当時の一族の当主 眞田隼人佑さんに正木信茂さんから送られた書状(古文書) [中世の豪族 房総 眞田氏(佐奈田)]

この古びた書状は、正木信茂さんという里見氏配下の有力な武将から、
当時の私達一族の代表者に送られた書状です
書状が書かれた時代は、正木信茂さんが家督を継いでから没するまでの期間だとすると、
永禄4年(1561年)頃から永禄7年(1564年)頃の3~4年の間じゃないでしょうかね
正木信茂さんは、第二次国府台合戦(市川市)の際に戦死、享年25歳でした
この書状は、一時、館山市立博物館でも展示されていました
bousou-sanada-komonjyo.jpg
この時代の私達一族の代表者、つまり「当主」は、こちらの眞田隼人佑さんのようでして、、
彼は大永・享禄の頃、つまり分かりやすく西暦にすると1521年~1531年の頃に、当時の房総半島の有力な戦国武将「里見家」「正木家」の家臣団となりました
そしてこの房総眞田の本家・本家筋は、正木氏に同行する形で、平安時代末期から住み続けた安房国朝夷郡三原郷を後にして、その拠点を当時の大多喜町(小田喜)や勝浦市に移したのです
( まぁその後、また安房国の三原郷に戻ってきちゃうんですがね '`,、('∀`) '`,、 )

ちなみにこの「隼人佑」という名ですが、これは明らかに官位名でしょうね
官位からみると、正八位上となり、かなり下の位になります
しかし時代を遡ること室町時代、1423年(応永30年)の房総眞田家の当主として「刑部左衛門尉」を名乗る武将が郷土史に名を連ねてますし、その後に「兵部少輔」と名乗る人もいる
また、こちらの隼人佑さん以降、正木氏や里見氏の重鎮となった房総眞田の本家・本家筋の中には、遥かに格の高い従五位下の位「信濃守」や「尾張守」「三河守」を名乗る人物も出てきました
・・つまるところ、この隼人佑さんの時代、私達「房総眞田」は、一族揃ってかなり衰退していたんじゃないでしょうか
平安時代の末期から350年ほどの長い間、安房国朝夷郡の三原郷の開拓領主として地域に君臨してきましたが、戦国時代になると、かなり困窮していた様子が垣間見えるような気がしますわ
だから下克上の勢いにのった境井兄弟のような輩に、城のひとつを占拠されるような事件(とうしろ台を占拠された史実)があったわけですしね・・
でもまぁこの後、里見氏・正木氏と組むことで、彼らの家臣となり取り込まれることで一族は息を吹き返し、高い官位を名乗れるまでになったということでしょう
なんで官位を気にするかというと、戦国時代の官位とは、ある程度「金」や「家格」で手に入れるところがあったようで、もはや律令制が出来た頃の面影だけが残り、官位相当として家格を表す基準のようになっていたようです
(またこの時代には、勢いで勝手に官位を名乗る武将もいたらしいです(;´∀`)アチャー)

あー、話を戻しますと、つまり隼人佑さんがこの時代の房総眞田家の当主ということになると、、ようは一族にとってはかつての栄光どこぞ!?といったことであり、家格も落ち、お金も勢いもなく・・
しかし彼の後に続く主だった一族の武将の官位が極端に上がっていることから、隼人佑さんの代で一族の家格は一気にV字回復、つまり彼は起死回生を果たした英雄だと読み取れるんですよ

そして彼は、終生この「隼人佑」という官位を捨てなかったようですね
それは彼を雇用したことになる正木時綱(通綱)さんの時代から時綱さんの孫にあたる、冒頭の書状を送ってくれた正木信茂さんの時代まで、隼人佑さん自身も若武者の頃からそれこそ年寄りになるまで実に40年以上もの間、この官位で通しているんですしね
V字回復を果たした一族の当主ともなれば、それなりに家格も上がっただろうから、官位なんてどうにでもなるだろうになー
眞田隼人佑さんとは、実は質実剛健、そして質素を好む素朴で実直な方だったのかもしれない、、
なにより衰退していた頃の一族の、その辛かった時期を忘れない心の持ち主かもな、それとも只々子孫が栄えてくれればいいという父性に満ちた方だったのか、、
そしてこの官位に、ひとしおの思い入れがあったのもしれませんね・・

あ、そうそう、上記の「官位」に関する考察が間違ってたらすいません
色々モノの本などを読んで、このような理解に至った次第です
戦国時代に生き、一族をまさに復興させた眞田隼人佑さんは個人的にも興味深々、
そんな彼に対し、自分は一族のハシクレとして畏敬の念を持ち、上記のように理解しているという次第です
(^ω^)


【参考】

官位一覧
http://www.geocities.jp/somanoho/kani.htm
武家官位
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%AE%B6%E5%AE%98%E4%BD%8D
官位
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%98%E4%BD%8D


【関連日記】
三浦党 房総眞田氏、郷土史などに出てくる先人達の名
http://sanadado.blog.so-net.ne.jp/2014-09-30
中世から近世、小豪族のウチ「房総 佐奈田/眞田」先祖達の生き残りの歴史
http://sanadado.blog.so-net.ne.jp/2012-07-19
三原眞田 / 三浦眞田の故郷 安房の三原郷
http://sanadado.blog.so-net.ne.jp/2015-12-10-1
中世豪族 眞田氏の三原城 そして神田山の三原城山城
http://sanadado.blog.so-net.ne.jp/2013-01-01
中世豪族 眞田氏のやぐら・磨崖{まがい}五輪塔 南房総市指定史跡
http://sanadado.blog.so-net.ne.jp/2013-04-20-1
眞田、真田、佐奈田、、サナダという地名と名字の由来
http://sanadado.blog.so-net.ne.jp/2009-09-20-1
佐奈田与一(眞田与一)の子孫について
http://sanadado.blog.so-net.ne.jp/2011-07-13
房総の眞田一族にも六文銭を家紋に使う家系があります
http://sanadado.blog.so-net.ne.jp/2011-07-13-1
【雑談所】やる夫が真田家に生まれたようです 雑談所その10 【2ちゃんねる より抜粋】
http://sanadado.blog.so-net.ne.jp/2015-01-14-1

[中世の豪族 房総 眞田氏(佐奈田)]カテゴリ一覧
http://sanadado.blog.so-net.ne.jp/archive/c2300213675-1


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:地域

nice! 0

コメント 0

コメントの受付は締め切りました