三原郷の鎮守の社 諏訪神社 [中世の豪族 房総 眞田氏(佐奈田)]
ウチの遠いご先祖さんは、平安時代の終わりに相模国 大住郡の岡崎郷佐奈田村(眞田村)から安房国の朝夷郡 三原郷へと、今の地名で言うと神奈川県の平塚市真田から千葉県の南房総市和田町の三原川一帯に渡ってきて土着した、三浦一族の幾つかある土豪のうちの一つで所謂典型的な『開拓領主』の家ですが、その先祖がこの地に根を下ろす過程で、早い段階で菩提寺(正文寺)と鎮守の社である諏訪神社を建立して、地域との連携を図っております。
つい昨日なのですが、ふと思い立ち、そのご先祖が建立したという伝承がある和田町の中三原の諏訪神社に、久しぶりに家族でお詣りに行ってきました。
私は過去に何度かお詣りに伺っていたのですが、結婚してからは子供が小さく中々行けず、今回凡そ10年ぶりのお詣りです。奥さんや子供にとっては初めてのお詣りですね。
実をいいますと、私自身はこちらに伺うのは面倒なわけじゃなかったのですが、ここの参道が中々クセがありまして、、行けばすぐに分かるのですが、参道の途中の坂が何か所か角度が急な上に、コンクリート張りの舗装が災いして雨などの悪天候下、そして雨上がりなどではめちゃくちゃ足元が滑りやすく、、小さい子を連れていくにはやや難易度が高かったのです。
そして以下が、貞応年間(1222~24)に和田町中三原唐ケ作に建立された『諏訪神社』になります。
民家の横にある鳥居を抜けて、参道は山の奥に続いています。
コンクリート張りの参道は苔むしていますし、雨の後などは足元が滑りやすく、慣れないとちょっと危険かもしれません。
そのコンクリートの道も、神社の灯篭の少し手前で途切れ、その先は土がむき出しになります。山の中だけあり、苔やシダが繁茂する参道を抜け、社に向います。
『となりのトトロ』、いやコレは明らかに『もののけ姫』の世界ですね。私はこちらの社とご縁があることを知っているので怖さは全く感じませんが、初めて行くと、この独特の雰囲気に圧倒されるかもしれません。
圧倒されるといえば、ウチの子供は怖がっていました。まぁ生まれた時から人やモノに溢れた街で育ってますからね、ある意味『都会っ子』なのでしょう、でもすぐに慣れたようで、気付いたらこの鎮守の森を元気に走り回ってました。
因みに今の社殿は、西暦1558年に安房里見氏が修繕したものです。1222年から336年が過ぎ、大分朽ち果ててしまっていたんでしょうね。しかし建て直しではなく修繕なので、社の木材などには凡そ800年前の、1222年建立当時のものがまだたくさん残っているんじゃないでしょうか。
この社を写真で見ると、縦に四角いこともあり比較的こじんまりとして見えますが、実際はそれなりに大きい木造建造物です。そばに人が立つと、その大きさが分かりやすいです。
社から参道を振り返ったところです、本当に山の中なのです。
【関連日記】
三浦党 房総眞田氏、郷土史などに出てくる先人達の名
https://sanadado.blog.ss-blog.jp/2014-09-30
中世から近世、小豪族のウチ「房総 佐奈田/眞田」先祖達の生き残りの歴史
https://sanadado.blog.ss-blog.jp/2012-07-19
三原眞田 / 三浦眞田の故郷 安房の三原郷
https://sanadado.blog.ss-blog.jp/2015-12-10-1
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三原郷の鎮守の社 諏訪神社
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眞田、真田、佐奈田、、サナダという地名と名字の由来
https://sanadado.blog.ss-blog.jp/2009-09-20-1
佐奈田与一(眞田与一)の子孫について
https://sanadado.blog.ss-blog.jp/2011-07-13
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【雑談所】やる夫が真田家に生まれたようです 雑談所その10 【2ちゃんねる より抜粋】
https://sanadado.blog.ss-blog.jp/2015-01-14-1
[中世の豪族 房総 眞田氏(佐奈田)]カテゴリ一覧
https://sanadado.blog.ss-blog.jp/archive/c2300213675-1
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そして以下が、貞応年間(1222~24)に和田町中三原唐ケ作に建立された『諏訪神社』になります。
民家の横にある鳥居を抜けて、参道は山の奥に続いています。
コンクリート張りの参道は苔むしていますし、雨の後などは足元が滑りやすく、慣れないとちょっと危険かもしれません。
そのコンクリートの道も、神社の灯篭の少し手前で途切れ、その先は土がむき出しになります。山の中だけあり、苔やシダが繁茂する参道を抜け、社に向います。
『となりのトトロ』、いやコレは明らかに『もののけ姫』の世界ですね。私はこちらの社とご縁があることを知っているので怖さは全く感じませんが、初めて行くと、この独特の雰囲気に圧倒されるかもしれません。
圧倒されるといえば、ウチの子供は怖がっていました。まぁ生まれた時から人やモノに溢れた街で育ってますからね、ある意味『都会っ子』なのでしょう、でもすぐに慣れたようで、気付いたらこの鎮守の森を元気に走り回ってました。
因みに今の社殿は、西暦1558年に安房里見氏が修繕したものです。1222年から336年が過ぎ、大分朽ち果ててしまっていたんでしょうね。しかし建て直しではなく修繕なので、社の木材などには凡そ800年前の、1222年建立当時のものがまだたくさん残っているんじゃないでしょうか。
この社を写真で見ると、縦に四角いこともあり比較的こじんまりとして見えますが、実際はそれなりに大きい木造建造物です。そばに人が立つと、その大きさが分かりやすいです。
社から参道を振り返ったところです、本当に山の中なのです。
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