遠い遠い先祖のお墓 摩崖の五輪塔にお参り [中世の豪族 房総 眞田氏(佐奈田)]
ちょっと前に、ウチの家に所以のある南房総市和田町の神社にお詣りに行ってきたことをここで書きましたが、その序でというわけではないですが、やはり遠い先祖の供養塔と云われる、すぐそばのお寺『正文寺』にある摩崖の五輪塔にもお参りに行ってきました。
このお寺は『安元(あんげん)・治承(ちしょう)(1175~1180)の頃、当地の豪族真田氏の菩提寺として創建された禅宗の寺』と云われておりますが、一説にはその時代の豪族、直内原吉さんが創建し、そこにこの地の領主だったウチの遠い先祖の供養塔(摩崖の五輪塔)が建てられ、先祖の菩提寺になったとも云われています。
お寺のお墓の一番奥の崖の中腹に供養塔はあります。伝承ではこの山(丘)の上に、平安時代後期から先祖の館があったということです。今では竹藪になっており、その向こうは主に畑で、当時の面影は既に全くありません。
山の斜面に横穴を掘り、そこに摩崖の五輪塔を作る様式は、典型的な鎌倉時代の土着武士、鎌倉武士のお墓の作りなのだそうです、まぁ先祖は平安末期に元々相模国からこっちに渡ってきましたし、その後も同じ三浦一族として、浦賀水道を挟んで盛んに交流していたでしょうし、当然といえば当然の形態かと思われます。
この五輪塔が建立された時代については、郷土史研究家によると14世紀(鎌倉~南北朝期)に造られたと推定されているようですが、ウチの言い伝えでは諏訪神社建立の時期と同様に1200年代、つまり13世紀だと云われております。
こちらは南房総市の市指定文化財になっておりますが、ずっと前にお寺にお願いして、線香台だけ置かせていただきました。たまに行く際、お線香を上げさせていただいております。
家族みんなで(-人-) ナムナムナムナム‥
【関連日記】
三浦党 房総眞田氏、郷土史などに出てくる先人達の名
https://sanadado.blog.ss-blog.jp/2014-09-30
中世から近世、小豪族のウチ「房総 佐奈田/眞田」先祖達の生き残りの歴史
https://sanadado.blog.ss-blog.jp/2012-07-19
三原眞田 / 三浦眞田の故郷 安房の三原郷
https://sanadado.blog.ss-blog.jp/2015-12-10-1
中世豪族 眞田氏の三原城 そして神田山の三原城山城
https://sanadado.blog.ss-blog.jp/2013-01-01
中世豪族 眞田氏のやぐら・磨崖{まがい}五輪塔 南房総市指定史跡
https://sanadado.blog.ss-blog.jp/2013-04-20-1
三原郷の鎮守の社 諏訪神社
https://sanadado.blog.ss-blog.jp/2021-09-06
眞田、真田、佐奈田、、サナダという地名と名字の由来
https://sanadado.blog.ss-blog.jp/2009-09-20-1
佐奈田与一(眞田与一)の子孫について
https://sanadado.blog.ss-blog.jp/2011-07-13
房総の眞田一族にも六文銭を家紋に使う家系があります
https://sanadado.blog.ss-blog.jp/2011-07-13-1
【雑談所】やる夫が真田家に生まれたようです 雑談所その10 【2ちゃんねる より抜粋】
https://sanadado.blog.ss-blog.jp/2015-01-14-1
[中世の豪族 房総 眞田氏(佐奈田)]カテゴリ一覧
https://sanadado.blog.ss-blog.jp/archive/c2300213675-1
安房国 朝夷郡 三原郷 鎌倉時代最盛期の勢力範囲(現:南房総市和田町と鴨川市江見 周辺)
正文寺(普門寺)
千葉県南房総市和田町中三原270
このお寺は『安元(あんげん)・治承(ちしょう)(1175~1180)の頃、当地の豪族真田氏の菩提寺として創建された禅宗の寺』と云われておりますが、一説にはその時代の豪族、直内原吉さんが創建し、そこにこの地の領主だったウチの遠い先祖の供養塔(摩崖の五輪塔)が建てられ、先祖の菩提寺になったとも云われています。
お寺のお墓の一番奥の崖の中腹に供養塔はあります。伝承ではこの山(丘)の上に、平安時代後期から先祖の館があったということです。今では竹藪になっており、その向こうは主に畑で、当時の面影は既に全くありません。
山の斜面に横穴を掘り、そこに摩崖の五輪塔を作る様式は、典型的な鎌倉時代の土着武士、鎌倉武士のお墓の作りなのだそうです、まぁ先祖は平安末期に元々相模国からこっちに渡ってきましたし、その後も同じ三浦一族として、浦賀水道を挟んで盛んに交流していたでしょうし、当然といえば当然の形態かと思われます。
この五輪塔が建立された時代については、郷土史研究家によると14世紀(鎌倉~南北朝期)に造られたと推定されているようですが、ウチの言い伝えでは諏訪神社建立の時期と同様に1200年代、つまり13世紀だと云われております。
こちらは南房総市の市指定文化財になっておりますが、ずっと前にお寺にお願いして、線香台だけ置かせていただきました。たまに行く際、お線香を上げさせていただいております。
家族みんなで(-人-) ナムナムナムナム‥
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衛星写真で見た、三原城周辺
平安時代後期の先祖達の足跡(そくせき)※郷土史と家伝による
平安時代後期の先祖達の足跡(そくせき)※郷土史と家伝による
安房国 朝夷郡 三原郷 鎌倉時代最盛期の勢力範囲(現:南房総市和田町と鴨川市江見 周辺)
正文寺(普門寺)
千葉県南房総市和田町中三原270
タグ:墓参り 鎌倉時代 室町時代 戦国時代 平安時代 南北朝時代 市指定文化財 豪族 史跡探訪 三浦党 桓武平氏 正文寺 眞田 佐奈田 三原郷 三浦真田 房総真田 相模真田 三原真田 土豪 小豪族 南房総市和田町 鎌倉武士 御原郷 開拓領主 武装貴族 千葉県南房総市 磨崖の五輪塔 850年前の墓 Japanese tradition KAMAKURA tomb samurai bushi tombstone A.D.1175 Miura clan Sanada clan ancestor musha japanese traditional history of Japan Samurai Kamakura Grave Grave marker Sanada family
『餃子の王将』餃子が本当にうまいね!8人前食べました [外食など]
京都の知人から『王将の餃子は安くて本当に旨い!』と前々から熱烈に勧められ、行ってみたら確かに彼のいう通り本当に安くて美味しかったので、以来ちょこちょこと食べにいくようになり今に至りますが、つい先日そんな知人からちょっと驚く話を、、いやいや『知人』というには恐れ多いな、ふとしたきっかけで出会った『清和天皇の直系56代目の子孫』の方なんですがね、彼が何より『餃子の王将』の大ファンでして、そんな彼からちょっとビックリするような話を聞き、自分でもどうしても試してみたくなったんです。
どんな話かというと、ある日、彼がお年を召したお母さんといつもの『餃子の王将』に行くと、どっかの細っこいお爺さんが一人で黙々と餃子を食べてたそうです。しかし何が驚くってその量でして、細くてヨボヨボなのに8人前を黙々と食べきっちゃったらしいんですよ。
私もこういうお店に行くと何故かスイッチが入り突発的に大食いになりますが、それにしても王将餃子を8人前も食べれるものなのかと・・、でも待てよ?前に王将で餃子をたくさん食べたときは、なんというか呑むように食べれる餃子だったよな、だったら8人前ぐらい軽くイケるかな?、ひょっとしたら10人前でもあっけなく食べきれるかもしれないなぁと・・
そこまで考えちゃうとどうしても試したくなるのが人情、早速仕事の合間をみて、更にこの時期ですので混んでいる時間帯を外して行ってきた次第であります。
オーダーは、餃子定食ノーマル餃子ダブルに1人前追加でノーマル餃子合計3人前、にんにくゼロ生姜餃子を3人前、にんにく激増し餃子を2人前の計8人前です。
お店のおねーさんがこのオーダーに戸惑いをみせていたのが印象的でした。
3つの皿に盛られた8人前の王将餃子は中々壮観です。壮観・・壮観というより何だかちょっと三葉虫のようにも見えますね。3匹の三葉虫だなぁー。
こうしてみると焦げ色が違うんですよね、こちらの王将では過去にも数回餃子を頼んでいますが、なぜかニンニク餃子だけは他の餃子に比べ、毎回少し焦げ気味になるようです。火の通し時間が他の餃子、ノーマル餃子や生姜餃子と違うのかもしれませんね。
そして8人前の餃子と普通盛りのご飯は、私はどうにか食べきれました。ホントにどうにかって感じでお腹がパンパンになりました。餃子だけなら10人前は何とかイケそうだと思えつつも、やはりこの餃子の油のせいで最後の方にはどうしてもクドくなり、最終的にはきつく感じるんじゃないかと思います。それにしても京都の餃子8人前を食べるお爺さんスゴイよなぁ、これを黙々と食べきるのか・・。
因みに最近の私自身は、人並みに多少は健康を考えるようになり腹八分目を意識しており、且つご飯も玄米ご飯などをよく食べるようにしていますが、そんな中で久しぶりに大食いが出来て楽しかったです。
餃子の王将さん、餃子サイコーに美味しかったです!
ご馳走様でした!(-人-)
・・次回、10人前いっちゃうかな?
餃子の王将
https://www.ohsho.co.jp/
どんな話かというと、ある日、彼がお年を召したお母さんといつもの『餃子の王将』に行くと、どっかの細っこいお爺さんが一人で黙々と餃子を食べてたそうです。しかし何が驚くってその量でして、細くてヨボヨボなのに8人前を黙々と食べきっちゃったらしいんですよ。
私もこういうお店に行くと何故かスイッチが入り突発的に大食いになりますが、それにしても王将餃子を8人前も食べれるものなのかと・・、でも待てよ?前に王将で餃子をたくさん食べたときは、なんというか呑むように食べれる餃子だったよな、だったら8人前ぐらい軽くイケるかな?、ひょっとしたら10人前でもあっけなく食べきれるかもしれないなぁと・・
そこまで考えちゃうとどうしても試したくなるのが人情、早速仕事の合間をみて、更にこの時期ですので混んでいる時間帯を外して行ってきた次第であります。
オーダーは、餃子定食ノーマル餃子ダブルに1人前追加でノーマル餃子合計3人前、にんにくゼロ生姜餃子を3人前、にんにく激増し餃子を2人前の計8人前です。
お店のおねーさんがこのオーダーに戸惑いをみせていたのが印象的でした。
3つの皿に盛られた8人前の王将餃子は中々壮観です。壮観・・壮観というより何だかちょっと三葉虫のようにも見えますね。3匹の三葉虫だなぁー。
こうしてみると焦げ色が違うんですよね、こちらの王将では過去にも数回餃子を頼んでいますが、なぜかニンニク餃子だけは他の餃子に比べ、毎回少し焦げ気味になるようです。火の通し時間が他の餃子、ノーマル餃子や生姜餃子と違うのかもしれませんね。
そして8人前の餃子と普通盛りのご飯は、私はどうにか食べきれました。ホントにどうにかって感じでお腹がパンパンになりました。餃子だけなら10人前は何とかイケそうだと思えつつも、やはりこの餃子の油のせいで最後の方にはどうしてもクドくなり、最終的にはきつく感じるんじゃないかと思います。それにしても京都の餃子8人前を食べるお爺さんスゴイよなぁ、これを黙々と食べきるのか・・。
因みに最近の私自身は、人並みに多少は健康を考えるようになり腹八分目を意識しており、且つご飯も玄米ご飯などをよく食べるようにしていますが、そんな中で久しぶりに大食いが出来て楽しかったです。
餃子の王将さん、餃子サイコーに美味しかったです!
ご馳走様でした!(-人-)
・・次回、10人前いっちゃうかな?
餃子の王将
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三原郷の鎮守の社 諏訪神社 [中世の豪族 房総 眞田氏(佐奈田)]
ウチの遠いご先祖さんは、平安時代の終わりに相模国 大住郡の岡崎郷佐奈田村(眞田村)から安房国の朝夷郡 三原郷へと、今の地名で言うと神奈川県の平塚市真田から千葉県の南房総市和田町の三原川一帯に渡ってきて土着した、三浦一族の幾つかある土豪のうちの一つで所謂典型的な『開拓領主』の家ですが、その先祖がこの地に根を下ろす過程で、早い段階で菩提寺(正文寺)と鎮守の社である諏訪神社を建立して、地域との連携を図っております。
つい昨日なのですが、ふと思い立ち、そのご先祖が建立したという伝承がある和田町の中三原の諏訪神社に、久しぶりに家族でお詣りに行ってきました。
私は過去に何度かお詣りに伺っていたのですが、結婚してからは子供が小さく中々行けず、今回凡そ10年ぶりのお詣りです。奥さんや子供にとっては初めてのお詣りですね。
実をいいますと、私自身はこちらに伺うのは面倒なわけじゃなかったのですが、ここの参道が中々クセがありまして、、行けばすぐに分かるのですが、参道の途中の坂が何か所か角度が急な上に、コンクリート張りの舗装が災いして雨などの悪天候下、そして雨上がりなどではめちゃくちゃ足元が滑りやすく、、小さい子を連れていくにはやや難易度が高かったのです。
そして以下が、貞応年間(1222~24)に和田町中三原唐ケ作に建立された『諏訪神社』になります。
民家の横にある鳥居を抜けて、参道は山の奥に続いています。
コンクリート張りの参道は苔むしていますし、雨の後などは足元が滑りやすく、慣れないとちょっと危険かもしれません。
そのコンクリートの道も、神社の灯篭の少し手前で途切れ、その先は土がむき出しになります。山の中だけあり、苔やシダが繁茂する参道を抜け、社に向います。
『となりのトトロ』、いやコレは明らかに『もののけ姫』の世界ですね。私はこちらの社とご縁があることを知っているので怖さは全く感じませんが、初めて行くと、この独特の雰囲気に圧倒されるかもしれません。
圧倒されるといえば、ウチの子供は怖がっていました。まぁ生まれた時から人やモノに溢れた街で育ってますからね、ある意味『都会っ子』なのでしょう、でもすぐに慣れたようで、気付いたらこの鎮守の森を元気に走り回ってました。
因みに今の社殿は、西暦1558年に安房里見氏が修繕したものです。1222年から336年が過ぎ、大分朽ち果ててしまっていたんでしょうね。しかし建て直しではなく修繕なので、社の木材などには凡そ800年前の、1222年建立当時のものがまだたくさん残っているんじゃないでしょうか。
この社を写真で見ると、縦に四角いこともあり比較的こじんまりとして見えますが、実際はそれなりに大きい木造建造物です。そばに人が立つと、その大きさが分かりやすいです。
社から参道を振り返ったところです、本当に山の中なのです。
【関連日記】
三浦党 房総眞田氏、郷土史などに出てくる先人達の名
https://sanadado.blog.ss-blog.jp/2014-09-30
中世から近世、小豪族のウチ「房総 佐奈田/眞田」先祖達の生き残りの歴史
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眞田、真田、佐奈田、、サナダという地名と名字の由来
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佐奈田与一(眞田与一)の子孫について
https://sanadado.blog.ss-blog.jp/2011-07-13
房総の眞田一族にも六文銭を家紋に使う家系があります
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私は過去に何度かお詣りに伺っていたのですが、結婚してからは子供が小さく中々行けず、今回凡そ10年ぶりのお詣りです。奥さんや子供にとっては初めてのお詣りですね。
実をいいますと、私自身はこちらに伺うのは面倒なわけじゃなかったのですが、ここの参道が中々クセがありまして、、行けばすぐに分かるのですが、参道の途中の坂が何か所か角度が急な上に、コンクリート張りの舗装が災いして雨などの悪天候下、そして雨上がりなどではめちゃくちゃ足元が滑りやすく、、小さい子を連れていくにはやや難易度が高かったのです。
そして以下が、貞応年間(1222~24)に和田町中三原唐ケ作に建立された『諏訪神社』になります。
民家の横にある鳥居を抜けて、参道は山の奥に続いています。
コンクリート張りの参道は苔むしていますし、雨の後などは足元が滑りやすく、慣れないとちょっと危険かもしれません。
そのコンクリートの道も、神社の灯篭の少し手前で途切れ、その先は土がむき出しになります。山の中だけあり、苔やシダが繁茂する参道を抜け、社に向います。
『となりのトトロ』、いやコレは明らかに『もののけ姫』の世界ですね。私はこちらの社とご縁があることを知っているので怖さは全く感じませんが、初めて行くと、この独特の雰囲気に圧倒されるかもしれません。
圧倒されるといえば、ウチの子供は怖がっていました。まぁ生まれた時から人やモノに溢れた街で育ってますからね、ある意味『都会っ子』なのでしょう、でもすぐに慣れたようで、気付いたらこの鎮守の森を元気に走り回ってました。
因みに今の社殿は、西暦1558年に安房里見氏が修繕したものです。1222年から336年が過ぎ、大分朽ち果ててしまっていたんでしょうね。しかし建て直しではなく修繕なので、社の木材などには凡そ800年前の、1222年建立当時のものがまだたくさん残っているんじゃないでしょうか。
この社を写真で見ると、縦に四角いこともあり比較的こじんまりとして見えますが、実際はそれなりに大きい木造建造物です。そばに人が立つと、その大きさが分かりやすいです。
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