【藤岡弘、参上!】武者行列 2016年 第42回大多喜お城まつりに行ってきた(((゚Д゚)))つ【その1】 [房総半島 外房 大多喜町]
「2016年 第42回大多喜お城まつり」が開催され、俳優の藤岡弘、氏が
このお祭りのメインイベントの武者行列に、本多忠勝役で参加されました
彼は現在放映中の大河ドラマ「真田丸」の本多忠勝氏のままに馬に跨り、町を周られました
いやー藤岡さんは70歳とは思えない漢っぷりっすねー、いい歳の取り方だ!
そして何より鎧武者がサマになってる!
素直にカッコイイ!(・∀・)
彼が大名行列で現れた途端、嫁さんがカメラ持ってスッ飛んで追いかけて行っちゃったのもわかるわww
・・でもまー自分らの年代にとっては、
彼は本多忠勝ではなく【仮面ライダー1号】!
危機に瀕したらさっそうと変身!
アヤしい改造バイクで疾風のように現れ、
悪の軍団をコテンパンに倒す永遠のヒーローなのです
ァ '`,、'`,、('∀`) '`,、'`,、
何より、仮面ライダー好きの弟が生きてたら大喜びしただろうな(´∀`)


藤岡忠勝氏、従者にペットボトルの水をもらうでござるの図
藤岡忠勝:これオヌシ、水を持て!
従者:はっ!ただいま!(ごそごそ)

うーん、大多喜の水はやはり旨いのぅ、、
従者:いえ、殿、これは自販機の水でございます
藤岡忠勝:( ゚д゚)ハッ! なんぞーー!?

あまりに彼の出で立ち、雰囲気がリアル過ぎるので、一瞬時間概念が狂い
あ・・戦国時代の鎧武者がペットボトルの水飲んでる(;゚ Д゚) …!?(つд⊂)ゴシゴシ、、
あぁ今は21世紀か ε-(´∀`*)ホッ
・・とか思いましたw
大多喜町の念願「本多忠勝を大河ドラマに!」という思いは、
今回、大河ドラマの本多忠勝がそのまんまお祭りに参加してくれたことで、
ある意味叶えられたんじゃないかなーと思いました
【関連日記】
大多喜町 江戸調レトロと昭和レトロが混在する町並み [房総半島 外房 大多喜町]
ここ10~20年で、町並みがすっかり江戸時代のようになりました
でも実は、以下の江戸時代の町屋風の家は、全て江戸時代風に外観リフォームされたものでして、
町内でも実際に江戸時代から残る建物はモノの数軒なんじゃないかな?と記憶してます・・
自分の個人的な大多喜町のイメージは、今も町の隅々に息づく昭和中~後期、
江戸時代風ではなく「昭和レトロ」なんですよねー、
大多喜町は、ゲームの「ぼくのなつやすみ」をリアルに体感できる町なのです
そんな中、いすみ鉄道なんてドンピシャリ!
昭和レトロな夏の大多喜は、やはり瓶のコカ・コーラですよね(^ω^)
これは大多喜駅の売店で買えます、他にも瓶のHI-Cがありました
「ぼくのなつやすみ」ってこれ

詳しい解説はこちら→ぼくのなつやすみ公式サイト
http://www.jp.playstation.com/scej/title/bokunatsu/
千葉県夷隅郡大多喜町
赤いモンがお好きな大多喜八幡様は現在建替え中 大多喜町大多喜(根古屋) [房総半島 外房 大多喜町]
赤い色がお好きな八幡様、このあとはまた真っ赤に染められるのかな?
この神社のある場所は、江戸時代の大多喜城の大手門跡に移設されたもので、
古くは確か、大多喜城の弓など武芸にまつわる神様、つまり「戦(いくさ)」の神様だったんじゃないかと記憶してます
だから社殿が勇ましく全面真っ赤に塗られてたんじゃないかと・・
(勘違いだったらごめんなさい)
自分が大多喜に住んでいたところは、
まさに当時の大多喜城の敷地内(根古屋)である「大多喜町大多喜」という地域でして、
その地域の氏神様がこちら、大多喜八幡様でした
下の写真は、建て替え前の大多喜八幡神社
老朽化で雨漏りとかが酷くなり、今回建て替えとなったようです

ちなみにですが、この大多喜町大多喜地区の大人神輿は、大多喜町内でもひときわ立派なものでして、、
大多喜に住んでいた頃は、子供神輿を担いだことはあるのですが、
自分は18歳で町を出ちゃったんで、この大人神輿は担げなかったなぁ・・
いつか自分も担がせていただきたいな、と・・(´∀`*)
おたぁきぃ~いぃ、はちまんさぁ~まぁ~♪
赤いモンがぁ~お~す~き!♪
染めてあーげーまーしょぉーよー、花ぞぉ~めぇ~にぃ~♪
ソラソンソンコ~、ソンソンコーソンソコ~!
おおぉ~きなソンソコへ~♫
(大多喜地区 神輿歌)
【関連日記】
大多喜八幡神社
つげ義春も泊まった旅館 大多喜町 大屋旅館(オバケ旅館) [房総半島 外房 大多喜町]

https://youtu.be/I84gqYEQfZk
つげ義春氏の漫画のモデルになった(泊まったこともある)大多喜町の大屋旅館、
・・そんな立派な旅館とはツユとも知らず、、
今から40年ほど前の自分の少年時代にとって、この界隈は単なる遊び場で、、
近所のクソがき軍団「大多喜無敵探検隊」一同で、この大屋旅館の敷地内にも勝手に入り、
散々走り回ってた記憶があります、はい
さらに暴露すると、当時そんなクソガキ軍団の中では、
大屋旅館を、コードネーム「ボロ旅館」とか「オバケ旅館」とか言ってた憶えがあり・・アゥヽ(´Д`;)ノアゥ...
本当にすいません!!
私がわるかったです!!
もうしません!!
・・もしかしたらそんな自分達を、旅行者のつげ氏は見てて失笑してたかもなぁ、、
いやぁ~、知らないってコワいわぁ~(´д`;)
東京から高速使って1時間半ほどと比較的近いのに、これだけの圧倒的な雰囲気、、
もちろんメディアが放っておくワケもなく、
今までにも何度かいろんなドラマなどのロケで使われてるということです
古谷さんの金田一や、渡辺謙さんも来たそうですわ~~
しっかし、大屋旅館、まったくあの当時とかわんないや、
素直にスゲーーー( ゚ω゚ ;)
あー、つげ義春氏を知らない人のためにちょいと解説
つげ氏は、ガロなどのマニアックな漫画雑誌で連載されていた漫画家さんで、
その独特の世界観で現在でもファンが多くいる方です
ゲゲゲの鬼太郎の作者、水木氏とも親睦が深いことでも知られています
何にせよ、つげ氏は大多喜町や房総半島南部をかなり気にいってくれたようで、何度もいらしておりました
その作品の中には、「西部田村事件」や「沼」など、大多喜町が題材になったものが幾つもあります
そしてここ、大屋旅館も「リアリズムの宿」に出ていることで有名なのです
【関連URL】
つげ義春がよく利用した旅館 寿恵比楼(すえひろ) 大多喜町
http://sanadado.blog.so-net.ne.jp/2008-09-14-2
房総レジェンド -大多喜無敵探検隊 SINCE:197X- はじめに
http://sanadado.blog.so-net.ne.jp/2016-01-06
[大多喜無敵探検隊 SINCE:197X]カテゴリ一覧
http://sanadado.blog.so-net.ne.jp/archive/c2302394348-1
房総レジェンド 日本の房総半島の伝説・伝承・昔ばなし
http://www.boso-legend.com/
大屋旅館
千葉県夷隅郡大多喜町新丁 大多喜町新丁64
http://otakitown-ryokan-oyaryokan.jimdo.com/
大多喜町 夕暮れの町なかを闊歩する謎鳥ハッケン!:(;゙゚'ω゚'):(多分ヤマドリかキジ) [房総半島 外房 大多喜町]
昨日は亡き父の十三回忌で南総の実家に家族総出で行ったわけですが、
その際、菩提寺のある大多喜町を周った際、
夕暮れに紛れた
一匹の謎生物と遭遇!?:(;゙゚'ω゚'):
この鳥なぁ~に?(´・∀・`)
まー多分、キジかヤマドリのメスなんでしょうけどね
そもそも、山奥にしかいない鳥が、大多喜町の町なかに普通に降りてきているというのが驚きでした
人にもそれなりに慣れているんでしょうね、
近づいても歩いて間合いを取るだけで、別段逃げようとしてませんし・・
この大多喜町というところは、谷がやけに深く入り組んだ房総丘陵の東部に位置する町でして、
町なかを一歩出れば、都会モノが大喜びするような大自然がいっぱいなのですが、、
昨今は人口も減り、そして里山も整備が行き届かなくなったせいか、
この野鳥に限らず、イノシシやシカ、タヌキやムジナなどが里に平気で降りてきてます
自分がこの町に住んでいた30年前までは、こんなことは滅多になかったんだけどなぁ・・
何より幹線道路でデッカいイノシシが轢かれてたり、
はたまたシカを轢いて車がクラッシュした、という話を人から聞いたりと、
徐々にスゴイことになりつつあるような気がしてますわー(;・∀・)
自分も大多喜や、南総の実家に行き、その陽が落ちた帰り道で、
何度か野うさぎやイタチを轢きかけたことがありますしねー(;´∀`)
以降、山間部を抜けるまでは、なるべく安全運転で車間距離を開けて走るようになりましたが・・
ちなみにですがこの連続写真の(多分)ヤマドリは、獲って毛を毟って食べるとウマイんですよwwwwww
置き土産の農協の株、喫茶店、そして木原線、父親の幻影を追った一日 ( ´ー`) [房総半島 外房 大多喜町]
あー、先週の平日、仕事を一日休み、
千葉県の房総半島南東部、古くからの外房の拠点の町「大多喜町」に、所用で家族全員で行ってきました
ここは過去に何度もblogで書いている通り、自分が子供の頃住んでいた町です
・・で、今回の用事とは、父が付き合いで買った大多喜農協(当時)の持ち株を引き継ぐ手続きのため、、
農協は土日にやっていないんで、平日にいくしかないのですわ
株券自体は、ホント一回の呑み代ぐらいしかないのですが、
何にせよ、父親の残したものなので、まずは自分が引き継いでから、その利用法を考えようと思います
途中、こちらで隠居生活を送るゴッドマザー(母親)を拾い、車は一路、大多喜町の農協へ・・
この大多喜の農協、現在は「JAいすみ 大多喜支所」となっており、
場所も当時の大多喜駅のそばではなく、上瀑(かみたき)地区に昔からあったものに統合されちゃってるみたいですね
どうでもいいけど、この辺り、古墳とか多いんだよなぁ・・
大多喜町が歴史上で、はっきり地名が出てくるようになったのは戦国時代前期~中期にかけて、
当時は「小田木」「小田喜」と呼ばれており、真里谷武田氏や、里見氏、正木氏ら荒くれた戦国武将たちが、
この拠点となる地域を奪い取るため、血みどろの戦いをした舞台としてだよな
でもその遥か昔から、大多喜町を含む夷隅郡市地域は、古くは飛鳥時代の古事記に「伊自牟(いじむ)」、
奈良時代の日本書紀には「伊甚(いじみ)」として登場する地域でもあり、
大多喜を含め、この界隈は非常に歴史深い地域なんだなー
まーだから古墳は多いわ、古戦場はそこかしこにあるわで、、
なんでみんなそれを知らないのか、逆に不思議な感じがする
大多喜町は、この町にたった11年しかいなかった本多忠勝氏を一生懸命売り込むより、
更にもっと深い、これら地域の歴史を観光の売りにすればいいのになぁ・・(´・ω・`)
・・で、かなりな量の書類に記入し、無事、父親の遺産(?)である農協の株は引き継ぎ完了!
ついでなんで、母親を乗せたまま、家族で大多喜町内を車で流す、と・・w
まー、この町をまわるとね、当時の父との思い出がいっぱい見つかるんですわ、、
ここなんてその一例、喫茶「緑の館」
ここは新聞記者だった父が、よく原稿を書きに通った喫茶店の一つで、
小学校が夏休みの時には自分も連れて行ってもらい、色々ごちそうになったw
ここはアイスコーヒーやクリームソーダが美味しかったよなぁ・・(´∀`)
店内は明るくて、子供の自分にも非常に居心地が良いお店だったです
でも現在は閉店して久しく、蔓草で覆われまくってますわ・・
この他にも、夷隅支庁舎(今は中身が違う?)の入口にあった喫茶「砦(とりで)」が、父のお気に入りの喫茶店だった
そこにもちゃっかり自分はくっついていって、ガキンチョのクセに、偉そうにコーヒーをすすっていたというww
そこも10年以上前にお店を閉めちゃいましたが・・
で、そんなこんなで父は新聞記事が書き上がると封筒に入れて、その足で大多喜駅に持って行きました
大多喜駅から木原線で、千葉日報の本社がある千葉市まで、列車貨物便で、原稿を届けてもらっていたのです
FAXやパソコンがない昭和50年代の新聞記者の地方支局の原稿の出し方はこんな感じでした
あー、そして今の「いすみ鉄道 大多喜駅」ですが、おりしもあの頃を彷彿とさせる列車が多いのです!
マジに昭和50年代、自分が子供の頃の大多喜駅に逆戻りしておりますわ
それを家族全員で眺めてきました
ゴッドマザー:「あらー、なつかしいわよねー木原線!(´∀`)」 <いや、いすみ鉄道だ
嫁さん:「ホラホラ、赤いデンシャッシャーよ」 <いや、これは電気で走ってないので列車 or 気動車
子供:「デンシャッシャー!キハラシェン!(木原線)」 <写真に心霊写真のように手だけ写ってるしw
オレ:「・・・」 ε- (´ー`*)フッ
まー、なんだかんだ、亡き父親の背中を追った一日でしたわ( ´ー`)フゥー...
そして近々、南房総市和田町に行き、今度は祖父や曽祖父、更にその親達の背中を追う一日が控えている、と