ウッキウキで日本来た元軍が見たのはキチガイ武士という事実www【転載】 [日本の隠された歴史]
元寇、、その昔、自分が子供の頃は歴史の授業で『元寇は、終始日本側が蒙古に押されてヤバかったけど台風(神風)が来て偶然助かった』みたいな教育を散々受けていましたが、その相手『蒙古』側の記述・史料をはじめ、日本に昔から伝わる郷土資料などからも、どうやら現実とは大きくかけ離れてたようで、、

日本側、鎌倉武士らの実態は、そして蒙古のあの侵略の現実・そして実際のところはどうだったのかということが、最近では随分と分かってきました、まー簡単にお話しすると下記のようです
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元寇の鎌倉武士団打線(最新の研究) ※2ちゃんねるより抜粋
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いやー鎌倉武士ってやはりキ〇ガイだったのねー、自分の先祖がまさに平安時代末期発祥の鎌倉時代の武士だったようでして、今に生きる自分や親戚の性分から逆算すると非常に納得できます
このオレの性分は『血』だwwwwwwwww
そして以下、2ちゃんねるで一時期話題になったスレッドをコピペしました
全部を読みたい方はURLをクリック!
http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1493805172/
http://blog.livedoor.jp/toshi114514/archives/70450961.html(まとめサイト)
http://military38.com/archives/49979668.html(まとめサイト)
その他、こちらも参考になります 非常に分かりやすい!( ´∀`)bグッ!
元寇で怖いのは神風でも、火薬でもなく鎌倉武士団 [歴ベン!~3年8ヵ月~]
http://dar-rekishi.com/125%20/post-125/
【悲報】 鎌倉武士団、実はモンゴルより鬼畜だった!!
http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1446678069/
http://gabareki.blog.jp/archives/2277205.html(まとめサイト)
フビライ・ハーン「日本なんてすぐ降伏するやろ」
http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1455589553/
http://majime2ch.net/archives/1142(まとめサイト)
【悲報】元寇直前の蒙古の使者による鎌倉武士像wwwww
http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1538831120/
http://military38.com/archives/52546281.html(まとめサイト)
【朗報】元寇の鎌倉武士、言うほどヤバくはなかった
http://swallow.5ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1537524529/
http://military38.com/archives/52605376.html(まとめサイト)
「鎌倉蛮族」とは何か?~武士道とは、野蛮と見つけたり~
https://togetter.com/li/1019299
※このコメントが好きw→ 鎌倉武士のやってたこと、例えば「門前通るやつを適当に首はねる」とか見ると、並みの蛮族が尻に帆を立てて逃げ出すようなアトモスフィアを感じるw
モンゴル兵「日本の侍捕まえたぞ!!盾にしたろ!!これで攻撃できんやろなぁ」鎌倉武士「…」
そうそう、冒頭の漫画の表紙ですが、これは『アンゴルモア 元寇合戦記』という漫画でして、最新の元寇の史実を元にした鎌倉武士が主人公の漫画です
この前『対馬編』最終巻が出ました、そしていよいよ次は『博多編』、楽しみです(*´ω`)
ちなみに今現在、深夜にこの漫画がアニメ化されて放送していますが(Amazonプライムでも観れる)、、あっちは漫画の中のいくつかのエピソードがさりげなく端折られてますね
まーアニメとなると色んな人も観るでしょうし、絵的にも政治的(?)な面でも、色々気遣わなくちゃいけないところも多いんだろうなーと思いました
ちなみに昨今の『鎌倉武士』での検索結果
Googleさんは、関連する検索キーワード『ひょっとしてコレ知りたいんじゃね?』ってワードをご丁寧に検索結果の末尾に並べてくれるのです、鎌倉武士のウチのご先祖達もさぞや苦笑いだな、いや返って喜ぶかww
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日本の教育現場が変わった?【転載】 [日本の隠された歴史]
以下、まるっと転載
転載元:言霊と革命を超えて
http://shinjihi.tumblr.com/post/58201400516/6#notes
8月 14, 2013
公立に通う小6息子が、平和学習で、日本もアメリカ任せでただ守ってもらうのでなく
軍備をしっかりしていかなくては平和を維持出来なくなる時が来るかも知れない。
すでに竹島は韓国に占領されているし、尖閣も同じようになれば、近くの沖縄も危ない。
どんどん占領されて、その時に戦争反対って旗持って叫んでても誰も助けてくれない。
だから軍備は必要であって、自衛隊は戦争をするためにあるんじゃない。
日本の国土と国民を守るために自衛隊があり、弱ければ平和に暮らせなくなるかも知れない。
このことについて、家庭で話し合ったり、ネットで調べてみて下さい。
て、言われたそうだ。
保護者へのプリントには、夏休みの間に平和について話し合って下さい。学校からは特定の思想を押し付けたり、ご家庭での考えを否定することもしません。
ってあって、たまげたよ。
団塊教師がいなくなったから、平和教育も随分変わってきてるみたい。
「玉音放送を現代語訳してみた」 【転載】 [日本の隠された歴史]
そんな中、終戦を日本国中、そして世界中に伝えた昭和の天皇陛下の玉音放送を現代語訳したものがありましたので、そっくり転載させていただきます
私個人的には「日本人は、もっと誇り高く生きていい」と、常々思っております
以下転載
転載元:shinjihiのブログ

●玉音放送の動画
昭和天皇の玉音放送 高音質バージョン
●国家 君が代 動画
国歌独唱/第82回選抜高校野球大会
日米国歌斉唱 小柳ゆき
竹内力 君が代
君が代 秋川雅史
Kiyoshiro Imawano - Kimigayo ~ 忌野清志郎 - 君が代
GACKT 国歌独唱-2012 03 29 メジャ―リ―グ開幕戦-
武士と忠義のお話 【転載】 [日本の隠された歴史]

武士と忠義のお話
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1758.html
「ねずさんの ひとりごと」より転載
韓国/国民保導連盟事件 【ねずさんのひとりごとより転載】 [日本の隠された歴史]

先日、FacebookではHさんからのシェアでご紹介したのですが、あらためてyahoo知恵袋から「国民保導連盟事件」をご紹介します。
たいへんよくまとまっています。

要するにいま日本にいる在日韓国人というのは、
朝鮮戦争のときに李承晩による韓国民の大虐殺事件の結果、済州島を中心に日本に難民となって逃げてきた朝鮮人の末裔です。
要するに、不法入国してきた者達です。
当時、日本政府はこの密入国してきた韓国人をもてあましました。
ですから日本は、韓国に対し「まとめて逮捕して韓国政府に引き渡したい」と申し入れました。
ところが韓国政府は、拒絶します。
つまり、この時点で、在日韓国人は、韓国から棄てられたのです。
日本政府はやむを得ず、虐殺からの逃れてきた朝鮮人達に「25年」の滞在許可を与えました。
ところが25年後に日本から韓国に引き渡されれば、そのときに自分たちは韓国政府に殺されるかもしれないと考えた在日韓国棄民は、知恵を絞りました。
そしてサンフランシスコ講和条約に「戦前から滞在している朝鮮人、台湾人には無条件で日本での永住権を与える」と定められていることを悪用して、
「我々は戦前強制連行されてきた朝鮮人である」と名のり出したのです。
要するに、最初から彼らは嘘ばかりなのです。
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やまと新聞の動画コラム「ねずさんの動画マガジン」

最新号
第10回 主権のお話
主権を持つということはどういうことか
第11回 野蛮人とは
人間と人間ではないものとは・・・・
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一方、日本の民間人は、当時の日本人の生活が極めて貧しいものであったにも関わらず、ボートピープルとなっていた朝鮮人難民に対し、実に細やかに親切にしました。
身ひとつで難民となってやってきた朝鮮人達を、風呂にいれてあげたり、家で匿って食べさせてあげたり、あるいは東京や東北に親戚がいるなどと聞けば、近隣のみんなで金を出し合って旅費を作ってあげたりしました。
困っている人をみたらほっておけない。変わらぬ日本人の日本人らしい姿勢です。
普通なら、世界中どこの国の民でもそれだけの恩義を受ければ、感謝の心を忘れないものです。
ところが朝鮮人達には、そういう恩義を感じる心というものがない。
日本人から受けた恩義を忘れ、日本国内で徒党を組み、日本人が武器を持たないのをいいことに、集団で土地をロープで囲んで土地を占拠横領し、バラックを建てていた家族を殺害してその土地を奪いました。
それがいまある駅前の一等地のパチンコ店の敷地です。
さらに白昼堂々、商店を襲って商品を根こそぎ奪ってこれを売ってお金に変え財を築きました。
モノがない時代です。闇市で捌けば何でも売れた。
さらにバスや列車に無銭で乗り込み、駅員を殴り倒し、網棚の荷物を外に放り投げ、日本人に対して集団で暴行を加えました。買い出しや遠い親戚に会うために乗車していた若い女性が、親兄弟の前で素裸にされ強姦された例は数知れません。
そしてこれを咎めようとした警察官に対してさえ、集団で暴行を加え、殺害をくり返したのです。
日本では、白バイによるスピード違反等の取締は行われません。
なぜかというと、その昔、大型トラック輸送を牛耳った在日朝鮮人達が、追跡してきた白バイに、加減速をくり返して白バイが真後ろについたことを見計らって、急ブレーキをかけたのです。
白バイ警官は、トラックの荷台の下に突っ込み、ヘルメットをかぶった生首が道路に飛びました。
こうした事件が、50年代に多発しました。
機動力を活かしたはずの白バイが、走行中の車両の取締に使われないのはそのためです。
恩を仇で返す。これが嘘も隠しもない、韓国人の姿です。
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【質問】
韓国最大のタブーという動画を見たのですが、1951年に韓国軍が二十万人を虐殺した国民保導連盟事件というのがあったそうですね。
詳しく教えてください。
日本には朝鮮戦争で虐殺から逃げてきた避難民がたくさん来たといいます。
日本最大の朝鮮人街大阪の猪飼野は済州島から逃げてきた「アカ」の人たちだといいますね。
助けてもらったクセに、何故、日本に敵対するようなことをするのですか?
【ベストアンサー】
保導連盟事件は、共産主義を支持した人々が転向して国家に忠誠を誓うとした保導連盟というものがあり、それが朝鮮戦争でにわかに赤狩りをするようになった韓国政府にスパイ容疑での虐殺リストとして使われた事件です。
保導連盟事件を中心に一連の事件で100万人以上が虐殺されたと言われています。
虐殺の容疑はすべて共産主義のスパイということでしたが、実際にはちょっと疑わしい程度から、権力者(憲兵など)が気にくわないというだけでどんどん虐殺されるようになり、大規模な国家による国民虐殺に繋がりました。
この虐殺は、第二次世界大戦で亡くなった朝鮮人の数よりも遙かに多かったので、これをごかますために、1970年代に軍事政権から民主主義大統領制に移行した際、日本と日本の占領制度を責めるというような方向でのガス抜きをするようになっていきました。
保導連盟事件が韓国内で口にできるようになったのは1990年ごろからで、それまでは関係者が口を開く気配があるだけで連行される時代でした。
(韓国では、戦前の日本にあった治安維持法と全く同じ法律である国家保安法があり、怪しいというだけで証拠が特になくとも逮捕も拷問も出来るように法整備されています)
済州島のは、その流れのうちでも初期の事件で、4.3事件と呼ばれるおよそ7万人が虐殺された事件です。
このときに逃げてきた人々が後の虐殺から逃れるために半島の人々を手引きしたことから、済州島出身者を中心として朝鮮人街が生まれているケースが多いのです。
一昨年、公文書館から当時外務省と韓国政府の交わした文書が発見されているのですが、これによると日本政府はこの密入国してきた韓国人たちをもてあまし、まとめて逮捕して韓国政府に引き渡すと申し入れています。
そして、韓国外務省はそれを拒絶している回答を残していました。
つまり、二国間でもてあまされた政治棄民だったわけです。
そして、日本政府は虐殺からの逃れてきた半島の人々に対して25年の滞在許可を与える決定を出します。
これに過敏に反応した在日の人々は、知恵を絞った結果、
「我々は戦前強制連行されてきた朝鮮人である」
と名乗ることにしたのです。
これは、25年後に引き渡されて殺されることが明白だったために、生き残るための知恵でした。
日本は、サンフランシスコ平和条約で「戦前から滞在している朝鮮人・台湾人に無条件で永住権を与えること」と定められているためです。
しかし、彼らには戦前から滞在していたと証明するものはありません(何せ、実際住んでいなかったのですから)。
だから「強制連行なんだから、証拠や書類なんて我々が持っているわけがない!
日本政府が無理矢理連れてきたのだから謝罪しろ!」と無理矢理な理屈でゴネたのです。
日本政府としては、強制連行された朝鮮人は二百数十人しかいないことを知っていますから文句のひとつもつけたいところですが、敗戦後の国際世論の目が光っている状態で、「日本はサンフランシスコ平和条約にけちをつけた」と言って触れ回られたくないために、渋々黙認するようになったのです。
彼らは日本政府を非難することで生き残る道を作ったので、その方針がそのまま引き継がれるようになっていきました。
ウソも突き通せば本当になると思ったのでしょうが、世の中の情報化社会への進化のほうが早くて、薄まりかけていた彼らの真実も、現在では明るみに晒されているのでした。
虐殺に関してはTRC(真実和解委員会)という団体が調査をしていますが、昨年、李明博大統領は彼らへの予算は配分しないことを宣言しており、韓国政府はこれ以上この問題を公にしたくないという態度をとっています。
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「国民保導連盟事件」というのは、まさに朝鮮戦争の最中に起こった大規模虐殺事件です。
当時韓国の初代大統領であった李承晩(りしょうばん)が、共産主義者から転向した者達を、再教育するためにと称して「国民保導連盟」という組織を作ったのです。
要するにこの「国民保導連盟」に加入している韓国人たちは、全員が元アカ、つまり共産主義者もしくはその家族だったわけで、そういう人達に、おいしいことを言って連盟に加盟させ、人数がまとまったところで、李承晩は、その加盟員を、韓国軍と韓国警察に命じて、全員皆殺しにしたわけです。
この事件について、李承晩大統領が失脚した1960年の四月革命直後に、韓国の全国血虐殺者遺族会が、遺族たちの申告をもとに報告書を作成しています。
その報告書によると、虐殺された人数は114万人であったとされています。
また、韓国政府の「真実・和解のための過去史整理委員会(ko)」も、朝鮮戦争の初期に韓国政府が、子供を含む少なくとも10万人以上の人々を殺害し、排水溝や炭鉱や海に遺棄したことを認めています。
公開された米軍の機密書類には、この虐殺時に米軍将校が立会ったことや、虐殺を承認した事実などの詳細の記録があり、また英国軍の役人や、豪州人による目撃記録もあります。
つまり、韓国軍による自国民の大量虐殺が行われたことは、まぎれもない事実なのです。
韓国政府は、2012年の現代に至っても、自国にあったこの歴史を国民に隠蔽し続けています。
それどころか、大量虐殺の遺体写真などを、あたかも日本軍による蛮行であったかのように偽装し、国民をたぶらかし続けています。
また一方、この事件を逃れて難民として日本に不法入国してきたのが、いま日本にいる在日朝鮮人たちです。
日本は、彼らを保護し様々な恩恵を与え続けてきましたが、彼らはそれをいいことに、日本社会を食い物にし続けてきました。
そして戦後に日本に密航してきた不法入国者であるにも関わらず、自分たちは戦前に日本に強制連行されたのだと嘘を尽き続けています。
人を騙すことが平気な在日韓国人と、人と信頼し合うことを大切にする日本人。
日本人はいいように利用され続けてきたのが「国民保導連盟事件」以後の60年です。
歳月経ち、いまでは在日の三代目が社会人となっています。
普通、三代経てば、だいたい郷に入って郷に従うようになる。
けれど在日韓国人というのは、支那人と同じで、どこまでも郷に入って郷に従わない民族です。
いろいろな問題はあろうかと思いますが、私は、少なくとも在日韓国人の通名だけは一切認めず、仮に帰化していたとしても、韓国系日本人、朝鮮系日本人と、ちゃんとわかるように区別ができるように、法制度を変えるべきだと思っています。
そうでなければ、日本人の安全で安心な生活は担保できない。
今日は、そのことを強く申上げたいと思います。
新たな武士の台頭 【「ねずさんの ひとりごと」より転載】 [日本の隠された歴史]
以下、「ねずさんの ひとりごと」blogより転載
http://nezu621.blog7.fc2.com/
新たな武士の台頭
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1715.html
「武士」と書いて「もののふ」とも読みます。
「もののふ」というのは「物部」で、「もののべ」とも読みます。
「もの」というのは、「えもの」つまり武器を指します。
ですから「物部」は、武器を扱う氏、つまり武門の長であったわけです。
時代が下って奈良時代になると、菅野真道らが編纂した延暦16(797)年の「続日本紀」の巻八に、「文人武士は国家の重んずる所」という一文が出てきます。
これが我が国における「武士」という言葉の初出になります。
太宰府における防人や、貴族の持つ荘園の警固兵など、古代における武士は、いまの時代にあてはめれば国軍の兵士や、民間の警備員のような役割の者達だったといえます。
ところが平安時代後期になると、貴族による全国的な支配秩序が崩れ、それに代わる私的な権力を持つ者達が現れました。
もともと、貴族の持つ荘園は、貴族や大寺院が自分たちの力で開いたものではなく、地方の有力農民などが開墾した農地が寄進されてできたものです。
従って名目上所有者は貴族ですが、実態は有力農民たちが管理運営していたものでした。
農地は平安時代を通じて、さらに開墾されていきますが、そうした農地は必ずしも貴族や大寺院に寄進されず、農民達が自分たちの手で守り抜くものとなっていきます。
はじめのうちは、土地は開墾すればいくらでもあるものでした。
けれど時代が進むと、当時の技術で開墾できるところは開墾しつくしてしまい、点在していた農地は、その境界を他の農地と接するようになります。
すると、治水利水権や、土地の境界線をめぐるもめごとが起こる。
貴族や大寺院の土地ならば、もめごとの調停は、貴族や大寺院側が行うけれど、それが私田だと、そうはいきません。
自分たちの力で解決しなければならない。
そこで農民たちは互いに結束して武装し、半農半武の武士団を形成しました。
律外の民としての武士のはじまりです。
彼らは自分たちの領地を守るために、一所懸命となって働きました。
食うか食われるかの戦いの中で、彼らは勇敢であることを誇り、卑怯を軽蔑し、武士の誉れを大事にする存在となっていきました。
そしてより大きな保護を得るために朝廷の武士(いまでいったら国軍)である源氏、平氏という大きな「家」に帰属し、そこで本領を安堵してもらうかわりに、いざというときには一命を投げ打って働く奉公をする御家人、つまりその一家に所属する集団となっていきました。
新たな「武士」の誕生です。
つまり、言葉は同じ「武士」でも、鎌倉以前の「武士」と、鎌倉以降の「武士」では、その意味合いがまるで異なるのです。
鎌倉以前にも武士はいました。
防人とか北面の武士などといった存在です。
けれど、それらは、いまで言ったら国の軍隊であり、地方公共団体の警察官のような存在です。
ところが鎌倉以降の武士は、そうした公的軍人や警察官等と異なり、庶民を代表して立ち上がった人達です。
つまり「領主」です。
刀を持てば武士というわけではありません。
また領主とともに戦いに出向く領民は郎党であって武士とは一線を画した存在です。
江戸時代、「鎌倉武士のようだ」という言葉は、武士に対する最上級の褒め言葉とされていました。
その鎌倉武士が尊敬されたのは、彼らが農地共同体の小領主であり、かつ、勇敢で領民思いであり、誰からも尊敬を勝ち得るだけの存在となっていたからです。
そしてそういう武士達が、元寇という外圧を機に、国を守るために敢然と立ち上がり、蒙古の大軍を跳ね返して、日本という国を守り抜いた。
そのことが結果として、本領を安堵するだけでなく、日本を護る、すなわち「公」のために忠義をまっとうする、つまりより大きな正義のために生命をも投げ打つ「武士」として、我が国に完全にその存在を定着させていったわけです。
このことは、民の側から見た武士達が、私利私欲ではなく、「公」という概念に仕える公明正大な存在となっていったということも同時に示しています。
ところが、日本を二分する武士勢力である平家は、源氏によって討たれました。
なぜでしょう。
平家は、伊勢平氏の棟梁であった平忠盛の長男清盛が、保元の乱、平治の乱で軍功をたて、武士としては初めて太政大臣に任ぜられたとされています。
軍功があって太政大臣にまで出世したのなら、武家の棟梁として申し分なしです。
何も「平家を討とう」などということにはなりません。
にもかかわらず清盛が民の顰蹙を買い、結果として家を滅ぼす原因となったのは、清盛が朝廷に食い込んでいったことそのものと、大きな因果関係があるといわれています。
それが何かと言うと、なるほど清盛が乱に勝ち抜いたことは事実なのですが、その際に彼は西日本の水軍を傘下におさめていたのです。
当時の水軍というのは、国際私貿易の担い手でした。
支那や朝鮮に船を繰り出し、私的交易を図って巨富を得ていたのです。
宝船の絵といえば、七福神が乗っかっていて、船には金銀財宝や米俵が満載されている図が描かれていますが、まさに国際貿易は、海難事故というリスクはあったものの、成功して帰還すれば、巨利を得ることができました。
少し時代は前後しますが、宝徳年間に明に渡った商人の楠葉西忍の記録によれば、明で250文で買った絹糸が、日本に持って来ると5貫文(5000文)の値で売れ、日本で10貫文で仕入れた銅が、明で40〜50貫文で売れたそうです。
刀剣類や漆器などは、やはり2〜30倍の値段で売れたと書かれています。
つまり、私貿易は、それだけボロ儲けできる商売だったわけです。
そうした利権を手中に収めた清盛は、朝廷に金をバラまき、地位を上昇させました。
なにせ時代は平安後期です。
律令制度の令田制度は崩れ、朝廷や貴族達の税収も減っていた。
そこへ登場した清盛は、まさにカネのなる木をもって、政治権力を買い取っていったわけです。
今風にいえば、清盛の治世は、まさに経済最優先の治世であったということができるかもしれません。
こうして政治権力を得た清盛は、娘の徳子を高倉天皇に入内させ「平氏にあらずんば人にあらず」とまで言われる時代を築いたわけです。
要するに清盛の力の源泉は、国際交易によって得た財力にあります。
従って清盛は、政界に力を持てば持つほど、ますますその財力を強化する必要に迫られます。
そしてそのために、清盛は、ますます国際交易に力を入れました。
このことは、交易の相手国であった支那、朝鮮との国交の親交化にもつながります。
当初は、商売のための財物が日本に流入するだけだったものが、次第に人的交流も強化されていきます。
はじめのうちは、それなりの人格者や高僧、あるいは技術職人などが渡来しますが、年月を重ねるにつれ、戦乱の続く大陸から難を逃れ、親戚を頼って日本に渡来する者たちも増えていきます。
私は、支那人や朝鮮族が、必ずしも悪人ばかりとはいいませんし、中には本当に尊敬できる人格者も数多くいるし、また普通の生活をし、郷に入ったら郷に従うまっとうな人達が大半を占めるということは、否定するつもりはありません。
けれど、人肉を食し、人を殺したり集団で弱い者、女性などをかどわかし、暴行したりする不逞な者達がそうした渡来人の中に数多く混じっていたであろうことも、これまた否定できない事実です。
結果として、それまでの平安日本の社会ではあり得ないような悲惨で残酷な事件が、国内で頻発する。
農作物や家畜が、半ば公然と盗まれる。
そうした治安の悪化は、民の怒りとなって蓄積していきます。
とりわけ東国の武士達からみれば、流れ者が乱入してきて治安を乱す。その治安の乱れ(犯罪行為)は、そのまま本領を安堵すべき武士の不名誉となっていきます。
そうした世の中の乱れを産んだ平家には、当然に民の怨嗟の声が充満してくる。
そしてその声は、はじめは小さかったものが、次第に世論となり、「平家討つべし」の大合唱が起こりはじめます。
そして一部の武士達が、源氏の嫡流である源頼朝を担ぎ上げ、中央政府を仕切る清盛に対して反乱を起こす。
はじめは小さな勢力でしかない頼朝派は、乱をすぐに鎮圧されてしまうけれど、「頼朝立つ!」の報は、東国を駆け巡り、ついには平家を滅ぼし、鎌倉政権の樹立に至っています。
こうした一連の流れは、似たようなケースが、我が国の歴史には度々登場します。
そしてそのことが、我が国の歴史が、だいたい150年から200年単位で、開国と鎖国をくり返す歴史となっています。
日本は、明治の開国から、今年で144年です。
開国政策は、我が国に江戸日本では考えられなかったような富をもたらした一方、大東亜戦争の焼け野原を招き、そして戦後復興という、未曾有の経済成長をもたらしました。
けれどその一方で、日本人の常識、経済的自己の利益よりも公に尽くす、あるいは人と人とが仲良く暮らす、互いに信頼を基礎におく安定した社会構造を大きく破壊してきました。
そして昨今では、日本的「和」よりも目先の利権を最優先する政党が、政権与党に座るという事態まで招いてしまっています。
そしてそのことで、日本社会は、わずか三年で富を海外に流出させたのみならず、人々の生活は苦しくなり、巷には政権与党に対する怨嗟の声が満ちるという情況になってきています。
そしてその一方で、民の幸福や日本社会の安定を願う、保守主義者ないし日本主義者が、大きく成長してきています。
思うに、いま立ち上がりつつある保守勢力、あるいは日本主義者、日本派、名前はいろいろな呼び方になっているけれど、その日本派の人々は、いわばかつて、民の私権を守るために立ち上がり、公に尽くすことを最大の使命と考え、我が国を守るために、自発的に立ち上がった人達です。
ということは、いま目覚め、立ち上がりつつある人々は、かつて領民を守るために立ち上がった鎌倉武士同様の、現代版「武士」といえる人達といえるのではないでしょうか。
もちろん社会構造が違います。
ですから、現代版の「武士」たちは、刀を腰に二本差すようなことはしません。
けれど、その思想と行動は、常に日本人としての日本の民とともにある。
それが武士です。
そして、つい最近まではバラバラに行動していたその現代版「武士」達は、いま安倍総裁という棟梁を得て、新たな日本つくりの段階にはいろうとしています。
新しい時代のはじまりです。
歴史は繰り返すといいます。
当面は日本は大乱となるかもしれません。
けれど、それは新たな日本を築くための産みの苦しみなのです。
私達は、誇りある日本の明日を信じて、いま、立ち上がったのです。
勝ちましょう! 衆院選!!