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ウッキウキで日本来た元軍が見たのはキチガイ武士という事実www【転載】 [日本の隠された歴史]

あーそろそろ台風シーズン、この季節になると日本人なら『神風』元寇を思い出しますよね( ´ー`)フッ...
元寇、、その昔、自分が子供の頃は歴史の授業で『元寇は、終始日本側が蒙古に押されてヤバかったけど台風(神風)が来て偶然助かった』みたいな教育を散々受けていましたが、その相手『蒙古』側の記述・史料をはじめ、日本に昔から伝わる郷土資料などからも、どうやら現実とは大きくかけ離れてたようで、、
angorumoa.jpg
日本側、鎌倉武士らの実態は、そして蒙古のあの侵略の現実・そして実際のところはどうだったのかということが、最近では随分と分かってきました、まー簡単にお話しすると下記のようです

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元寇の鎌倉武士団打線(最新の研究) ※2ちゃんねるより抜粋

1(中) 壱岐対馬は最初から見殺して相手の戦法を見極めてた 
2(二) 既に出兵5か月前に出兵の時期を想定し鎌倉武士団を大宰府に展開してた 
3(一) 相手が人質を楯にして攻めてきても関係なく矢を射かけまくってた 
4(三) 2度目は30キロの防塁を沿岸に、20キロの空堀を博多の南に、10キロの水堀を大宰府に築いていた 
5(遊) 博多が略奪されてるのは目に見えてるので、敵が来る三日前に博多を略奪しつくしてた(鎌倉武士団が) 
6(右) 2度目の時はモンゴルに倣って人質を楯にして攻撃してた 
7(左) てつはうにあんまり動じずそのまんま徒歩で戦ってた 
8(捕) 2度目の時は夜襲しまくって眠らせなかっただけじゃなく相手の船に牛馬の腐乱死体を積極的に投げ入れてた 
9(投) 元軍が壊滅した後、取り残された元軍の内、宋人は助命したが高麗人、モンゴル人は負傷者も女性も含めて皆殺しにしてた

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いやー鎌倉武士ってやはりキ〇ガイだったのねー、自分の先祖がまさに平安時代末期発祥の鎌倉時代の武士だったようでして、今に生きる自分や親戚の性分から逆算すると非常に納得できます
このオレの性分は『血』だwwwwwwwww

そして以下、2ちゃんねるで一時期話題になったスレッドをコピペしました
全部を読みたい方はURLをクリック!
ウッキウキで日本来た元軍が見たのはキチガイ武士という事実www
1: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)18:52:52 ID:foG
フビライかわいそうちん〇こかわいそう
2: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)18:53:28 ID:h7y
戦闘民族だからな
3: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)18:54:09 ID:r6p
野蛮民族より野蛮だったという事実
10: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)18:56:05 ID:rlN
>>3
ウッキウキで着いた国に自分達より頭おかしい奴等がいると事実
4: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)18:54:53 ID:Yap
薩摩兵はキチガイやししゃーない
19: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)19:00:20 ID:hdk
>>4
幕末当時最強だった大英帝国に喧嘩売る薩摩隼人とかいう命知らず
5: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)18:54:56 ID:LZj
元寇で当時の戦力の何割を使ったんやろ
13: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)18:57:04 ID:foG
>>5
海バリアあるから元の本隊は全然来てないやろ
ほぼ宋と高麗とかやろ
6: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)18:55:00 ID:foG
戦国時代までの日本人キチガイ杉内?
21: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)19:01:57 ID:Lnq
>>6
第二次大戦にも舩坂弘とか小野田寛郎とかがいた模様
7: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)18:55:35 ID:ywe
鎌倉幕府から返事が来ないからしょうがないね
8: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)18:55:39 ID:6aW
女はレイプの精神
9: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)18:55:49 ID:Yap
おまけに南のよくわからんシャムみたいな国にも徹底抗戦されて補給続かず負けるクソザコ野蛮人
11: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)18:56:32 ID:LZj
当時で合計20万人を超える戦いってとんでもないで
13世紀最大の戦いや
12: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)18:56:38 ID:gcQ
相手の船に馬の死骸投げ入れるキチガイ
14: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)18:57:18 ID:k3q
ワイ全く知識ないんやけどあんな広大な領地維持しながら
おまけに海を渡ってよく分からん国に派兵するとかアホと違うか?
17: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)18:59:49 ID:LZj
>>14
とにかく攻撃の精神やろ
逆にあそこまでデカくなって調子乗らないやつの方かまおかしい
27: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)19:03:53 ID:tcj
>>14
そら南宋には誼通じててそれを滅ぼした元は無視やから
なんとかせんと面子に関わる
元も最初から日本が仲良くしてくれたら攻めて来んかったで
15: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)18:58:08 ID:WrW
でもてつはうあるし・・・
16: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)18:58:22 ID:sWn
???「あいつらには心がない」
18: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)18:59:56 ID:tcj
南宋、高麗主体の懲罰軍(ある意味棄民)主体やったから
ウッキウッキどころかイヤイヤ来たらキチガイが正しいんやで
20: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)19:01:25 ID:WrW
西はポーランドまで行ったんやろ?
チンギスハン死ななかったらどこまで行ったんやろ
22: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)19:02:38 ID:foG
>>20
言うても森多いとこきついし無理ちゃう?
23: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)19:02:53 ID:suq
>>20
チンギスはその頃とっくに死んどるぞ
オゴタイが死んだから帰ったんや
25: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)19:03:21 ID:WrW
>>23
せやったか
32: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)19:05:09 ID:bje
>>20
そらもうしゃかりきコロンブスよ
35: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)19:05:35 ID:4QT
>>20
東欧はほとんど人住んでなかったから・・・
24: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)19:03:16 ID:iJJ
鎌倉武士「敵だ!殺せ!!盾になってる捕虜ごとぶっ殺せ!!」
26: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)19:03:48 ID:LZj
死体を盾にしたのは日本やっけ?
30: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)19:04:46 ID:TKn
>>26
しかもその死体を元軍の船に放り込んで
心理的、衛生的にも追い込んだんやで<鎌倉武士
33: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)19:05:11 ID:bPi
>>26
元の方やなかったっけ?
それ見て余計に突っ込んできて「どうしてこうなった」状態やったとか聞いたがw
28: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)19:04:25 ID:haz
ほんまこういう巨大帝国って一代で完成して一代で潰れるやんな
34: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)19:05:29 ID:BUU
>>28
チトー「つまり、一代で完成して一代で潰れたワイのユーゴは巨大帝国やった……?」
39: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)19:06:31 ID:foG
>>34
個人に頼りすぎぃ!
40: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)19:06:32 ID:Lnq
>>34
あなたは自分が有能すぎたせいもあります
43: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)19:06:59 ID:Fie
>>34
7つの○○で始まって1人のチトーで終わるあの文好き
68: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)19:09:45 ID:bPi
>>43
7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字、1つの国家
くらいしかしらんが、チトーで終わるバージョンもあるんか?
73: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)19:10:44 ID:Lnq
>>68
「1つの国家」が「1人のチトー」に変わってるバージョンもあるで
80: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)19:11:25 ID:bPi
>>73
へー、それは知らなんだ
サンガツやで!
77: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)19:11:05 ID:Fie
>>68
ワイが見たのはそれの一つの国家が一人のチトーに置き換わってたやつやったわ サンガツ
113: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)19:19:34 ID:bPi
>>77
こちらこそサンガツやで!
37: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)19:05:49 ID:suq
>>28
別に一代で出来てないし一代で潰れてもない
29: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)19:04:30 ID:BUU
しかも頑張ったのが九州の人らで、日本側も本隊はまだ来ていないとか
あの辺りの九州の人らが団結するってもう軽いスーパーバーバリアン大戦やろなぁ
31: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)19:04:58 ID:4Mt
実際陸続きで元の本隊とやりあってたらボロ負けやろ
38: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)19:05:53 ID:hdk
>>31
そら当時の騎馬部隊なんて戦車が大軍で押し寄せて来るようなもんやしなぁ…ゲリラ戦しかなさそう
41: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)19:06:37 ID:TKn
>>38
大陸やと身を潜める場所がなさそう
36: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)19:05:39 ID:tkd
フビライ「ちょっと日本攻めてこいや」
朝鮮「嫌です・・・」
フビライ「なんで?(殺意」
これでイヤイヤきたら日本兵にボコられたという事実
42: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)19:06:45 ID:GIu
元「民間人たてにしたろ!」
民間人「助けてクレメンス」
武士「関係ない、いけ」
こうってきいたんやけど
45: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)19:07:11 ID:TKn
>>42
それもあったとか資料で見たな
51: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)19:07:57 ID:9i3
>>42
武士「敵が攻めてくる前に略奪したろ!」
55: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)19:08:30 ID:foG
>>51
うーんこの盗賊集団
44: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)19:07:10 ID:iJJ
元軍「てつはうドーン!!」
倭軍「ほーん、で?(構わず突撃)」
46: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)19:07:14 ID:9i3
元軍「敵の首飾っといたろ。恐ろしくて戦意喪失やろなあ」
武士「首が奪われたぞおおおお取り返せええええええ」
元軍「ファッ!?」
47: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)19:07:18 ID:TMx
当時に船で朝鮮から日本まで来て戦争するなんて無理やったんや
秀吉も
50: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)19:07:49 ID:TKn
>>47
秀吉は1ヶ月弱でソウルまで攻めてるんやで
60: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)19:08:40 ID:tkd
>>50
そら朝鮮軍は全部逃げたからな
当時の日本軍はたぶん世界最強だったし
それでも最終的には負けたんやで
63: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)19:09:08 ID:TKn
>>60
そりゃ中国人のマンパワーの前にはねえ
98: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)19:15:23 ID:5qA
>>50
こうして見ると朝鮮はほぼ侵略に成功しとるんよな
no title
103: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)19:15:55 ID:foG
>>98
加藤清正が変態過ぎる
105: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)19:16:41 ID:BUU
>>103
満洲まで行くとか……
つまり、満洲国と日本の関係は正しかった?(暴論)
107: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)19:16:57 ID:5qA
>>103
でもこれアホやで
一部隊だけこんな突っ込んでもうたら兵站管理クッソ大変や
109: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)19:17:47 ID:foG
>>107
虎退治したかったからね、しょうがないね(暴論)
104: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)19:16:33 ID:WrW
>>98
意外と攻め入ってたんやな
まあその先に明あるからそれ以上は無理か
115: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)19:20:11 ID:tkd
>>98
なんせ朝鮮軍がヘボすぎて何の抵抗もなかったからな
調子にのって攻め込んだら兵站切られて大惨事よ
120: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)19:21:40 ID:foG
>>115
どっかのフランス皇帝で聞いたような話やな
170: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)19:34:49 ID:5qA
ちなみに>>98で小早川秀秋がUターンしてるのは
三成「突撃お疲れ様やで~とりあえず兵士を休ませる、兵站補給の為にも釜山へ戻ってクレメンス」
秀秋「おかのした ファッ!?他の部隊は皆突撃かましとるやんけ!釜山へ行くのはやめーや!突撃の時間だああああああああああああ」
三成「あいつ他の部隊は既に補給済みやから突撃しとるのに…しゃーない太閤様に報告せな…」
秀秋「あいつ殺す」=関ヶ原へ
三成に同情不可避
48: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)19:07:21 ID:tkd
そもそも民間人たって他人やし
武士「俺は嫌な思いをしてないから」
49: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)19:07:45 ID:haz
あの時代人権なんてなかったし農民なんてボロ切れみたいな扱いやったんとちゃうの
59: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)19:08:34 ID:4QT
>>49
当時は農民=武士やで
62: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)19:09:00 ID:haz
>>59
ま?あっそうかやから後で兵農分離したんか
65: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)19:09:17 ID:9i3
>>62
秀吉「ワイやぞ」
52: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)19:07:57 ID:k3q
no title
薩摩のお兄ちゃん
54: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)19:08:28 ID:WrW
>>52
正面向いてるの目が据わってるな
58: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)19:08:33 ID:9i3
>>52
前に退却するンゴwwww
53: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)19:08:24 ID:LZj
元寇の鎌倉武士団打線(最新の研究) 
1(中) 壱岐対馬は最初から見殺して相手の戦法を見極めてた 
2(二) 既に出兵5か月前に出兵の時期を想定し鎌倉武士団を大宰府に展開してた 
3(一) 相手が人質を楯にして攻めてきても関係なく矢を射かけまくってた 
4(三) 2度目は30キロの防塁を沿岸に、20キロの空堀を博多の南に、10キロの水堀を大宰府に築いていた 
5(遊) 博多が略奪されてるのは目に見えてるので、敵が来る三日前に博多を略奪しつくしてた(鎌倉武士団が) 
6(右) 2度目の時はモンゴルに倣って人質を楯にして攻撃してた 
7(左) てつはうにあんまり動じずそのまんま徒歩で戦ってた 
8(捕) 2度目の時は夜襲しまくって眠らせなかっただけじゃなく相手の船に牛馬の腐乱死体を積極的に投げ入れてた 
9(投) 元軍が壊滅した後、取り残された元軍の内、宋人は助命したが高麗人、モンゴル人は負傷者も女性も含めて皆殺しにしてた
66: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)19:09:31 ID:WrW
>>53
武士道ってなんなんですかね・・・
69: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)19:10:00 ID:9i3
>>66
武士道って言葉ができたのは明治時代定期
71: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)19:10:26 ID:4QT
>>69
新渡戸稲造「ワイがつくりました」
70: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)19:10:22 ID:Fie
>>66
死ぬ事やぞ
75: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)19:10:49 ID:bPi
>>66
いわゆる武士道って、新渡戸稲造のでっち上げだぞ
56: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)19:08:32 ID:kOV
武装で褒めるとこ日本刀くらいしかないのに、割と外国相手に善戦してて草
67: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)19:09:35 ID:Fie
>>56
鍛え抜かれた肉体があるんやで
72: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)19:10:42 ID:tkd
>>56
日本刀なんて戦争では使ってなかった定期
かわりに和弓という射程と威力で世界最強の弓がね
81: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)19:11:43 ID:kOV
>>72
和弓なんて木製だからデカい割に扱い辛くて飛距離もそんなないやん。
57: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)19:08:33 ID:iJJ
???「博多が落とされたら略奪されて敵が物資補給できてしまうなあ…せや!!」
61: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)19:08:54 ID:BUU
教師「当時のモンゴルは子供のころから馬と戯れる騎馬民族が主流やった! 日本はそれにたじたじ!」
ワイ「ほーん、じゃあ当時の武士はどんな生活してたんやろ」
ワイ「犬追物? 流鏑馬? 騎馬民族やんけ!」
78: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)19:11:06 ID:foG
>>61
支配層だけ騎馬では騎馬民族と呼べない…呼べなくない?
モンゴルは全員当たり前のように騎馬やろ
82: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)19:11:45 ID:suq
>>78
せやな馬は金がかかるんやモンゴルはそれを一人何匹も持ってた
88: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)19:12:55 ID:kOV
>>82
遊牧民やからね。
武田やら越後騎馬軍団と平原の戦いみてみたいわ。
86: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)19:12:44 ID:BUU
>>78
そういやそやな
89: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)19:12:58 ID:Lnq
>>78
フィンランドの冬戦争でも徴兵された兵士の多くが
狩猟で日常的に銃を扱ってた人たちばっかりやったからな
日常で兵器になり得るものを使ってる人らは強いで
92: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)19:13:35 ID:foG
>>89
スコープなしで狙撃する化け物生まれてそう
96: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)19:14:36 ID:bPi
>>92
???「スコープは光を反射するから使わないのは確定的に明らか」
100: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)19:15:36 ID:Lnq
>>92
銃の扱いもそうやけど冬の山で鹿追ってたから
冬山に対する知識を持ってたのも大きいと言われてるね
64: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)19:09:10 ID:AvY
なんやよう分からんけどその末裔であるワイらもガイジやし認めざるを得やんわ
74: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)19:10:45 ID:haz
や新渡戸稲造N1
76: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)19:10:51 ID:hdk
そもそも坂東武士や鎌倉武士なんて道歩いてる坊主を弓矢で撃ち殺して遊んでたんやろ?もうキチガイのレベルがちゃうよな
90: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)19:13:08 ID:pMh
>>76
某所で当時の坂東は修羅の国とか言われてたけど比喩でもなんでもなくその通りなんだよな
79: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)19:11:08 ID:haz
武士の政権って素敵やん?
83: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)19:11:53 ID:BUU
あくまで日本人の感覚やけど九州の方言で蛮族されたらちびるどころか、血で琵琶湖ができそう
84: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)19:12:23 ID:WrW
そもそも元はこんな広い領土をきちんと統治できてたんか?
87: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)19:12:49 ID:haz
>>84
フビライ死んだら見事に分裂しとったな
91: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)19:13:24 ID:tcj
>>87
元は分裂しとらんでモンゴル帝国が分裂した
93: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)19:13:41 ID:haz
>>91
あっほんまやすまんな
85: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)19:12:27 ID:ywe
名こそおしけれ
94: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)19:14:24 ID:BUU
九州も関東も蛮族って事は関西はさぞ文化的な地域やったんやろなぁ……
95: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)19:14:28 ID:WrW
元とモンゴル帝国って違うんか?
106: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)19:16:46 ID:4QT
>>95
モンゴルが分裂してクビライが相続した領国を元と改名
108: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)19:17:25 ID:WrW
>>106
なるほど三月
111: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)19:18:40 ID:tcj
>>95
二代目のオゴタイ位まではハーンを頂点に王族が各地を分割支配
モンゴル帝国っていう大まかなくくりの中で王族の仲は比較的良く平和
クビライがハーンになって中国支配したあたりから王族間で対立が出て来て
帝国が割れ始めた
97: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)19:14:58 ID:pMh
こんな連中が真上に生まれた宋さんは悲惨ってレベルじゃない
99: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)19:15:27 ID:foG
モンゴル帝国ってグループ企業の一番デカイ子会社が元なんか?
110: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)19:18:04 ID:bPi
>>99
モンゴル帝国解散で暖簾分けしてもらった大企業が株式会社元って感じ?
101: 名無しさん@おーぷん 2017/05/03(水)19:15:42 ID:haz
そう・・・
------------------------------------------
あー長いんで割愛 続きはこちらで(´・ω・`)つ
http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1493805172/
http://blog.livedoor.jp/toshi114514/archives/70450961.html(まとめサイト)
http://military38.com/archives/49979668.html(まとめサイト)

その他、こちらも参考になります 非常に分かりやすい!( ´∀`)bグッ!
元寇で怖いのは神風でも、火薬でもなく鎌倉武士団 [歴ベン!~3年8ヵ月~]
http://dar-rekishi.com/125%20/post-125/
【悲報】 鎌倉武士団、実はモンゴルより鬼畜だった!!
http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1446678069/
http://gabareki.blog.jp/archives/2277205.html(まとめサイト)
フビライ・ハーン「日本なんてすぐ降伏するやろ」
http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1455589553/
http://majime2ch.net/archives/1142(まとめサイト)
【悲報】元寇直前の蒙古の使者による鎌倉武士像wwwww
http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1538831120/
http://military38.com/archives/52546281.html(まとめサイト)
【朗報】元寇の鎌倉武士、言うほどヤバくはなかった
http://swallow.5ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1537524529/
http://military38.com/archives/52605376.html(まとめサイト)
「鎌倉蛮族」とは何か?~武士道とは、野蛮と見つけたり~
https://togetter.com/li/1019299
※このコメントが好きw→ 鎌倉武士のやってたこと、例えば「門前通るやつを適当に首はねる」とか見ると、並みの蛮族が尻に帆を立てて逃げ出すようなアトモスフィアを感じるw
モンゴル兵「日本の侍捕まえたぞ!!盾にしたろ!!これで攻撃できんやろなぁ」鎌倉武士「…」
そうそう、冒頭の漫画の表紙ですが、これは『アンゴルモア 元寇合戦記』という漫画でして、最新の元寇の史実を元にした鎌倉武士が主人公の漫画です
この前『対馬編』最終巻が出ました、そしていよいよ次は『博多編』、楽しみです(*´ω`)
ちなみに今現在、深夜にこの漫画がアニメ化されて放送していますが(Amazonプライムでも観れる)、、あっちは漫画の中のいくつかのエピソードがさりげなく端折られてますね
まーアニメとなると色んな人も観るでしょうし、絵的にも政治的(?)な面でも、色々気遣わなくちゃいけないところも多いんだろうなーと思いました

ちなみに昨今の『鎌倉武士』での検索結果
Googleさんは、関連する検索キーワード『ひょっとしてコレ知りたいんじゃね?』ってワードをご丁寧に検索結果の末尾に並べてくれるのです、鎌倉武士のウチのご先祖達もさぞや苦笑いだな、いや返って喜ぶかww
  ↓
kamakurabushidan-google.jpg

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日本の教育現場が変わった?【転載】 [日本の隠された歴史]

以下、まるっと転載

転載元:言霊と革命を超えて
http://shinjihi.tumblr.com/post/58201400516/6#notes

8月 14, 2013

公立に通う小6息子が、平和学習で、日本もアメリカ任せでただ守ってもらうのでなく 

軍備をしっかりしていかなくては平和を維持出来なくなる時が来るかも知れない。 

すでに竹島は韓国に占領されているし、尖閣も同じようになれば、近くの沖縄も危ない。 

どんどん占領されて、その時に戦争反対って旗持って叫んでても誰も助けてくれない。 

だから軍備は必要であって、自衛隊は戦争をするためにあるんじゃない。 

日本の国土と国民を守るために自衛隊があり、弱ければ平和に暮らせなくなるかも知れない。 

このことについて、家庭で話し合ったり、ネットで調べてみて下さい。 

て、言われたそうだ。 


保護者へのプリントには、夏休みの間に平和について話し合って下さい。学校からは特定の思想を押し付けたり、ご家庭での考えを否定することもしません。 

ってあって、たまげたよ。 

団塊教師がいなくなったから、平和教育も随分変わってきてるみたい。 


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「玉音放送を現代語訳してみた」 【転載】 [日本の隠された歴史]

明日8月15日は、第二次世界大戦の終戦の日です

そんな中、終戦を日本国中、そして世界中に伝えた昭和の天皇陛下の玉音放送を現代語訳したものがありましたので、そっくり転載させていただきます

私個人的には「日本人は、もっと誇り高く生きていい」と、常々思っております

以下転載

転載元:shinjihiのブログ
20130814104914.jpg
世界の情勢と日本の現状をよくよく検討した結果、ありえないと思われる方法をあえてとることにより、この状況を収拾したい。常に私に忠実であるあなたがた日本臣民の皆さんに、今から私の決断を伝えよう。
私は日本政府担当者に米国、英国、中国、ソビエト連邦の4カ国に対して、日本が(ポツダム)共同宣言を受け入れると伝えることを指示した。 そもそも私たち日本国民が穏やかで安心な暮らしができ、世界全体と繁栄の喜びを共有することは、歴代の天皇が代々受け継いで守ってきた教えであり、私自身もその教えを非常に大事なことと考えてきた。
最初に米英2カ国に宣戦布告した理由も日本の自立とアジアの安定を願う気持ちからであり、ほかの国の主権を侵したり、その領土を侵したりすることが、私の目指すところであったわけではない。
けれども戦争はすでに4年も続いており、我らが陸海軍人たちの勇敢な戦いぶりや行政府の役人らの一心不乱の働きぶり、そして1億人の庶民の奉公、それぞれが最善を尽くしたにも関わらず、戦況は必ずしも好転せず、世界情勢を見るに、日本に有利とはとても言えない状況である。
その上、敵は残虐な新型爆弾を使用して多くの罪のない者たちを殺傷し、その被害の及ぶ範囲は、測ることもできないほどに広がっている。もしもこれ以上戦争を続ければ、最後には我が日本民族の滅亡にもつながりかねない状況であり、 ひいては人類の文明すべてを破壊してしまいかねない。
そのようなことになれば、私はどのようにして1億人の民を守り、歴代天皇の霊に顔向けすることができようか。これが私が政府担当者に対し、共同宣言に応じよと指示した理由である。
私は、アジアを(西欧列強から)開放するために日本に協力してくれた友好国にたいして大変申し訳なく思う。また、日本国民であって戦地で命を失った者、職場で命を落とし、悔しくも天命をまっとうできなかった者、そしてその遺族のことを考えると、心も体も引き裂かれんばかりの思いがする。戦争で傷つき、戦災被害にあって家や仕事を失った者たちの暮らしについても、非常に心配に思っている。
この後、日本が受けるであろう苦難は言うまでもなく尋常なものではないであろう。みなさん臣民の悔しい思いも、私はよくよくそれを分かっている。
けれども私は時代の運命の導きにそって、耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、これからもずっと続いていく未来のために、平和への扉を開きたい。
私はこうやって日本の国の形を守ることができたのだから忠誠心が高く善良な臣民の真心を信頼し、常にあなたがた臣民とともにある。
感情の激するがままに事件を起こしたり、もしくは仲間同士が争って世の中を乱したり、そのために道を誤って世界からの信頼を失うようなことは、最も戒めたいことである。

何とか国全体が1つとなり、子孫にまでその思いを伝え、神国日本の不滅を信じ、任務はとても重く、行く道は非常に遠いことを覚悟して、将来の建設に向けて総力を結集し、道義を守り志と規律を強く持って、 日本の力を最大に発揮することを誓い、世界の先進国に遅れをとらずに進むのだという決意を持とうではないか。
私の臣民たちよ、ぜひともこの私の意思をよくよく理解してもらいたい。


●玉音放送の動画

終戦の詔勅 (玉音放送)


昭和天皇の玉音放送 高音質バージョン



●国家 君が代 動画

国歌独唱/第82回選抜高校野球大会


日米国歌斉唱 小柳ゆき


竹内力 君が代


君が代 秋川雅史


Kiyoshiro Imawano - Kimigayo ~ 忌野清志郎 - 君が代

GACKT 国歌独唱-2012 03 29 メジャ―リ―グ開幕戦-



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武士と忠義のお話 【転載】 [日本の隠された歴史]

20130106202458fc8.jpg

武士と忠義のお話
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1758.html
ねずさんの ひとりごと」より転載


江戸時代の武士にとって、最大級の賛辞が、「まるで鎌倉武士のようだ」というものでした。

どういうことかというと、実は鎌倉武士というのは、小領主たちであったからです。
つまり、戦国武者や、江戸武士、あるいは大昔の防人(さきもり)などとは違った存在です。

もともと古代の律令日本においては、武人というのは、兵のことで、今で行ったら自衛隊や警察などのことを指します。


さて、もともとは日本は、武器を手にして戦うという文化がなかった国です。
実際、2万年近く続いた縄文期の遺跡からは、対人用の武器に相当する遺物が、いまだにひとつも発見されていません。「ひとつも」です。

これは世界史的、人類史上的にみて、もすごいことです。
日本には何々貝塚と称されるものなど、縄文時代の遺跡は全国に数万カ所あるけれど、いまだに、ただのひとつも対人用兵器としての武器が発見されていない。
そのかわり、灌漑農業の跡などは、多数発見されています。
要するに日本人というのは、二万年の昔から、戦って奪ったり殺したりすることより、互いに助け合い、協力しあって、生産することを是としてきた民族だという、これがなによりの証拠です。

ところがそんな日本に、いまから三千年くらい前、大きな変化が起こります。
この頃の支那は、戦国時代でした。
まさに民族同士で殺し合いや殺戮がさかんに行われていた時代です。
この連中が日本にも流れてきた。

誰も武器を持たないで、みんなで助け合って生きている国に、武器を持ったあくどい連中がやってくる。
最近の日本も武器の所持は禁止で、誰も武器など携帯しませんが、その日本に、サブマシンガンを持った悪党が登場したらどうなるでしょうか。
警察さえない、あっても武器をもたないとすれば、もうやりたい放題です。
そして現実に、そういうシチューションで、インカの帝国は完膚なきまでに滅んでなくなってしまいました。

縄文時代後期、大陸で武器を手にして戦っていた者の一部が、日本に流れてきました。
日本人は武器を持たない。
彼らは武器を持っている。

そこで何が起こったか。
みなさんは、縄文式土器、弥生式土器ということを学校で習ったと思います。
縄文式土器がたいへん装飾性豊かあるのに対し、弥生式土器はきわめて簡素です。
そして弥生時代になると、突然、武器を手にした人形の焼き物なども登場しています。

要するに、漢鏡や金印のような平和な権威の象徴だけが日本に来たのではなくて、大陸から、人殺しや窃盗犯、粗暴犯たちが、武器を手にして日本に流れてきたのです。

彼らは、日本でありとあらゆる犯罪行為をしでかしたことでしょう。
火付け、盗賊、暴行、傷害、殺人、それらは日本人にとっては今も昔も犯罪行為です。
けれど大陸の獣人たちにとっては、強い者が弱い者から奪うのは、あたりまえの常識です。

獣人たちは暴れ回りました。
最初のうちは、日本人はただ被害を受ける一方だったことでしょう。
けれど、さしもの日本人も、いつまでもやられっぱなしというわけにはいきません。

自分たちも武器を習い、さらに持ち前の研究熱心さで、ついには武器を自作し、その使い方まで一生懸命練習して修練し、獣人たちなどよりもはるかに優れた武器を持ち、上手に使う方法までも開発します。
要するに自衛のために日本人が立ち上がった。
弥生時代のはじまりです。

そして人々は、助け合い、ひとつにまとまって、大和朝廷を築きました。
そして太宰府を置き、そこに防人(さきもり)を配置します。
これがようするに、これが古代の武人です。
古代の武人というのは、いまでいう兵のことを指すのです。

そして遣隋使、遣唐使のあと、日本は大陸との国交を絶ちます。
なぜ断ったのか。
簡単です。
百害あって一利無しだったからです。

経済ベースで言えば、交易は儲かります。
支那の絹糸は、日本に持ち帰れば20倍の高値で売れたし、日本で産出された銅は支那で5倍、時代はすこしあとにになりますが、日本刀など30倍くらいの高値で支那で飛ぶように売れています。
大陸との交易は、経済的には巨富をもたらしたのです。

けれど、百害あって一利なしだから鎖国したのです。
なぜか。
儲かるだけなら良いのです。
物品にあわせて、ろくでもない支那人や朝鮮人が日本にはいってくる。
そして窃盗、強盗、殺人、強姦、挙げ句が人食いまでやってのける。

たとえ交易が、経済的な豊かさをもたらすとしても、治安が悪化したら、民の生活の安心を損ねます。
何も泥棒や強姦被害に遭ってまで、金儲けなどする必要はない。
そんなことくらいなら、畑でも耕して大根や菜っ葉でも作っていた方が、はるかに安心です。
なにしろ人は、食えれば生きていけるのです。
贅沢をするのではなく、質素でもいいから安心して幸せに暮らしたい。
あたりまえの感情だろうと思います。

そして日本は、支那、朝鮮との国交を絶つことによって、和心豊かでミヤビな平安文化を花開かせました。
紫式部の源氏物語など、世界最古の女流文学が誕生できたのも、女性が安心して生きられる鎖国日本という、平和な世の中だったからこそです。
そしてこの平安期に、古代の兵とは異なる、中世の武士が日本に誕生します。

世の中が平和になると、民衆は、少しでも生活を豊かにしようと、荒れ地を開墾し、田畑をひらきます。

これはひとりでは、とてもできるものではありません。
なぜなら、土地を開発し、水路を引くといった土木作業は、たいへん多くの労働力を必要とするからです。
さらに農業に書かせないのが、利水です。
上流の村の人たちが、勝手に川の水をせき止めてしまったら、下流の田畑は干上がってしまいます。
当然、そこには利害の調整が必要となります。

そしてこの調整のためには、村を代表するリーダーの存在が不可欠です。
そしてそのリーダーたちが、村々の小領主として育っていきます。
さらにリーダー同士で結束し、もっと大きな邦をつくる。
さらに大きな新田を開拓する。

こうして広大な新田を保有する新領主が誕生します。
けれど、開発した新田は、そのままではやはり税がかかります。

そこで、新領主たちが何をしたかというと、国司や朝廷の貴族などに田畑を寄進し、税を免除してもらうようにはたらきかけました。
要するに、節税対策です。

こうして税を払わなくてよい農地が広がると、当然、そこには財力が生まれる。
そしてもっと広い無税の土地がほしくなる。
こうして育った封主のなかの、有名なのが天皇の血筋をひく、源氏や平家でした。

なかでも関東の豪族として勢力を持ったのが、平将門です。
彼は関東一円を統一し、「新皇」を名乗りました。
同時期、瀬戸内では藤原純友が大阪や淡路、愛媛を襲い、さらには太宰府まで襲って叛乱を起こします。

こうした武装集団に対抗するためには、朝廷も武装集団を雇わなければなりません。
乱はまもなく鎮圧されますが、こうして台頭したのが、中世の武士たちです。
中世の武士というのは、全員が領主さまです。
要するに、馬に乗って鎧を着ているのが武士で、そのまわりにいる歩兵たちは、武士とはいいません。
ただの「家人」です。

つまり、平安後期から鎌倉時代にかけての武士というのは、今風にいえば、農園の経営者たちで、彼らは自分の管理する農場を安堵してもらう代わりに、いざとなったら、戦いに身を投じた。
これが「御恩と奉公」です。
誤解を恐れずにいうなら、要するに農場安堵という利害関係によって形成されていたのが、御家人と呼ばれる武士たちであった、ということです。

こうした武士たちのなかで、はじめに頂点に立ったのが源氏です。
源氏の家は天皇家の血筋で、なかでも八幡太郎義家(源義家)は武勇の誉れ高く、前九年の役、後三年の役などではなばなしい武功をあげています。
ところがあまりに義家が人気があるため、逆に彼は朝廷の貴族たちから警戒されてしまいます。
おかげで、武勲を上げたのに、肝心の報酬をもらえなかった。

困った義家は、自分の領である河内(大阪)を、武勲のあった部下たちに報酬として分け与えました。
これが御恩となり、義家の人気はますます高まりました。

信用を得た義家のもとには、より多くの農園主たち(武士)が集まりました。
義家の勢力は拡大し、実力者となった義家は、次男の義親(よしちか)を対馬の守に任じます。
これがいけなかった。

義親が対馬で叛乱を起こしたのです。
朝廷は父親の義家に追討を命じますが、残念なことに義家は病のために死んでしまう。

で、義家に代わって対馬の義親を討ったのが、平正盛(清盛の祖父)です。
平氏は、この一件で力を得、瀬戸内の水軍を傘下におさめて、支那の南宋と貿易を始めました。

この南宋というのは、軍事力よりも経済を重視した国で、もっとも後年、あまりに軍事をないがしろにしたために、元に滅ぼされてしまうのですが、平清盛が日宋貿易をしていた頃は、いわば南宋の全盛期です。

交易は派手になり、平家一門は莫大な経済力を身に付けます。
そして朝廷に食い込み、ついには太政大臣にまでなってしまう。

ところが、宋との貿易は、やはり国内に古代と同じ問題をひき起こします。
国内に支那人、朝鮮人が多数流入し、国内の治安が悪化したのです。

民衆の生活が脅かされている一方で、平家一門が巨額な経済力で贅沢の限りをつくしている。
当然、全国から怨嗟の声が満ちてきます。

そうして起こったのが、源頼朝の挙兵です。
頼朝がなぜ京都ではなく、鎌倉に政権を開いたのか。
その理由は、京の都が、在日支那人、在日朝鮮人たちによって、どうにもならないくらいに汚染されていたから、と考えると、辻褄が合います。
頼朝は、朝廷の貴族となることよりも、武家の棟梁としての道を選んだのです。

こうして鎌倉幕府が開かれるのですが、鎌倉時代における武士というのは、御家人と呼ばれる馬に乗った騎馬武者、領主たち、いまでいえば農場主、もっというなら中小企業の社長さんたちであって、馬上の武士の周りにいる小物たちは、もちろん戦(いくさ)となれば一緒に働くけれど、武士ではなく、家人たちです。

そしてその武士たちと幕府とは、御恩と奉公の関係によって結ばれています。
所領の安堵と引き換えに、いざとなったら鎌倉幕府に応援に駆けつける(いざ鎌倉)という関係だったわけです。
ということは、武士たちの根底にあったのは、もちろん戦(いくさ)となれば、武勇の誉れ高く働きますが、どちらかというと所領の安堵という経済的利害得喪が主君と奉公人との関係の根底にあったということができます。

この鎌倉幕府には、大きな欠陥が内蔵されていました。
それが「田分け」です。
相続をあるいみ民主的な均等配分方式にしたため、世代がすすむと、領主たちが、その所有する土地が狭くなり、食えなってしまったのです。
結果、世代交替のたびに、生活はどんどん苦しくなり、ついに借金もぐれになってしまう。
どうにも生活がなりたたなくなる。

このため武士の中に、大きく二つの流れができてきます。
ひとつは、再び王政復古して、朝廷を中心とする世の中に戻そうという考え方。
もうひとつは、分割された所領を再び大きな所領に合併させて、再び大領主となっていこうとする方向です。

前者は朝廷と結びつきます。
古代のような、天皇を中心とした世の中にもどそうという方向に進んだのです。
ところが、肝心の朝廷が、いろいろあって南北に分裂してしまいます。
こうして南北朝時代がはじまる。

ここで彗星のごとく登場したのが、楠正成です。
楠正成は、天皇という国の「公」を代表する存在に、一命を賭し、これを守ろうとします。
そのため、鎌倉方の数万の軍勢に、たった500騎で戦いを挑む。
そこに利害得喪はありません。
「公」への忠と、そのために我が身を捧げようとする「義」だけがそこにあります。
要するに、ここに損得勘定を超えた「公」への忠義の観念が登場するわけです。

「忠」というのは、読んで字の如くで、我が心の中心に置くものです。
その中心に置くものが、自分だけがいい思いをしたいという個人の利得であったり我欲なら、それは我儘(わがまま)というものです。支那人、朝鮮人の行動原理と同じです。

ところが、個人の利得を超えて、よりおおきな「公」、つまり多くの民衆のために尽くすのは、「忠」です。
そして「忠」のために、我が身を捧げる、それが「義」です。
「義」というのは、羊に我と書きますが、古代において羊は神への生贄(いけにえ・捧げもの)です。
我が身を神への捧げものとして生贄にする。
それが「義」です。

つまり「忠義」というのは、我が身を、命さえも惜しまずに、より大きな「公」に捧げるという観念をあらわします。
その忠義の心が、七たび生まれ変わっても変わることがない。
これが「七生報国」です。

ここで、国のために自己の犠牲を厭わず、むしろ積極的に命を捧げるという、規範意識が生まれています。
それが後年、武士の「忠義」の道となり、武士道の根幹として育っていきます。

一方、楠正成などが、忠義の道へと進む一方で、相変わらず利益重視の勢力は、足利尊氏や新田義貞などの新興勢力のもとに結集し、足利幕府を構築します。

この足利幕府というのは、ある意味経済団体的側面を持っていて、三代将軍足利義満の時代には、早々と日明貿易(勘合貿易)をはじめています。

おかげで足利幕府は、たいへんな金持ち政権となるのですが、同時に支那人、朝鮮人が再び日本国内に入り込み、国内の治安の悪化します。
結果、戦乱の世が始まる。
戦国時代です。

この戦国時代、武士は、大きく変質します。
古代の武士は、今風にいえば、徴兵された軍人たちでした。
中世における武士は、農園主たちでした。
武士が、裕福で堂々として、強くてかっこよかった時代です。
で、戦国時代になると、誰でもかれでも刀や槍を持てば、その日から武士となった。

おかげで農民の出の羽柴秀吉が武士になり、大名に出世して、ついには関白太政大臣にまでなっています。
ところが、その秀吉は、全国的な刀狩りを行い、武士と、農工商民を完全に区別するようにします。
目的は、世の中を戦乱の世に戻さないようにするためです。

こうして武士の身分が固定される、新たな時代に移り変わります。
同時に、足利幕府が再開した海外交易は、徳川家の鎖国政策によって、停止となりました。
この鎖国というのは、物流に関しては、限定的開国です。
ただし、国の出入り口を絞ることによって、人の出入りを厳しく監視しました。
つまり、支那、朝鮮人たちが、好き放題日本に入ってくることを防いだのです。

おかげで江戸時代には、早々に国内治安が回復し、再び日本文化が熟成していきます。

そして身分を固定された武士たちは、あらたな規範として、藩という家に対する「忠義」の観念を深く持つようになりました。
鎌倉武士が裕福な領主たちだったのに対し、江戸武士は貧乏だけれど「忠義」という精神性、つまり武士道を基本に持つ人たちです。

ところで、江戸武士の忠義の対象が、上様(殿様)と思うなら、それは間違いです。
江戸時代に限らず、室町時代にも戦国時代にも、伝統的に続く武士の習慣として「主君押込」というのがあるのです。
主君が暗愚なら、お家のために、家老らが謀って、主君を座敷牢に閉じ込めたり、隠居させたりしています。
有名な上杉鷹山も、一時は主君押込騒動にあっています。

要するに日本社会では、古来、殿様は絶対君主ではないのです。
家(藩)という「集合体を代表する者」なのです。
家(藩)というのは、一般民衆も含む都道府県や市町村です。
その市町村民や、県民を庇護し守り育てるのが武士の仕事です。
殿様が暗愚で、そうした自覚を持たず、わがままで身勝手な存在であれば、その殿様を座敷牢に押込めてしまうのも、家臣たちの忠義と考えられていたのです。
ですから日本の殿様は、支那朝鮮の王族たちなどとは、根本的に異なる精神性を持つ存在です。

こうした忠義の観念は、江戸武士の基本的マインドとして、徳川300年の治世の中で、わが国武士に完全に定着します。

ところが、幕末になると大事件が起こる。
黒船来航にみられる欧米列強の脅威です。

これに対抗するためには、それまでの「藩」という名の家を超えた、もっと大きな、国としてのまとまり、つまり古代日本が行った「公」という概念のもとに、日本が一致協力して結束していかなければならない。

こうした必要から、明治にはいると、それまで武士だけの専売特許だった忠義の観念が、日本人の一般庶民にまで共通する観念として定着します。
それまで、藩への忠義だった忠義心が、今度は、国家への忠義へと、大きく広がりをもつようになったのです。

そして忠義の名のもとに結束した日本人は、国をひとつの家となし、国民が一致団結して、欧米に学ぶべきものは学び、国力をつけ、ついには、国土を焼土にしてまでも、欧米列強の植民地化圧力をを跳ね返しただけでなく、東亜諸国の植民地からの解放まで実現させています。
その日本の行動の根底にあった日本人の共通観念こそが、まさに「忠義」の観念であったわけです。

実はこの観念は、占領下に置かれたあとの現代日本にも、いまだ、色濃く、日本人に息づいています。
すなわち、より大きなもののために全力を尽くしてこれに尽くす。
たとえば国際ボランティアに参加する、被災地の復興ボランティアに赴くといえば、普通の日本人なら、「ああ、すごいなあ」と感心します。

つまり、より多くの人々のために尽くしていくこと、その対象が、より広く、大きな存在であるほど、その行動は偉大なこと、良いことだと考えられています。

ただし、です。
ひとつ気をつけなければならないことがあります。
忠義というのは、あくまで一般町民や農民の観念ではなく、もともとが「武士の観念」である、という点です。

なぜそのことが重要なのかというと、徒手空拳の丸裸では忠義は成立しないからです。
忠義は、実は、武力の裏返しなのです。
武力があって、はじめて忠義の観念が活きる。
実はそこがいちばん大事なところです。

なぜかというと、世の中には、どうしようもない恥知らずで法をおそれない獣のような人々がいるという事実があるからです。
自分の私欲のために他人を犠牲にしてもなんとも思わない。
そのような不埒な連中というのが、必ずいるのです。
なかには、不埒が国家を名乗っているケースさえもある。

福沢諭吉が、その著書の「学問のススメ」の中で、
「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」と書いたのは有名な話です。

けれど福沢諭吉は、その文のあとに、次の一文を続けています。
「およそ世の中に無知文盲の民ほど憐(あわ)れむべくまた悪(にく)むべきものはあらず。
智恵なきの極(きわ)みは、恥を知らざるに至り、
己(おの)が無智をもって貧窮に陥り飢寒に迫るときは、
己が身を罪せずして、
みだりに傍(かたわら)の富める人を怨み、
はなはだしきは徒党を結びて乱暴に及ぶことあり。
恥を知らざるとや言わん、
法を恐れずとや言わん」です。

そしてさらに、
「かかる愚民を支配するにはとても道理をもって諭(さと)すべき方便なければ、ただ威をもって畏(おど)すのみ。西洋の諺(ことわざ)に、愚民の上に苛(から)き政府ありとはこのことなり」と書いています。

要するに、福沢諭吉は、天は人の上にも、下にも人をつくらない、、、つまり人はみな本来、対等につきあうべきだといいながら、世の中には、そういう付き合いをしてはならないろくでもない獣人がいるから、そういう連中とは付き合うな!、と言っているわけです。

みんなのために、みんなとともに我が命さえも捧げてがんばろうという人や国家がある一方、性根の悪い者や国があります。
そういう人や国は、平気で他人や他国の善意を利用し、志を蹂躙し、安心、安全、利益、信用、伝統や有形無形の財産を平気で奪い取ります。
ですから「忠義」は、常にそうした獣人からの危険に対し、「武」が要求されるのです。
つまり、武と忠義は、紙の裏表の関係にある。
「武」のない「忠義」は、かえって獣人を跋扈(ばっこ)させ、世を貶める原因となってしまうのです。

しばらくまえに、言葉の意味もわからずに「世界と友愛」などとわかったような妄言を吐いた政治家がいましたが、こういうのを、平和ボケといいます。

日本国民が縄文の昔から育んできた、やさしい心、助け合いの心を大切にするには、その国民を守ろうとする日本国への忠義心が、その根底に必要なのです。

そして忠義と、武力は、常に紙の裏表です。
そして武力があることが、民の安心な暮らしを守ることになるのです。

悪党がはびこらず、人々が安心して暮らせるために警察があります。
警察がなければ、民度の低い獣人たちがはびこり、人の世が壊れてしまいます。

同様に、国富を奪おうとする強欲国家があれば、これへの対抗には軍隊が必要です。

「武」と「忠」、この二つは常に共存することで、民の安寧をはかりうるものなのだということを、私達はもういちど確認しなければならないように、私は思います。

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韓国/国民保導連盟事件 【ねずさんのひとりごとより転載】 [日本の隠された歴史]

http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1712.html 

先日、FacebookではHさんからのシェアでご紹介したのですが、あらためてyahoo知恵袋から「国民保導連盟事件」をご紹介します。 
たいへんよくまとまっています。 
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1251448547 

要するにいま日本にいる在日韓国人というのは、 
朝鮮戦争のときに李承晩による韓国民の大虐殺事件の結果、済州島を中心に日本に難民となって逃げてきた朝鮮人の末裔です。 
要するに、不法入国してきた者達です。 

当時、日本政府はこの密入国してきた韓国人をもてあましました。 
ですから日本は、韓国に対し「まとめて逮捕して韓国政府に引き渡したい」と申し入れました。 
ところが韓国政府は、拒絶します。 
つまり、この時点で、在日韓国人は、韓国から棄てられたのです。 

日本政府はやむを得ず、虐殺からの逃れてきた朝鮮人達に「25年」の滞在許可を与えました。 

ところが25年後に日本から韓国に引き渡されれば、そのときに自分たちは韓国政府に殺されるかもしれないと考えた在日韓国棄民は、知恵を絞りました。 
そしてサンフランシスコ講和条約に「戦前から滞在している朝鮮人、台湾人には無条件で日本での永住権を与える」と定められていることを悪用して、 
「我々は戦前強制連行されてきた朝鮮人である」と名のり出したのです。 
要するに、最初から彼らは嘘ばかりなのです。 

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やまと新聞の動画コラム「ねずさんの動画マガジン」 
http://www.yamatopress.com/co/pg146.html 

最新号 
第10回  主権のお話 
主権を持つということはどういうことか 


第11回  野蛮人とは 
人間と人間ではないものとは・・・・ 


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一方、日本の民間人は、当時の日本人の生活が極めて貧しいものであったにも関わらず、ボートピープルとなっていた朝鮮人難民に対し、実に細やかに親切にしました。 
身ひとつで難民となってやってきた朝鮮人達を、風呂にいれてあげたり、家で匿って食べさせてあげたり、あるいは東京や東北に親戚がいるなどと聞けば、近隣のみんなで金を出し合って旅費を作ってあげたりしました。 
困っている人をみたらほっておけない。変わらぬ日本人の日本人らしい姿勢です。 

普通なら、世界中どこの国の民でもそれだけの恩義を受ければ、感謝の心を忘れないものです。 
ところが朝鮮人達には、そういう恩義を感じる心というものがない。 
日本人から受けた恩義を忘れ、日本国内で徒党を組み、日本人が武器を持たないのをいいことに、集団で土地をロープで囲んで土地を占拠横領し、バラックを建てていた家族を殺害してその土地を奪いました。 
それがいまある駅前の一等地のパチンコ店の敷地です。 

さらに白昼堂々、商店を襲って商品を根こそぎ奪ってこれを売ってお金に変え財を築きました。 
モノがない時代です。闇市で捌けば何でも売れた。 

さらにバスや列車に無銭で乗り込み、駅員を殴り倒し、網棚の荷物を外に放り投げ、日本人に対して集団で暴行を加えました。買い出しや遠い親戚に会うために乗車していた若い女性が、親兄弟の前で素裸にされ強姦された例は数知れません。 
そしてこれを咎めようとした警察官に対してさえ、集団で暴行を加え、殺害をくり返したのです。 

日本では、白バイによるスピード違反等の取締は行われません。 
なぜかというと、その昔、大型トラック輸送を牛耳った在日朝鮮人達が、追跡してきた白バイに、加減速をくり返して白バイが真後ろについたことを見計らって、急ブレーキをかけたのです。 
白バイ警官は、トラックの荷台の下に突っ込み、ヘルメットをかぶった生首が道路に飛びました。 
こうした事件が、50年代に多発しました。 
機動力を活かしたはずの白バイが、走行中の車両の取締に使われないのはそのためです。 

恩を仇で返す。これが嘘も隠しもない、韓国人の姿です。 

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【質問】 
韓国最大のタブーという動画を見たのですが、1951年に韓国軍が二十万人を虐殺した国民保導連盟事件というのがあったそうですね。 
詳しく教えてください。 

日本には朝鮮戦争で虐殺から逃げてきた避難民がたくさん来たといいます。 
日本最大の朝鮮人街大阪の猪飼野は済州島から逃げてきた「アカ」の人たちだといいますね。 
助けてもらったクセに、何故、日本に敵対するようなことをするのですか? 


【ベストアンサー】 
保導連盟事件は、共産主義を支持した人々が転向して国家に忠誠を誓うとした保導連盟というものがあり、それが朝鮮戦争でにわかに赤狩りをするようになった韓国政府にスパイ容疑での虐殺リストとして使われた事件です。 


保導連盟事件を中心に一連の事件で100万人以上が虐殺されたと言われています。 

虐殺の容疑はすべて共産主義のスパイということでしたが、実際にはちょっと疑わしい程度から、権力者(憲兵など)が気にくわないというだけでどんどん虐殺されるようになり、大規模な国家による国民虐殺に繋がりました。 

この虐殺は、第二次世界大戦で亡くなった朝鮮人の数よりも遙かに多かったので、これをごかますために、1970年代に軍事政権から民主主義大統領制に移行した際、日本と日本の占領制度を責めるというような方向でのガス抜きをするようになっていきました。 

保導連盟事件が韓国内で口にできるようになったのは1990年ごろからで、それまでは関係者が口を開く気配があるだけで連行される時代でした。 
(韓国では、戦前の日本にあった治安維持法と全く同じ法律である国家保安法があり、怪しいというだけで証拠が特になくとも逮捕も拷問も出来るように法整備されています) 

済州島のは、その流れのうちでも初期の事件で、4.3事件と呼ばれるおよそ7万人が虐殺された事件です。 
このときに逃げてきた人々が後の虐殺から逃れるために半島の人々を手引きしたことから、済州島出身者を中心として朝鮮人街が生まれているケースが多いのです。 

一昨年、公文書館から当時外務省と韓国政府の交わした文書が発見されているのですが、これによると日本政府はこの密入国してきた韓国人たちをもてあまし、まとめて逮捕して韓国政府に引き渡すと申し入れています。 

そして、韓国外務省はそれを拒絶している回答を残していました。 
つまり、二国間でもてあまされた政治棄民だったわけです。 

そして、日本政府は虐殺からの逃れてきた半島の人々に対して25年の滞在許可を与える決定を出します。 
これに過敏に反応した在日の人々は、知恵を絞った結果、 
「我々は戦前強制連行されてきた朝鮮人である」 
と名乗ることにしたのです。 

これは、25年後に引き渡されて殺されることが明白だったために、生き残るための知恵でした。 
日本は、サンフランシスコ平和条約で「戦前から滞在している朝鮮人・台湾人に無条件で永住権を与えること」と定められているためです。 

しかし、彼らには戦前から滞在していたと証明するものはありません(何せ、実際住んでいなかったのですから)。 

だから「強制連行なんだから、証拠や書類なんて我々が持っているわけがない! 
日本政府が無理矢理連れてきたのだから謝罪しろ!」と無理矢理な理屈でゴネたのです。 

日本政府としては、強制連行された朝鮮人は二百数十人しかいないことを知っていますから文句のひとつもつけたいところですが、敗戦後の国際世論の目が光っている状態で、「日本はサンフランシスコ平和条約にけちをつけた」と言って触れ回られたくないために、渋々黙認するようになったのです。 

彼らは日本政府を非難することで生き残る道を作ったので、その方針がそのまま引き継がれるようになっていきました。 

ウソも突き通せば本当になると思ったのでしょうが、世の中の情報化社会への進化のほうが早くて、薄まりかけていた彼らの真実も、現在では明るみに晒されているのでした。 

虐殺に関してはTRC(真実和解委員会)という団体が調査をしていますが、昨年、李明博大統領は彼らへの予算は配分しないことを宣言しており、韓国政府はこれ以上この問題を公にしたくないという態度をとっています。 
======== 

「国民保導連盟事件」というのは、まさに朝鮮戦争の最中に起こった大規模虐殺事件です。 

当時韓国の初代大統領であった李承晩(りしょうばん)が、共産主義者から転向した者達を、再教育するためにと称して「国民保導連盟」という組織を作ったのです。 

要するにこの「国民保導連盟」に加入している韓国人たちは、全員が元アカ、つまり共産主義者もしくはその家族だったわけで、そういう人達に、おいしいことを言って連盟に加盟させ、人数がまとまったところで、李承晩は、その加盟員を、韓国軍と韓国警察に命じて、全員皆殺しにしたわけです。 

この事件について、李承晩大統領が失脚した1960年の四月革命直後に、韓国の全国血虐殺者遺族会が、遺族たちの申告をもとに報告書を作成しています。 
その報告書によると、虐殺された人数は114万人であったとされています。 

また、韓国政府の「真実・和解のための過去史整理委員会(ko)」も、朝鮮戦争の初期に韓国政府が、子供を含む少なくとも10万人以上の人々を殺害し、排水溝や炭鉱や海に遺棄したことを認めています。 

公開された米軍の機密書類には、この虐殺時に米軍将校が立会ったことや、虐殺を承認した事実などの詳細の記録があり、また英国軍の役人や、豪州人による目撃記録もあります。 

つまり、韓国軍による自国民の大量虐殺が行われたことは、まぎれもない事実なのです。 

韓国政府は、2012年の現代に至っても、自国にあったこの歴史を国民に隠蔽し続けています。 
それどころか、大量虐殺の遺体写真などを、あたかも日本軍による蛮行であったかのように偽装し、国民をたぶらかし続けています。 

また一方、この事件を逃れて難民として日本に不法入国してきたのが、いま日本にいる在日朝鮮人たちです。 
日本は、彼らを保護し様々な恩恵を与え続けてきましたが、彼らはそれをいいことに、日本社会を食い物にし続けてきました。 
そして戦後に日本に密航してきた不法入国者であるにも関わらず、自分たちは戦前に日本に強制連行されたのだと嘘を尽き続けています。 

人を騙すことが平気な在日韓国人と、人と信頼し合うことを大切にする日本人。 
日本人はいいように利用され続けてきたのが「国民保導連盟事件」以後の60年です。 

歳月経ち、いまでは在日の三代目が社会人となっています。 
普通、三代経てば、だいたい郷に入って郷に従うようになる。 
けれど在日韓国人というのは、支那人と同じで、どこまでも郷に入って郷に従わない民族です。 

いろいろな問題はあろうかと思いますが、私は、少なくとも在日韓国人の通名だけは一切認めず、仮に帰化していたとしても、韓国系日本人、朝鮮系日本人と、ちゃんとわかるように区別ができるように、法制度を変えるべきだと思っています。 

そうでなければ、日本人の安全で安心な生活は担保できない。 
今日は、そのことを強く申上げたいと思います。
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