木原線といっても、もう知らない人が多いと思います
昨今は第三セクターの「いすみ鉄道」になっちゃってるんですが、、オイラが物心ついてから18歳までこの界隈に住んでた頃は、JRの木原線といって、キハ系の気動車がその地域の交通を担ってました、だからか、子供の頃の思い出の風景の中には、いつもあの非電化区間専用のディーゼル気動車「キハ」というヤツがいるのですわ~(ノ∀`)
ちなみに木原線は、沿線の人口減少、自動車の普及に伴い、利用者が年々減って大赤字垂れ流してて、それで1988年に第三セクター化して「いすみ鉄道」となりました
物心ついたときに走ってたのはキハ17、そののちはキハ35、36、、
はじめは国鉄カラーの肌色と朱色のツートンだったんだけど、いつしか車体全体が首都圏カラーの朱色一色になり、オイラが大多喜を後にする寸前には前面に補強板が着いたのも走ってました
余談ですが、この「真っ赤」になった木原線を初めて見たとき、オイラは「あぁ、、大赤字だから分かりやすく全面真っ赤に塗られたんだな~」とマジに思ってましたし、友達にそういうデマを散々言いふらしてた記憶があります、・・・まぁ子供でしたしね、、
当時、オイラからウソ聞かされた皆さん、どうか許してください(´;ω;`)

木原線は、キハ17の前にもキハ07、キハ04、そしてレールバスのキハ01、、
だからかあの何の変哲もない四角いだけの地味なローカル気動車に、いまだに心惹かれるんだろうなぁ~、
キハはオイラの中の、田舎での思い出の、ひとつのシンボルなのかもな~、
そういうの、ホント歳喰うごとに強くなるわ~(´д`)
(余談:木原線開通の一番最初は蒸気機関車のC12が走ってたです)

写真はウィキペディアから借りてきたキハ35の写真と、今とっても欲しいTOMIXのキハ01のNゲージです(w

写真参考:国鉄木原線と小湊鉄道 1960(昭和35年)