あー、毎年1月1日元日は、ウチは南房総(南総・外房)の母の家(実家)に、
年始の挨拶に行くのが行事化して久しいですが、今年ももちろん行ってきました
しかしまず最初は、自分の自宅近所の氏神様である八幡神社にお詣りをします、
毎日お世話になっているこの町の神様に、まず第一に新年のご挨拶をするのは
神国日本の民として
至極当然のことなのです!( ー`дー´)キリッ
・・で、地元の神様へのお詣りを無事済ませた後に、高速道路で一気に房総半島を南下してきました

そして南房総の実家に行く前に、自分が幼少の頃から高校生の頃までを過ごした「大多喜町」の、
その戦(いくさ)の神様、弓矢の神様でもある「大多喜八幡神社」にも家族揃って初詣です
この神社は、江戸時代からの所謂「近世 大多喜城」の大手門のところに移設された神社でして、
当時は下の写真の右手奥の栗山(地名)にあったようです
その栗山には、ウチの先祖の一族も家臣団だった「中世 大多喜城(小田喜城)」がありました
その中世 小田喜城の城主である里見家、正木家は勿論、
その前の城主である真理谷武田氏にも手厚く祀られてきたということです


まーこんな話を思い出すと、結局のところウチは「一族」という単位で見た場合、
この大多喜町にも随分と古くからの縁があるんでしょうね
近代、昭和の時代になって、祖父がこの町に仕事でやってきた、ある意味「戻ってきた」のもご縁、
そしてこうやっていまだに私がちょこちょこ大多喜を訪れるのも、これも間違いなくこの町とのご縁で、
現在も大多喜町の著名な方々とも身近にお付き合いをいただけているのも、
これまたご縁以外の何物でもありませんわ
そしてこうして家族で縁深い大多喜八幡神社(栗山 中世大多喜城址)に来てるんですからね、、

まー何はともあれアレだ!
中世の豪族「房総 眞田(佐奈田)」、その通算ウン十代目の末裔(の一人)の我が子よ!宜しく頼む!

どーでもいいけど、この先ウチは家系的には何回目かの女当主になりそうです
まー昨今、ヤケに猛々しい縁者が多かったし、ここらでひと休みって感じでいいのかもな
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【関連日記】
大多喜城の護り神「大多喜八幡神社」にお詣りに行ってきました【弓矢の神 戦の神】
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大多喜八幡神社
千葉県夷隅郡大多喜町大多喜380-1