眞田真田佐奈田、、サナダという地名と名字由来について、、
まぁシルバーウィークで時間あるので、少々知ってることを整理して書き足しときます(w


(写真は神奈川県 平塚市 真田)


●サナダという地名とはそもそも何ぞや?

この地名の呼称の由来については諸説色々ありますが、、
【1】奉納用の田んぼのある地域
ようは神さんにお供えすることを前提で一般には手をつけない、もしくは神さんにお供えすることができるぐらい一級品的な米を採った地域(田んぼ?)のことを昔からそう呼んでいたらしいです、
古くは日本書紀にも「狭名田(さなだ)」と出てきますし、かの天照大御神が始められたといわれる五穀の田畑も「天狭田(アマノサナダ)」と呼ばれているそうです
多少、話は脱線しますが、日本書紀といえば、猿田彦命(さるたひこ)も一連のサナダに関わっているとも言われます

猿田彦命は「鉄技術」に関する神さんでもありまして、古代の相模国には、高麗など大陸から製鉄技術を持ち込んだ移民が多かったとも聞いてますし、何か関連があるのかもしれません

【2】良い米が採れる地域
苗代田」(サナダ)という書き方も、その昔の文献にあったようです、
そもそも「苗代」(なわしろ、なえしろ)とは、種籾(イネの種子、籾殻つきの米粒)を密に播いて発芽させ、田植えができる大きさまで育てるのに用いる狭い田のことでもあります
つまり大元の田んぼ、重要度の高い田んぼということでしょうかね
また、「サナ」は「サネ(種)」を指しますし、大元の「サナダ」の読みはこの苗代田から来たのかもしれないですね、いずれにせよ、良い実がなる(?)田んぼ、というプラスイメージでしょうか、ウチの相模&房総の眞田の古い表記にある「実田」という文字も、ほぼこれに近い意味合いぽいですねぇ~、素直になるほど!と思わせるものがあります(w

【3】狭い田んぼがある地域
もうひとつのパターンは、「狭ノ田」を指し、山合いの田んぼのような狭隘(狭い)田んぼを指してるというのもあります、これに非常に近い表記で「狭長田」というモノもあります

【4】(特殊例)サナダという人々が住みついた地域
余所の地域からそれなりの武装性、集団性など様々な優位性を持って住み着いた人々がいて、その人達の一族の総称が「サナダ」だった場合、そこはサナダが住み着いた村、サナダに乗っ取られた(?)村=サナダ村となります、このパターンは、「サナダ」に限らず、時代が新しくなる程多くなるようです

ただし、その住み着いた場所に元々村としてのアイデンティティーが既にしっかりと存在している場合、幾ら有力な一族が住み着いたとしても一般的にこのようなことにはならないようですね、考えるに、人もまばらな荒れ地(新開地)のようなところに新たに住み着いた場合に限られるのかもしれません

まぁ上記【4】はひとまず置いといて、、
サナダ」という地名の呼称の由来に関して簡単にまとめると、ようは山間のような隠れた狭いところで大切に作られてた、おいしいお米がとれる地域、付近一帯のお米の大元の苗を育成する地域というところでしょうか?

稲作文化を前提に考えた場合、その名称に他との比較、特殊性が見えるので、やはり稲刈りの後などに一番に神社仏閣に奉納するお米を作ってた田んぼなどじゃなかったのかなぁ~などと考えられます、何にせよ、おいしいお米は食べてて幸せになれますよね(´∀`)

・・・で、名字について
これも色々な発生起源が言われるのですが、今回は豪族や武家など、その土地の領主をメインに話を進めます

ウチの系統の話でいうと、、そもそも大元に三浦氏族という大豪族がおり、そのエリアの中で様々な呼称の地名があり、三浦さんから分家して領地を配分された地名をその領主(子供や縁戚)が語ったということです、ウチの名字の場合に当てはめていうと、三浦氏族の領地内である相模の眞田(平塚市真田)地域の小領主をやってた一派ということで、以降、ウチの派は三浦氏族の別領地内に移動しましたが、引き続き眞田という名称で別地域を長い間治めてめております

何にしてもまずは先に地名を認知・呼称する住民がおり、そこに大元の領主から分家して入ってきた子供や縁戚の小領主が誕生してこの地域の新しい代表となり、領主自体の名称になってるというとこでしょうかね~
もしくは、元々からその地域の領主であって、それが後に近隣の大きな豪族に呑みこまれたという事例もあるかと思います
その上でも、その地域の当主(代表)という呼称の仕方は変わらなかったのかな?とか
ぶっちゃけウチの場合は、どうもこっちのようですw

まぁいずれにせよ田舎でも「屋号」というのがありますが、アレと似たようなニュアンスですね~
いかんせん元々豪族(レトロモノノフ系)なので、近代の洗練されたブシ発祥などと違い、ウチは泥臭いです

以下参考に、、歴史の中の各「眞田村」、
上から古い順、付加情報も一応上げときます
その地に発生したといわれる各サナダ氏の流れを表記分類してみました
※相模眞田が詳しいですが、それはウチの先祖だし、それなりに情報を多く知ってるんでカンニンしてください(w

 

ちなみにウチの場合、実は三浦党から分岐したのではなく、
 元々その地にいた土豪が三浦党に取り込まれたんじゃないかと予感はしてまして、、

 つまり元々相模の国の佐奈田郷の領主で、
 後に三浦党(三浦氏族)と婚姻関係などで深い関係を持ったんじゃないかな、と・・・
 この地には「平塚市真田北金目遺跡」や「塚越古墳」という弥生時代からの遺跡がありまして、

 かねてからこれらの遺跡とウチが何か関連がありそうで・・・ (;´∀`)



●歴史に見る全国のサナダ村
(以下、発生が古いと思われる順)

1.相模國大住郡眞田村(岡崎郷佐奈田村)
【現在の地名】:
 神奈川県平塚市真田
【史実を元にした地名発生時期】:
 古代 奈良時代から平安時代前期
【地名表記】:
 佐奈田佐那田狭名田佐名田実田眞田真田など
【この地で発生した氏族の氏流】:
 桓武平氏
【発生氏族のその後】:
平安時代の豪族である三浦氏族の一派、三浦氏族の勢力地内である相模の大住郡佐奈田(真田)を発祥とし、後に浦賀水道を挟んだ房総半島の朝夷郡(安房郡)三原郷に土着
三浦氏族揃って源頼朝公側につき、鎌倉幕府の立上げに貢献、その渦中、眞田佐奈田)義忠は、石橋山の戦いにて討ち死に
大住郡の眞田一派(相模 眞田)はこの後、2~3世代後に家名変更(岡崎、水原、杉原、土屋、陶山など)のため「眞田」という呼称では歴史から消滅(伊豆から駿河に移った流れもあるというが足跡不明)

また、同じく相模の大住郡から房総(安房)に移り土着した眞田一派(房総 眞田)は、平安時代後期以降、三原川流域を拠点に豪族として300年以上に渡り地域の領主をしている、近世・戦国時代も土着武士として、主に里見氏・正木氏・千葉氏などの家臣団に、多数が参加していることが郷土史などからも確認されており、800年以上の長い歴史の中で、全国に広がったと言われている
※ウチの、一族全体を俯瞰した話はこちら↓
中世から近世、小豪族のウチ「房総 佐奈田/眞田」先祖達の生き残りの歴史
http://sanadado.blog.so-net.ne.jp/2012-07-19
[中世の豪族 房総 眞田氏(佐奈田)]カテゴリ一覧
http://sanadado.blog.so-net.ne.jp/archive/c2300213675-1

2.越後國西蒲原郡眞田
【現在の地名】:
 新潟県新潟市西蒲区真田
【史実を元にした地名発生時期】:
 古代、奈良時代から平安時代中期
【地名表記】:
 眞田真田など
【この地で発生した氏族の氏流】:
 不明
【発生氏族のその後】:
西蒲原郡より出羽國に中世に移転、出羽の羽黒山にて土着

3.信濃國安雲郡眞田
【現在の地名】:
 長野県長野市を含む主に長野県北西部界隈(場所特定出来ず)
【史実を元にした地名発生時期】:
 中世、鎌倉時代から南北朝時代
【地名表記】:
 佐那田佐名田眞田真田など
【この地で発生した氏族の氏流】:
 清和源氏
【発生氏族のその後】:
不明 同じ信濃の小県郡に流れた可能性あり

4.信濃國小県郡眞田
【現在の地名】:
 長野県上田市真田
【史実を元にした地名発生時期】:
 南北朝時代から戦国時代
【地名表記】:
 佐奈田眞田真田など
【この地で発生した氏族の氏流】:
 滋野氏(?)
【発生氏族のその後】:
その発生には不明な点が多いが、戦国時代末期の親子三代の武功が有名
また、その武功をベースに作られた江戸時代の物語「真田三代」、大正時代に入ってから作られた物語「真田十勇士」などで、一躍全国的に有名になる
本家は江戸時代に松代藩10万石の大名、明治以降から昭和中期までは華族となる
その他、分家の真田信繁(幸村)氏の子孫として仙台藩に仕えた片倉真田氏がいる、元々彼らは片倉氏(伊達家家臣団)であったが、当時信繁氏の娘を妻に貰ったことから、数世代後に真田に家名を変更したと言われている、または信繁氏の二男を片倉家が匿い、後にそれに基づき真田姓に改名したという話もある、いずれにせよ非常に歴史的なロマンを感じさせる一派である
その他、真田信繁(幸村)氏は歴史上の人物としても人気が高く、そのせいか現在も真田信繁氏の子孫だと語る人物は意外に多い

5.石見國鹿足郡眞田
【現在の地名】:
 島根県鹿足郡六日市町真田
【史実を元にした地名発生時期】:
 近世、安土桃山時代から江戸時代(?)
【地名表記】:
 眞田真田
【この地で発生した氏族の氏流】:
 不明
【発生氏族のその後】:
近世、安土桃山時代から江戸時代にかけ、備後(現在の広島県の東半分)に移り、小早川氏に仕えた者がいる
その他、岩國藩(山口県大島郡、玖珂郡南部)にもこの系族が見られる



※その他
6.伊勢國多気郡狭長田
更に古い地名として、古事記に出てた狭長田さなだorさながた)という地域があります
時代的には飛鳥時代から奈良時代にかけて発生したようで、
こちらは現在の地名では三重県多気郡になります


【関連日記】
三浦党 房総眞田氏、郷土史などに出てくる先人達の名
https://sanadado.blog.ss-blog.jp/2014-09-30
中世から近世、小豪族のウチ「房総 佐奈田/眞田」先祖達の生き残りの歴史
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三原眞田 / 三浦眞田の故郷 安房の三原郷
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眞田、真田、佐奈田、、サナダという地名と名字の由来
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【雑談所】やる夫が真田家に生まれたようです 雑談所その10 【2ちゃんねる より抜粋】
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[中世の豪族 房総 眞田氏(佐奈田)]カテゴリ一覧
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