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三浦党 房総眞田氏、郷土史などに出てくる先人達の名 [中世の豪族 房総 眞田氏(佐奈田)]

あー、自分の先祖達である「三浦党 房総眞田」、もしくは「三原眞田」と呼ばれる一族、
その中でも郷土史などに出てくる名を書き出しておきます
文中には「佐奈田・眞田・真田」とありますが、これらは各引用元の書籍が編纂された時代により、その表記がまちまちなだけで、全て同じ一族を指します
自分が書き足したコメントに関しては、基本的に自分の名字表記と同じ「眞田」としております
青字は抜粋文

【 眞田源吾
(佐奈田源吾とも) 

安元・治承(1175~1180)以前から三浦半島より渡って土着した真田氏の頭領
禅宗の寺(現在は日蓮宗に改宗)・正文寺には、由縁のある摩崖五輪塔が四基(南房総市指定文化財)あり、
真田氏の供養塔と伝えられている

・・と、和田町史をはじめ、様々なところに記述されています
相模国大住郡岡崎郷の佐奈田村から、安房国朝夷郡の三原郷に開拓領主として土着した、房総眞田(房総佐奈田)の元祖と言われています

【関連日記】
中世豪族 眞田氏のやぐら・磨崖{まがい}五輪塔 南房総市指定史跡
http://sanadado.blog.so-net.ne.jp/2013-04-20-1
中世豪族 眞田氏の三原城 そして神田山の三原城山城
http://sanadado.blog.so-net.ne.jp/2013-01-01
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【 眞田刑部左衛門尉 】

館山市九重地区の郷土史によると、
応永30年(1423年
安東又三郎の旧領安東郷内朴谷村が真田刑部左衛門尉に押領される。
鎌倉公方足利持氏、安房国守護上杉定頼に対し、同地を鎌倉極楽寺へ渡すよう命じる。
・・と、あります
要は近隣の郷に、武力による侵略・鎮圧を行ったということ(;´∀`)
【関連日記】
眞田刑部左衛門尉 室町時代のご先祖の足跡
http://sanadado.blog.so-net.ne.jp/2012-11-14


【 眞田兵部少輔 】

「三浦系図」によると、三浦時高が、眞田兵部少輔(ひょうぶのしょう)の嫡子として、三原眞田当主になっております、つまり養子、婿養子でしょうかね


【 眞田明高 】

「上杉系図」によりますと、三浦高救(たかひら)が、眞田明高の嫡子として、やはり三原眞田の一党の養子となっております


【 眞田隼人佑 】
現在の和田町小川の「とうしろ台」辺りに拠った境井氏が里見に反旗をひるがえした時には、真田氏は里見の将正木時綱に味方をして、ともに戦ったものと思われます。
その時、真田氏の氏神諏訪神社にも累が及んで荒廃したものでしょうか、永禄年間(1558~70)に修築が行われています。 
やがて境井氏を減ぼした正木氏は、正木郷、三原郷、長狭郡を領有しますと、領域内の豪族や有力国人地侍層で正木譜代の直属家臣団を形づくっていきましたが、その一員として、三原の在地領主 真田隼人佑の名があります。
あるいは大永、享禄のころの真田氏の当主であったかも知れません。 
正木氏はその後、大多喜、勝浦を前進基地として、東上総に進出しますが、三原の豪族の真田氏は房州出所の直属家臣団の一員として特に重用され、真田隼人佑をはじめ一族の主だった者たちは、大多喜や勝浦へと移って行きました。
もちろん、分家、庶家の中には、そのまま三原にとどまって家系を保った者もあったはずです。
そして、天正18年(1590)正木氏の上総撤退時には、再び古里の三原に帰った真田一族があったと思われます。 
・・と書かれています
 「千葉県史料 諸家文書 162号」「和田町史」「戸田七郎氏著『南総正木太平記』 」などに記載
この一連の事件(?)は、大永・享禄の頃、つまり(大永)1521年から1527年までの期間、及び(享禄)1528年から1531年までの期間におこりました
この時代、主に里見氏の軍代であった正木氏の重鎮として、三原郷を出て、大多喜(小田喜/小田木)や、勝浦に向かったのが、平安時代から続く、房総眞田の本家・本家筋、三原眞田とも言われる一族です


【 宇田眞田 】
蓮重寺  住職 影山強俊
1、所在  宇田78
2、称号  真田山 蓮重寺
3、所属  日蓮宗 明覚寺末
4、本尊  日蓮像御題目掛軸
5、創建  元和7(1621)年辛酉5月
6、由緒  当寺は房州里見の家臣真田三河守、諡号日成法入道、子息蓮心菩提のため、慶長12(1607)年丁未6月15日発願、元和7年一宇を創建し、真田山蓮重寺と号し今日に至る。尚宇田真田家は三河守の末窩で宇田地頭でした。当家に蓮重寺に関する重要古文書類が多数保存されています。「千倉町史」
宇田眞田は、南房総市千倉の宇田に土着した一族です
その始まりは、戦国時代中期から後期の頃、三原眞田から某家に婿養子として出た人物が、地元の言い方で「とても勢いがよい」方だったようで、そのため後に家名を「眞田」に変えたと言い伝えられています
宇田眞田は、主に里見氏の家臣団に着いていた一族で、豊臣秀吉との伝承もある家系です
宇田眞田一族には、上記の眞田三河守以外にも、真田尾張守真田信濃真田権之助らが、里見氏の重鎮、及び、軍の筆頭として名が残っており、宇田眞田の一党だと思われます
(真田尾張守さんは、宇田眞田ではなく、三原眞田かもしれないです)


【 安房里見氏の家臣の中の、房総眞田 】
忠義時代の家臣中、重要な人物だけを、
慶長10(1605)年の「里見家領国房州村高割附帳」中で見ると次の通りになります
この後、里見氏は改易処分を受けるので、下記は、館山藩の里見氏最後の家臣団なのかもしれません
正木大膳・8,000石、正木源七郎・3,351石、薦野甚五郎・2,524石、正木環斉・1,000石、板倉大炊助・967石余、堀江能登守・1,352石、正木美濃守・1,400石余、正木久太郎・2,269石余、正木弥九郎・914石余、正木金太郎・1,519石余、山本清七郎・1,351石余、長谷川隼人・1,010石、大島不染斉・703石余、岡本兵部少輔・294石余、印藤采女・306石、角田丹右衛門・250石、里見揚安斉・300石、正木淡路守・700石、堀江四郎左衛門・200石、宅間監物・350石、本間宮内・350石、安西市正・300石、黒川権右衛門・300石、横小路將監・200石、板倉洗斉・200石、山本権之助・200石、正木孫作・200石、正木佐一右衛門・250石、本田藤左衛門・300石、関甚平・190石、安西彦右衛門・200石、安西七郎次・200石、武田太郎二郎・150石、黒川彦四郎・150石、正木蔵人・200石、眞田瀬兵衛・200石、三浦半左衛門・150石、 眞田信濃・100石、正木兵庫・100石、安西久助・100石、金井筑後・100石、御子神大藏・300石、和田甚九郎・250石、岩原主計・200石、宇都彦四郎・350石、眞田三九郎・200石、安藤松斉・50石、森伯耆守・50石、塚原五郎左衛門・100俵、眞田三河・50石、秋山惣右衛門・50石、吉田半十郎・50石、竜崎兵庫・50石、眞田庄三郎・50石、朝夷南源助・50石、吉田新四郎・50石、石井大和・50石、吉田与市・50石、栗原半兵衛・50石、木曽庄九郎・70石、堀内庄左衛門・50石、石井縫之助・50石、佐野才三郎・50石、川名彦右衛門・50石、円蔵院・50石、真野寺・50石、小松寺・12石、円明院・10石、真言宗徳蔵院・2石


【 眞田木左衛門 】
戦国時代が終わり、江戸時代に入って、三原眞田の本家及び本家筋の主だった家は、戦国時代の末に移転した先から故郷の三原郷に戻り、その殆どが江戸時代に入り帰農し明治時代を迎えました
その中でも三原眞田の本家の一派として「木左衛門(もくざえもん/きざえもん)」の名が、現在まで屋号で継承されています
おそらくは、武家としては最後の房総眞田の頭領の一人だった先人の名なのではないかと思われます
その他、三原眞田の本家として「新田(しんでん/眞田の訓読み)」「松葉(しょうよう/家紋が六文銭)」という屋号が残っており、それぞれの家にも、様々な言い伝えがあります

そんなウチの、一族全体を俯瞰した話はこちら
( ゚д゚ )つ 中世から近世、小豪族のウチ「房総 佐奈田/眞田」先祖達の生き残りの歴史
https://sanadado.blog.ss-blog.jp/2012-07-19

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三浦党 房総眞田氏、郷土史などに出てくる先人達の名
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三原眞田 / 三浦眞田の故郷 安房の三原郷
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中世豪族 眞田氏のやぐら・磨崖{まがい}五輪塔 南房総市指定史跡
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三原郷の鎮守の社 諏訪神社
https://sanadado.blog.ss-blog.jp/2021-09-06
眞田、真田、佐奈田、、サナダという地名と名字の由来
https://sanadado.blog.ss-blog.jp/2009-09-20-1
佐奈田与一(眞田与一)の子孫について
https://sanadado.blog.ss-blog.jp/2011-07-13
房総の眞田一族にも六文銭を家紋に使う家系があります
https://sanadado.blog.ss-blog.jp/2011-07-13-1
【雑談所】やる夫が真田家に生まれたようです 雑談所その10 【2ちゃんねる より抜粋】
https://sanadado.blog.ss-blog.jp/2015-01-14-1

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