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三原郷、三浦氏族眞田 雑文 [中世の豪族 房総 眞田氏(佐奈田)]

正直、もうあまりこのカテゴリーで書くことがない(w
・・・あとは書くとしたら、結城合戦のときの眞田さんぐらいかなぁ~
永享12年(A.D.1440)の結城合戦には、何人かの三浦氏族の眞田さんが幕府軍に参加してて、結果的に幕府軍の勝利に貢献したということです
まぁ個人的には、勝っても負けてもデッカい戦争というヤツは、いずれにせよイヤですわ~、、そんなんで勝ったことを自慢に考えられるほど能天気でもないしな~、、
大人数でのキッタハッタ、ようは大虐殺ですよ!、フツーに考えてお互いいいことなんてありゃしない、勿論サムライという仕事柄、そして、そうせねばならない時代背景があったというのは分かりますし、致し方のないことだと理解できるにしても、、殺された当人たちはもちろん、残された家族などの想いとは?ってついつい考えちゃいますね
何より人の恨み辛みというヤツは、時を越えてどうしても残っていくんですよ(´;ω;`)
特に殺害されたほう、負けたほうの無念の気持ちとは、本人達が気づこうが気づくまいが、長く相手の家を苦しめるものです、、
・・・ドロドロしたヤツは別にいいや、、ひとまず置いておこう。。

・・・あとは、、身近なとこでは、そうそう、、
オイラの好きな房総の城下町、大多喜町も、三原郷の眞田氏との関連があるですわ~
永禄の頃(A.D.1558~1570)の、三原郷の在地領主の眞田隼人佑が、正木時茂の子、信茂の命を受けて、三原郷から転出、小田喜根古屋城の在城衆に組み入れられています(千葉県史料・諸家文書162号)
ここでいう小田喜とは、この時代の大多喜町の名称で、その根古屋城跡は、大多喜町の泉水地区の高台にあり、今は住宅地になっております

また、その他のネタとして、三浦時高の弟、高信が、眞田兵部少輔の猶子(三浦系図)となってたり、三浦高救も、眞田明高の子(上杉系図)となってたりしてます
猶子や養子など、、昔の家系とは、今でいう会社組織みたいなもの、実際の血も重要ですが、今よりはるかに「共同体&思想の存続」が重んじられていたのでしょうかね。。

ちなみに断片的にせよ、何で自分の先祖に関することを、寄りにも寄ってインターネットにチマチマUPすることにしたのか?
このカテゴリー[房総 眞田氏(佐奈田)]の最初の頃に書いたように、死んだ父への想いというのが一番大きいのは間違いないけど、何せ非常に私的な内容、それだけならば、わざわざインターネットなんぞに上げたり集約したりする必要はないです、
しいて言うなら「この情報を不特定多数で共有することができるから」、だからインターネットにUPした、というところでしょうかね~、調べてみるにつれ、このまま自分達だけの知識にしておくのが、何となくもったいなかったという感じなんですわ~
三浦、相模の地に名を挙げ、のちに南房総の土着の豪族として、今日まで830年に及ぶ「三浦氏族 眞田」、そんなに古いのに、明治までこの地域界隈からウチや親戚自体が大きく動いていなかったことが幸いして、まぁ調べたら面白いぐらいにたくさんの先祖達の名前や生き様が見えてくる見えてくる(w
そういえば、、この先祖を調べる過程で、従来まで「信州の眞田氏の先祖では?」と言われていた人物達数名が、実は私達、三浦氏族の眞田の者だった、というものもありました、その戦国時代の信州眞田家の先祖についても、兼ねてより色々言われてますが、実際は私達、三浦氏族の眞田からの枝分かれなのかもしれないですね~
前にも書きましたが、信州眞田氏の十八番、六文銭の家紋の眞田さんも、この「眞田の巣」である三原郷にはいます
所詮歴史なんて、いつの時代も勝者に都合のいいようにしか書かれない
そんな中、郷土史に埋もれた史実や、家に代々伝わる伝承や書籍(巻物とか~)、建築物の由来などをほじくり返してみてみると、案外一般で言われている歴史とは違うものなんだなぁ~ということが、この一連の探究で垣間見えました、中々楽しかったです(w
・・・で、ここまでのウチの氏族の歴史に対する個人的な見解はというと、、
なんだかんだ言っても
豪族って言ったって、時代が経つごとに小豪族化(まさに土豪!)
・・・それにこの荒くれ具合、、
ゴーゾクというより、や
~っぱサンゾクですなぁ~こりゃ(w
まぁいいや、山賊ばんざーーい!
(ワケわからん)

そんなこんなで、この[房総 眞田氏(佐奈田)]カテゴリーも一段落っ!
なんかまたネタあったらUPしますわ~

あ、そうだ、次回から曾爺さんや曾ばあさん、爺さんばあさん、父親のことでも、このカテゴリーに書こうかな?(w
話聞いたとこではそれぞれの時代、懸命に生きた姿があって、その武勇伝などが中々面白かったのです(w

sanada-uc0079.jpg
[我がゴッドマザーいわく(イカレポンチ)なマイポートレート]

三原郷

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takaki-i

亡くなった肉親への思いは年齢とかかわりがありますよね。
亡くなった肉親の事は一寸重くなりますのでブログには書くまいと思っていたので今まで書きませんでしたが、さなゆきさんの記事を読んで行動には一定の意味があるのだな~と思いいれてみました。
さなゆきさんのお父さんは何時なくなられたのでしょう?
私の息子は24歳の若さでした。身体は頑健でしたが病には勝てませんでした。来年は13回忌です。当初は息子と思い出の場所を通るたびに辛くなりました。父は息子から1ヵ月後に80歳で大往生しました。で、まあそんなもんか特別な感情はわきませんでした。
by takaki-i (2008-09-20 15:51) 

さなゆき

>takaki-iさん

ウチの父親は、肝硬変をやったことなどもあり、血管が弱くなったことから、最終的に脳内出血で2年ほど寝たきりになり、、そろそろ3回忌になります
振り返ると決して親孝行な子供とは思えず、、色々、モロモロと、、今でも後悔ばかりが残ります
また、ウチの弟も20年前から大きな病気にかかっており、ここ数年メチャクチャ悪化して、冷静に考えると、そんなに長く生きられるはずもなく、、
そして、その弟も、人の心が徐々になくなってきており、ある意味「あっち側」に行ってしまっております
父のことや弟のこともあり、私がしっかりしなくては、と、、結果的に「房総参り」が多くなっております
亡くなったお子様は、私よりちょっと若いぐらいの方だったようですね、まさに弟と同じぐらいのようです

お子様は他にもいらっしゃるのですよね、
takaki-iさんや、残された人々が、亡くなったお子様のことを大切に思い、
その分、takaki-iさんのお父さんのように、天寿を全うできたら、それが一番のご供養になるのかと思われます

若輩者が偉そうに言うご無礼、、申し訳ありません。。
by さなゆき (2008-09-22 12:42) 

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