眞田氏の多分800年ぐらい昔の墓( ´_ゝ`;) [中世の豪族 房総 眞田氏(佐奈田)]
それは何度か過去に日記で書いた、南房総市の正文寺の
裏山の壁面に掘られた横穴にあります
今までは文化財&史跡(四基の磨崖の五輪塔)ということなので、眺めるだけにしており、
お線香などはその置き場所もないこともあり一切やってこなかったのですが…、
この前、出先の虎ノ門の琴平タワー下でタバコ吸ってる最中、ふと思いたって
南房総市の正文寺さんに電話で事情を簡単に説明し、
お線香などをあげても良いというお話をいただき(携帯電話ってしみじみ便利)、、
そして本日早速、今までのような「史跡見学」ではなく、
ウチら房総の眞田の始祖ともいえる人達に、あらためてお墓参りです(w
で、始祖さん達(?)には、まことに恩着せがましいんですが、ここまで命を繋げてきてくれた感謝と、
ちゃっかり子孫反映、商売繁盛など(笑)をしっかりお祈りしてきました(w
彼ら五輪塔(供養塔)に弔われている先人達は、
ウチらが三原郷から広がってきた事実がある以上、その後、例えどんな分岐をしてきたとしても、
自分を含め、房総に端をなす眞田氏全体にとっての「(少なくとも)偉大なお爺さん、お婆さん達」であると、
自分は考えています
・・・それに、なんだか今まで二度ほど行ったんだけど、
いつもあんましお参りされてなさそうでとっても淋しそうで、、
まぁ市指定文化財になっちゃってるし、お寺の奥の奥にあるので、
逆にお参りしにくいというのもあるでしょうし、、
それに、広がっていった由来を同じくする様々な眞田さん達も、
みんな当然それぞれのお墓を持っているでしょうしね、、
古過ぎるお墓というものは、元来ある時期を越えたら無縁さんとなって、
供養されて土に埋葬されていくものなのでしょうが、
このお墓(供養塔)は、その文化財的価値からも、ず~~っと残されてきたんでしょうね、、
確かにオイラみたいな詳しくない人間でも、
磨崖(崖を削って作られた)の仏さんはよく見るのですが、五輪塔は珍しいし、
ここに、かなり古い時代の権力者が確かにいた証拠でもあるし。。
また、表面の文字が一部削り落とされていているなど、
正文寺さん自身の、数百年前の日蓮宗への改宗の歴史も垣間見ることができるです
それでもここに当時のまま置いてくれて、また手入れをしていただけているなんて、
子孫のハシクレからすれば嬉しい限りです、またこっそり行きます!
しかし、さすがに800年ぐらい経ってるらしく、また砂岩でできたものなので、補強もあまり効かないらしく…
残念なことですが、風化が目立ちますね、、
そんな状況も踏まえて、気付いた&知ってしまったヤツ(自分)が、
まず行かなくてどうするのか!?(´ノω;`)って感じです
…去年辺りから急に三原郷が気になりだしたのも、
ひょっとしたらあの五輪塔に引っ張られてたのかもしれません、
…オカルトじみてるけど、そういうのってホントあるんですよ(゚∀゚;)
ネット上に、正文寺さんの、この四基の磨崖の五輪塔の画像がまったく見当たらないので、
自分がここでUPします、学術的なご参考にでもしていただけると嬉しいです!
ただし真夏のサナカということもあり、辺りは草ぼうぼう、、
写真撮ったあと、草を一部どかして、持っていった小さい線香立てを置き、お線香焚いてきました
こちらは、昭和56年10月29日に南房総市(当時、和田町)の指定文化財になってます
A.D.1100年代以降の領主、眞田氏のものとされる四基の磨崖の五輪塔 全景
向かって一番左の五輪塔
一番奥の五輪塔、後の正文寺の改宗の折に文字部分が削られたということらしいです
向かって右奥の五輪塔
向かって右、表側の五輪塔、劣化のせいか半壊しているので分かりにくいですが、、
よく見ると土台などが見てとれます
きっとご先祖様もお喜びの事でしょう
うちの家系は直参旗本で、私には江戸時代までしか遡れません(^-^)
by 駅員3 (2009-07-26 08:44)
>駅員3さん
田舎の山間から明治まであまり動かなかったこともあり、郷土史などに案外先祖達の足跡が残ってます
ウチには特に遺産とかはないですが、これら書見などに記された記録が、私達のすばらしい遺産かと、、(w
by さなゆき (2009-07-26 16:18)