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いすみ市の万木城:戦国時代末、正木氏&里見氏に徹底的に抵抗した土岐氏の城址 [中世の豪族 房総 眞田氏(佐奈田)]

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千葉県いすみ市、
写真正面の山の頂きには、その昔、万木城という城がありました
戦国時代末、正木氏&里見氏に徹底的に抵抗した土岐氏の城址で、現在は城を模した展望台があります
戦国時代になり、安房から東上総に進出した正木氏の重臣として多数が重用され、
共に大多喜や勝浦に来ていたウチの先祖衆「房総眞田一族」にとっても、手強い敵だったんだと思います

ちなみに大多喜町の雷台(いかずちだい)、そして大多喜街道が走る船子古戦場(船子原古戦場)一帯は、
そんな彼ら、万木城の土岐一族と、当時の大多喜城主だった正木氏の軍勢との戦の跡です
ここで手傷を負ったり、命を落としたウチの祖先もいたかもしれません
また、親しかった同胞の死に、心の底から悲しんだかもしれません

しかしそんな手強かった土岐一族も、戦国末期に本多忠勝さんらがやって来て滅ぼされました

あぁ無上・・・(´Д`)

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雷台(いかずちだい)

 県道465号線を通って旧夷隅町から森宮の坂を上り大多喜市街に入ります。
左手の坂には旧大多喜女子高等学校があります。
この高台は「雷台」と呼ばれ、こんな話が伝えられています。

 天正十八年(一五九〇年)の正月であった。
根古屋城主(ねこやじょうしゅ)正木大膳時堯(まさきだいぜんときたか)は、
「いざ、ゆくぞ、時堯のために死ぬる覚悟の者のみ、あとにつづけ」とさけぶと、
百騎の兵を引きいて万木城(まんぎじょう)に向かった。

 ちょうど、夷隅(いすみ)の苅谷(かりや)にさしかかったときだ。
「正木(まさき)勢を一人残らず討(う)ちとれ」
冬枯れした茅の間から万木城の土岐(とき)勢七十騎が攻めてきた。
不意の襲撃(しゅうげき)に正木勢はあわてた。
土岐勢は苅谷原(かりやばら)を縦横(じゅうおう)にかけめぐり、
大将の正木大膳時堯(まさきだいぜんときたか)を追いつめた。
「逃げるな、ふみとどまれ。御大将をお守りするのだ」
正木勢は必死に抵抗したが、不意の襲撃(しゅうげき)に、みなあわてるばかりだ。
「退け、退け」時堯はさけんだ。

 土岐勢は「大将の首をとった者は、ほうびがもらえるぞ」さけびながら必死に追った。
正木軍は逃げに逃げた。しかし、とうとう時堯は土岐勢に取り囲まれてしまった。
時堯は自慢の薙刀(なぎなた)をぶるんぶるんふりまわし、敵兵をなぎたおした。
しかし、次から次へと敵兵が襲ってくる。房総の勇者といわれた時堯も死を覚悟した、その時だ。
暗雲の空から不意に雨が降り出し、稲妻がはしった。
あたり一面銀色に光ったかと思うとゴロゴロドカーン、すさまじい音がした。
「退け退け」今度は万木勢が退却しはじめ、時堯は九死に一生を得た。両軍は引き分けた。
この場所が雷台である。

 このあたり「船子原古戦場」ともよばれ、昔このあたりが戦場であったことを今に伝えている。

房総レジェンド 戦の話
「雷台(いかづちだい)」 大多喜町の昔ばなしより転載

http://www.boso-legend.com/story/0034/
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余談ですが、大多喜町に住んでいた頃、
こういう話を知る遥か昔の子供の時分から、
この万木城跡には何故か不思議と足が向かず、
以来一度もまともに行った記憶がありませんでした
この日も、城跡の入り口まで行って引き返してきましたw

自分だけでしょうが、なんか登りたくないんですよね
先祖の因縁なのかな(´・ω・`)


万木城跡公園

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船子原古戦場跡

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【雑談所】やる夫が真田家に生まれたようです 雑談所その10 【2ちゃんねる より抜粋】
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[中世の豪族 房総 眞田氏(佐奈田)]カテゴリ一覧
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