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房総にいずれ来るかもしれない元禄型地震、その過去の被害を記した文献コピペ(;´∀`) [地震 雷 火事 親父(大山嵐/大風/おおやじ)]

昨日のNHKメガクェークでも、次に起きる関東の大地震は元禄地震型だろうということ
まー外房にそのうちまた高い津波が来るんかなー(´・ω・`)

天災は避けられないけど、個々気構えをすることで、被害を最小限に抑えることはできます
折しも本日は「防災の日」
愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶといいます
そんなことからも過去の文献から、房総を襲った地震や津波の被害をコピペしときます
まぁここには書いていないけど、元禄型だと、
津波の被害は御宿で8m、勝浦灯台の辺りで最大30mぐらいだったようでして(ひらめヶ丘の話)、、
内房より外房南東側、遠浅の九十九里町や一宮町、
そして岩場が多くなるいすみ市、御宿町、勝浦市、
更に鴨川や和田浦、千倉や白浜辺りの沿岸付近までは気構えてたほうが宜しいかと(;´∀`)

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元禄地震(一七〇三年)と勝浦 
 元禄十六年十一月二十二日の夜、九つ子の時(午前0時頃)、前代未聞の大地震、大地おびただしく破れ、倒壊した家屋数知れず、同八つ半刻(午前三時頃)に津波、出水、明神先一丁死人又は肴を拾ふ、内宿サッダ坂下迄家を流す、安房・上総の内に死人都で一万余、諸国の死人数知れず (略) 
* 津波は今の出水明神様の先まで達し、死者が出た。また、内宿サッダ(川津トンネル付近)まで津波がおし寄せ、家が流された。 
『高照寺の過去帳』より 


元禄津波と御宿町 
 御宿町の網代湾は、西方から来襲したとみられる元禄津波を遮るべき岬もなく、また海に沿った砂丘も低く広いので、その被害はかなり大きかったものと推測される。御宿の浜では溺死・漂着した人々を袴山(せんげん山)に合葬し、後に石塔を建てて「千人塚」とよばれた。 
 妙音寺過去帳には「津波が夜明けまでに三度来襲し、地縁の人十五名以上が溺死した」とある。 
 また、『上総国誌稿』によると「御宿西明寺、元禄中、海嘯のため諸堂大破す」とある。御宿町での津波の規模は、波高八メートルと推定され、陸上への遡上高は千葉県で最高であったといわれている。
『房総沖巨大地震~元禄地震と大津波~』伊藤一男著 


元禄津波と岬町和泉地区 
元禄十六年(一七〇三)の大津波で大被害を受け、大挙して今の夷隅町荻原の里に移住したと伝えられている。 
『夷隅風土記』森輝著 昭和五十二年


(オマケ)関東大震災(一九二三年)と勝浦 
 あまりの激しさに我を忘れ思わず我が家の柱にかじりついた。それはとっさの間であった。間もなく子供をつれて自宅東側の空き地へ避難したが相次ぐ余震に近隣の自己所有の空き地へ移動し、その夜はこの空き地で仮睡した。翌日も余震やまず、ことに海嘯(かいしよう)来襲の噂もあったので西沢倉の高地に移動し、さらに沢倉五〇五番の高地、自己所有の畑に避難した。 
 当時この地ではこの大地震は伊豆大島の三原山の大噴火によるであろうと推測されていたが九月二日午後、勝浦海岸へ行ってみると折から天は晴れたが勝浦の西海岸砂子の浦のはるか後方、遠い中空に黒煙がたなびき折からの北風にこの黒煙は北から南へと流れつつあった。 
 このおびただしい黒煙は東京全市の火災による黒煙であろうと判断されたが、この頃になるとしばしば燃えた紙片が灰となって勝浦へも降下してきたので東京の大火災はもはや疑うべくもなかった。・・・勝浦では東京方面との関連が深いのでたいていの家では東京市内の親戚の安否を気づかい毎度食糧を携えて上京するもの引きもきらず、私の乗った列車など超満員の上、人々の携帯する食糧の重みで列車がこわれるのではないかと気づかわれたほどであった。東京の焼け野原の状態は思いのほか悲惨を極めていたので、これでは再び復興はできないのではないかとさえ感じた。これは私として詐らざる感想である。 
 ところが驚くべし、たとえバラック建てにせよ、たちまちにして復興したが、これは日本国民の雑草の如きたくましさを示すものと後に知った次第である。なお正史によればこの時の東京市民の死者九万、行方不明三万という。 
(略)この地震の時、私の叔母松井とよは伊豆国伊東町久須美(伊東市)に居住していたが、海嘯(かいしゆう)襲来の噂で高地にある著名の寺院仏現寺へ難をのがれたが間髪を入れず大海嘯で家財家屋共すべて流失、大きな損害をうけた。 
 勝浦方面では幸いに海嘯の襲来がなかった。災害は忘れた頃にくるという。沿岸の地勝浦市民の心すべきことであろう。 

・海嘯(かいしょう)・・・満潮が河川をる際に、前面が垂直の壁となって、激しく波立ちながら進行する現象。 
『続私説勝浦史近代編』引田作蔵著 昭和四十七年 


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