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大多喜町史に書かれた先祖達「小田喜衆」の苦悩、そして帰農という選択をした [中世の豪族 房総 眞田氏(佐奈田)]

あー、「大多喜町史」という大多喜町の郷土史の分厚い本がウチにあるのですが、

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この272ページに、落胆したウチのご先祖らの事が書いてありました(;´∀`)

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里見義康の上総没収、これに伴う、大多喜城や勝浦城などからの撤退、本多忠勝氏への明け渡しについて
当事大多喜城(小田喜城 / 小田木城)にいた正木側の家臣団、
特に「小田喜衆」と呼ばれる房州出の家臣団達は、かなり落胆したようで、、
まー今でいえばリストラですからね・・
現代のように雇用保険なんてない時代です

戦国時代、この大多喜城や勝浦城には、ウチの先祖の一族、
歴史書や郷土史などで「房総 眞田」「三原 眞田」「三浦 眞田」と呼ばれる一族の本家や本家筋が、
重鎮、家臣団として何人も仕えておりました
安房国の三原郷から出て、新天地の東上総にて、里見氏・正木氏に仕えていた訳なのですな
でもまぁーこのページに書かれているように、
豊臣秀吉さんの指令のもと、徳川軍の本多忠勝氏らに城を明け渡したわけでして、
結果、働き口がなくなっちゃったんですな
一応、その後の安房国「館山藩」には戻ってはきたものの、色々と大変だったようです

まぁその辺りはあまり詳しくは書きませんが、、一族という大きなくくりで話しますと、
里見義康の上総没収に伴う上総徹底で、安房に帰った「房総 眞田」の本家・本家筋の先祖達は、
故郷の三原郷の山間深く、真浦から分村した「布野」という地に居を構え、帰農しました
帰農、つまり武士をやめたということです
この時点で、平安時代末期の、安元・治承以前から続いてきた「土豪・武士」としての「房総 眞田」は、
一族として、ひとつの大きな節目を迎えたのです


【関連日記】
三浦党 房総眞田氏、郷土史などに出てくる先人達の名
http://sanadado.blog.so-net.ne.jp/2014-09-30
中世から近世、小豪族のウチ「房総 佐奈田/眞田」先祖達の生き残りの歴史
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三原眞田 / 三浦眞田の故郷 安房の三原郷
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佐奈田与一(眞田与一)の子孫について
http://sanadado.blog.so-net.ne.jp/2011-07-13
房総の眞田一族にも六文銭を家紋に使う家系があります
http://sanadado.blog.so-net.ne.jp/2011-07-13-1
【雑談所】やる夫が真田家に生まれたようです 雑談所その10 【2ちゃんねる より抜粋】
http://sanadado.blog.so-net.ne.jp/2015-01-14-1

[中世の豪族 房総 眞田氏(佐奈田)]カテゴリ一覧
http://sanadado.blog.so-net.ne.jp/archive/c2300213675-1


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文中に出てくる三原郷と呼ばれる地域は、以下のMAPでピンクに塗ったエリアになります
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