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年末のご挨拶で親戚巡り【三原郷】南房総市和田町の山奥へ( ´ー`) [中世の豪族 房総 眞田氏(佐奈田)]

あー、一つ前の日記でも書きましたように、そば処 南総庵でお蕎麦を食べた後は、いよいよこの日の目的
南房総市和田町の親戚のお宅巡り!
我がゴッドマザー(バァーチャン)直令でもあり、槍が降ろうが北のミサイルが飛んでこようが、使命として行かねばなりません!
目的地は「和田町」の山の中、南総庵がある「千倉町」と同じ南房総市内ではありますが「南総庵」からは車で15分ほど移動したところ、その昔「三原郷/御原郷」と呼ばれた郷(さと)の、その最北部一帯に向かいました
この界隈は、まー見渡す限り山しかありませんが、、今でも親戚の家が何軒かありますし、昭和の頃まではウチの実家もココにあったこともあり、自分にとっては思い入れの深い地域です
この日は、そんな(江戸時代の初めに帰農してから昭和の頃まで)ウチの家があった場所の脇道に車を停め、そこからテクテクと数軒の親戚の家にお届け物をしに行きながら顔を出してきました
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昭和の頃までウチがあった場所は今は更地、現在この土地は親戚の一軒が所有していると思います
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その正面の山の麓には、当時ウチのお墓もありました
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上記の写真を拡大すると、今でも親戚たちの墓があるのがわかります
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元々ウチは三浦半島の大豪族「三浦党」に属するこの地域一帯の小豪族(土豪)の家系でしたが、江戸時代に入ってから本家や本家筋など主だった一族が、揃ってこの辺りに帰農し引っ込んだこともあり、、
それが原因なのか和田町の地元の古い方々、特に海の方の人達からは「(この一帯は)平家の落人村」だと今でも言われているようですw、まーつまりこの界隈に住んでる(住んでた)我々も皆もれなく「平家の落人」認定ってことらしいですな、そういや自分も過去に二度ほど(オチウドと)言われたことがありますわww
しかし「平家の落人」ねぇ、、残念ながら似ているようでチョイと違うんだなーコレが(;´∀`)
いまだにその誤解は完全には解けていないようです、意外と根深い '`,、('∀`;) '`,、

そんなこんな、親戚の家々に伺った後は中三原の正文寺にも寄ってきました
ここにはウチの一族に縁があると云われる史跡があり、せっかく近くに来たんで久しぶりにお線香でもと・・
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このお寺は平安時代や鎌倉時代の頃に創建されたお寺でして、古くは禅宗(確か曹洞宗)、戦国時代の中期からは日蓮宗に改宗され、今に至ります
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山の斜面に横穴を掘った「祠」には歴史的にも中々貴重といわれる「摩崖の五輪塔」が四つあります
これらは平安時代末期から鎌倉時代辺りの頃の、私ら一族の遠い先祖が建立したものと伝えられております
※この摩崖の五輪塔は南房総市指定文化財に認定されています
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ウチのチビ姫が何気に五輪塔に手をあわせていますが、、
コイツはこの五輪塔を建てた悠久の昔の先人達、860年ほど前のこの地の当主から順に数えると、この手の話のお決まりフレーズ「〇〇代目」という数(『 13代目 』石川五ェ門みたいなヤツ)が、世間で有名な様々な戦国武将達の子孫の皆さん方より軽ーく3倍ほどの「代」になり、遥かに途方もないものに・・
我がことながら無駄にスゲェーw、しかしここまで果てしない話になると自分でも今いちピンとこないし、我ながら何だか嘘くせぇーw
しかしまー知れる範囲での始まりは平安時代で、さらに一族の全盛期は『元寇殲滅ヒャッハー!鬼畜ザ・鎌倉武士』の頃なので、結果的にもこうなるんですな(;´∀`)
こんなことが分かるのも、日本人は古くから「情報を残す」ことが大好きな民族だったからでしょうね

横穴の摩崖五輪塔の上に広がる一面の竹やぶには、その遥か遠い昔には館城があったようで、ここを中心にして、この辺り一帯が「三原城」と呼ばれていたそうですKIMG1320s.jpg

正文寺の駐車場から南側、写真中央の小山(神田山)は、実は城山「三原城山城」の址です
戦のときや籠城のときなどに使ったのでしょうね
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しかしまーこの辺りの空はホント綺麗だよなー
三原郷のゆっくりと変わっていく夕焼けに、しばし見とれてました( ´ー`)フゥー...
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この辺りは空だけじゃなく空気感が何より格別!来るたびにいつも思います
「三原郷」には悠久の時の流れは勿論、やさしい郷の人々の想いが満ちているようですな
南房総市( ´∀`)bグッ!

【関連日記】

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http://sanadado.blog.so-net.ne.jp/archive/c2300213675-1


安房国 朝夷郡 三原郷 (現:南房総市和田町と鴨川市江見 周辺)
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三浦党 房総眞田の一派に伝わる六文銭の家紋の謎? [中世の豪族 房総 眞田氏(佐奈田)]

中世の相模国の大豪族「三浦」党の一派、桓武平氏の小豪族「房総 眞田/佐奈田」は、
西暦1175年より以前に、相模国大住郡岡崎郷 佐奈田村から三浦半島経由で浦賀水道を船で渡り、
安房国 朝夷郡の三原郷に土着して、既に850年以上の月日が経っています
そして史実的には現在まで、おおよそ大きく3つ~4つの流れに分けることができるのですが・・、
そのうちの1つの流れの一族の家紋が、面白いことに「六文銭」なのは前々から知っておりましたが、
そうなると名字も家紋も、有名な戦国末期の信州の武将の真田氏と全く同じなんですねぇ・・
こういう郷土史にも書かれている話が一般的に広がると、
実際のところ色々と悩む歴史家さん達が増えるのかもしれないなー

一応その流れについては、自分はとある遠縁の古老(既に鬼籍に入られました)から、
事実か否かはさておき10年ほど前に不意にお話いただいたことがあるのですが、、
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まー黙ってることにします( ー`дー´)キリッ
だって世の真田幸隆、真田昌幸、真田幸村(信繁)ファンのレキジョさん達ってやたら多いみたいだし、
マジに刺されたくないもん ァ '`,、'`,、('∀`;) '`,、'`,、


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【房総日帰り出張その1】南房総市役所で郷土史を購入した( ゚Д゚)! [中世の豪族 房総 眞田氏(佐奈田)]

あー、昨日は日帰り出張で、南房総市に出かけてきました

そのついでに、南房総市役所 丸山分庁舎に立ち寄り、教育委員会生涯学習課窓口で、
前々から欲しかった「和田町史」の別冊などと、丸山町史を購入してきました
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実はわたしは、
郷土史読むの大
好きなんです(´∀`*)ポッ
その時代ごとの生々しい生きざまが見えてきて、ヘタな小説よりムッチャ面白い!
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そうそう、市の職員の方にオマケでいただいた南房総市の広報誌「広報みなみぼうそう」に、
ウチらの遠いご先祖様のものと言い伝えられているお墓が出てました ァ '`,、'`,、('∀`) '`,、'`,、
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南房総市役所 丸山分庁舎

南房総市岩糸2489番地


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新しい「家紋」だよなコレ 900年の時を越え黄紫紅(きむらご)の旗を掲げてみたぞい(´・ω・`) [中世の豪族 房総 眞田氏(佐奈田)]

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自分達の遠い祖先は、相模国と安房国で勢力を誇ってた桓武平氏の大豪族「三浦党」の一派だったようでして、当時その陣地には、黄色、紫、紅(きむらご)の三色の色に染められた旗印が掲げられていたそうです
時代的には平安時代後期、21世紀の現在から遡ると凡そ900年程も昔の話です
そして我が家にもこの旗印を元にした「三つ引き両」という家紋が「裏紋」として伝わっているということもありまして、、

miurahatakimuragou.jpgmitubikiryou-kimurago.jpg marunisanryou.jpg

自分自身が新たに興す組織のシンボルとして、この旗印(裏紋)をモチーフに上記の稲妻3本みたいなマークを作りました(2本だと世界史的に悪名高いナチスのSS師団になっちゃうので、そこも注意しました!)
まーそれ以外にも幾つかの個人的な想いももちろんこもっており、その集大成として最終的にこのマークになったんですけどね、現在流にはCIとかVIですが、昔の言い方ではまさに新たな家紋の誕生ですな'`,、('∀`) '`,、
何にせよ、当時の豪族や武家などの家紋の発生も、大体がそれぞれに思い入れのある事象がベースになり、こんな感じで生まれたもんですし、、
そういう意味では全く同様のプロセスにて生み出されたマークですなぁ・・
なんだか個人的には、妙に感慨深いものがあります

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当時の一族の当主 眞田隼人佑さんに正木信茂さんから送られた書状(古文書) [中世の豪族 房総 眞田氏(佐奈田)]

この古びた書状は、正木信茂さんという里見氏配下の有力な武将から、
当時の私達一族の代表者に送られた書状です
書状が書かれた時代は、正木信茂さんが家督を継いでから没するまでの期間だとすると、
永禄4年(1561年)頃から永禄7年(1564年)頃の3~4年の間じゃないでしょうかね
正木信茂さんは、第二次国府台合戦(市川市)の際に戦死、享年25歳でした
この書状は、一時、館山市立博物館でも展示されていました
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この時代の私達一族の代表者、つまり「当主」は、こちらの眞田隼人佑さんのようでして、、
彼は大永・享禄の頃、つまり分かりやすく西暦にすると1521年~1531年の頃に、当時の房総半島の有力な戦国武将「里見家」「正木家」の家臣団となりました
そしてこの房総眞田の本家・本家筋は、正木氏に同行する形で、平安時代末期から住み続けた安房国朝夷郡三原郷を後にして、その拠点を当時の大多喜町(小田喜)や勝浦市に移したのです
( まぁその後、また安房国の三原郷に戻ってきちゃうんですがね '`,、('∀`) '`,、 )

ちなみにこの「隼人佑」という名ですが、これは明らかに官位名でしょうね
官位からみると、正八位上となり、かなり下の位になります
しかし時代を遡ること室町時代、1423年(応永30年)の房総眞田家の当主として「刑部左衛門尉」を名乗る武将が郷土史に名を連ねてますし、その後に「兵部少輔」と名乗る人もいる
また、こちらの隼人佑さん以降、正木氏や里見氏の重鎮となった房総眞田の本家・本家筋の中には、遥かに格の高い従五位下の位「信濃守」や「尾張守」「三河守」を名乗る人物も出てきました
・・つまるところ、この隼人佑さんの時代、私達「房総眞田」は、一族揃ってかなり衰退していたんじゃないでしょうか
平安時代の末期から350年ほどの長い間、安房国朝夷郡の三原郷の開拓領主として地域に君臨してきましたが、戦国時代になると、かなり困窮していた様子が垣間見えるような気がしますわ
だから下克上の勢いにのった境井兄弟のような輩に、城のひとつを占拠されるような事件(とうしろ台を占拠された史実)があったわけですしね・・
でもまぁこの後、里見氏・正木氏と組むことで、彼らの家臣となり取り込まれることで一族は息を吹き返し、高い官位を名乗れるまでになったということでしょう
なんで官位を気にするかというと、戦国時代の官位とは、ある程度「金」や「家格」で手に入れるところがあったようで、もはや律令制が出来た頃の面影だけが残り、官位相当として家格を表す基準のようになっていたようです
(またこの時代には、勢いで勝手に官位を名乗る武将もいたらしいです(;´∀`)アチャー)

あー、話を戻しますと、つまり隼人佑さんがこの時代の房総眞田家の当主ということになると、、ようは一族にとってはかつての栄光どこぞ!?といったことであり、家格も落ち、お金も勢いもなく・・
しかし彼の後に続く主だった一族の武将の官位が極端に上がっていることから、隼人佑さんの代で一族の家格は一気にV字回復、つまり彼は起死回生を果たした英雄だと読み取れるんですよ

そして彼は、終生この「隼人佑」という官位を捨てなかったようですね
それは彼を雇用したことになる正木時綱(通綱)さんの時代から時綱さんの孫にあたる、冒頭の書状を送ってくれた正木信茂さんの時代まで、隼人佑さん自身も若武者の頃からそれこそ年寄りになるまで実に40年以上もの間、この官位で通しているんですしね
V字回復を果たした一族の当主ともなれば、それなりに家格も上がっただろうから、官位なんてどうにでもなるだろうになー
眞田隼人佑さんとは、実は質実剛健、そして質素を好む素朴で実直な方だったのかもしれない、、
なにより衰退していた頃の一族の、その辛かった時期を忘れない心の持ち主かもな、それとも只々子孫が栄えてくれればいいという父性に満ちた方だったのか、、
そしてこの官位に、ひとしおの思い入れがあったのもしれませんね・・

あ、そうそう、上記の「官位」に関する考察が間違ってたらすいません
色々モノの本などを読んで、このような理解に至った次第です
戦国時代に生き、一族をまさに復興させた眞田隼人佑さんは個人的にも興味深々、
そんな彼に対し、自分は一族のハシクレとして畏敬の念を持ち、上記のように理解しているという次第です
(^ω^)


【参考】

官位一覧
http://www.geocities.jp/somanoho/kani.htm
武家官位
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%AE%B6%E5%AE%98%E4%BD%8D
官位
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%98%E4%BD%8D


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