SSブログ
房総半島 外房 大多喜町 ブログトップ
前の5件 | 次の5件

いすみ鉄道 新型車輛キハ20 ここには僕らが忘れてしまった昭和があった(´ω`*) [房総半島 外房 大多喜町]

あー、このシルバーウィーク、まーつまりお彼岸は、なんだかんだで忙しく、
何度か外房/南総の隠居の家に往復していたんですが、
その用事と用事の隙間を縫って、子供の頃に住んでいた大多喜町に、
いすみ鉄道を眺めに行ってきました

そこで出会ったものは、
「キハ20」!
しかも
キハ20で新車、新型車??
な・・なん、だと・・!? (; ・`д・´)
DSC_0299.JPG
DSC_0304.JPG
DSC_0307.JPG
マジすげぇ・・(゚Д゚;)
正直なところ、いまだに詳しくはないんですが、、
どうやら、いすみ鉄道での新しい気動車導入に際し、
当時のキハのレギュレーションに沿って新たに製造された車輛のようです
で、形式もキハ20系列となっている、と・・
この思い入れというかマニアックさというかブレがないというか
いすみ鉄道マジでブっ飛んでるwwwwwwwwwwww

キハ20とは、そもそも国鉄時代の気動車、つまりディーゼル車輛で、
鉄道にそんなに詳しくない自分でも、キハと名乗る列車が遠い過去のものであり、
現在各地で細々と走っているものは、全てが全て、相当な年数を経たものだということぐらい知っています
ウィキペディアで確認したら、既に1965年に生産が中止されてるといういことで、、、
それがちょうど半世紀、50年の時を経て、21世紀仕様として現代に甦り、
この千葉県夷隅郡大多喜町に降臨したという次第
その昔、マニアックに真のマジンガーを、真のゲッターロボをと復活したアニメ
「真マジンガーZ」や「真ゲッターロボ」がありましたが、
このキハ20は、それらと同様に「真のキハ20」をと復活した列車!(だと勝手に思っている)
キハ20と呼ぶのが
相応しいのかもしれません
(なんのこっちゃい)

そしてこのエポックメイキングな「新車」キハ20(新型)を含めた、
現在の、いすみ鉄道の大多喜駅の風景とは、
自分らが子供の頃の、つまり今から40年ほど前の昭和中期の風景そのもの、
そのまんま
国鉄 木原線の大多喜駅でした
確か木原線は、当の昔に廃止になった筈じゃ・・
今は21世紀、平成27年の筈だが、これはいったい・・
オレは夢を見ているのか(アウアウ
DSC_0296.JPG
DSC_0297.JPG
・・なんというか、理屈じゃないんですよね、こういうのって、
思わずこの光景に、目がうるっときました( ;∀;)
同時に
あぁオレはこの町を出て、
いろんなものを忘れてきてたんだなぁ・・
・・と(ノД`)・゜・。
過ぎてきた日々が走馬灯のように脳内をグルグル、、軽く眩暈すら覚えました
そしてしみじみ気付いたことは、自分にとってのキハって存在は、
房総半島南部の大多喜町で過ごした遠い昔の、その子供の頃の数々の思い出を呼び起こさせてくれる、
非常にシンボライズされたアイコンであり、そしてトリガーだったんだなーと・・
つい数か月前に家族で乗ったときは、この国鉄色の車輛が1両もなかったんですが、
何より今回は、これだけキハが集結してたことが大きいですね、
これらが醸し出す昭和スメルの破壊力は、それはそれは凄まじいものがありました
お陰でちょっとおセンチになっちまったい(´∀`*)ポッ

「ここには、なにもない が、あります」は、いすみ鉄道のキャッチコピーですが、
いやいや、何をおっしゃるイ鉄さん (´ω`)b" チッチッ
こんな自分に言わせると、
いすみ鉄道、
ここには大人の僕らが忘れてしまった「あの頃」があります
・・だよな(*´ω`)

そういえば初めてこの日、いすみ鉄道の鳥塚社長に遭遇、お話しさせていただいたのですが、
あの子供のような好奇心旺盛な目を見て、なるほど!と思えました
彼だから出来たんですね、ここまでww

【追記】
上記写真を、昭和の写真ジェネレータ(仮) で、変換してみました
0206699a986ca8ef776e10297d739c570ed330ce.jpg
b0204c2db5e8f44c835eb5234c2ad05ae72074d8.jpg

(*´д`*)イヤァ-、この押し寄せる昭和スメル、半端ない・・


いすみ鉄道
http://www.isumirail.co.jp/

いすみ鉄道 大多喜駅
千葉県夷隅郡大多喜町大多喜264


nice!(3)  コメント(0) 
共通テーマ:旅行

デンシャー! いすみ鉄道を見にいった [房総半島 外房 大多喜町]

あー、このお盆は、何度か南房総の実家に通ってたんですが、
そのついでに、子供が好きな「デンシャー」いすみ鉄道も眺めに行ってきました
いすみ鉄道は、正確にはデンシャー(電車)ではなく、気動車なんですが、
子供の頭の中ではみんな同じデンシャーw

で、どれぐらい好きかというと
149_2170619017_198large.jpg
いすみ鉄道の車窓動画DVDを流すたび、食い入るように見入っています
ここまでチビっ子のハートを鷲掴みにする「いすみ鉄道」って・・(;´∀`)

そして、いすみ鉄道 大多喜駅へ・・
DSC_0171.JPG
この遠くからの写真を見ると、とっても21世紀とは思えないww
これは20世紀、昭和の風景です

子供大喜び
いすみ鉄道が見えた瞬間
( ゚ω゚ )おっ!
(^ω^ ≡ ^ω^)おっおっおっ!
デンシャッシャー!!ヽ(=´▽`=)ノ
↑ 2歳の子供が、ホントにこう言うんだよw

DSC_0172.JPG
DSC_0173.JPG

今回は時間がなくて眺めるだけだったけど、
今度また乗りに行こう(・´з`・)

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:地域

2週続けて大多喜町へ 大多喜町観光本陣 [房総半島 外房 大多喜町]

あー、先週に引き続き、昨日の日曜日も、南総・外房のご隠居の家へ
子供の2歳の誕生会を、ゴッドマザー交えて行うために、また家族揃って行ってきました

ご隠居の家(実家)の、今は誰も使わない車庫スペースは、
草木が入り口の辺りに生い茂り、自分の幅広の車が入れなかったんですが、
このたび、少し辺りを刈ったことで、なんとか駐車できるようになりました
お陰で路駐しないで済み、気が楽になりましたわ
149_2160894459_133large.jpg

・・とは言っても、鼻先が道に10cmほど出てるというww
まー、この車庫スペース自体、日本の普通車サイズを想定してたので、仕方ないですわな
でも今後、駐車スペースの奥にあるものを片付けたら、この車でも、もう少し奥に入れられます
149_2160894457_140large.jpg

この家の外観写真をここに晒すのは、流石に気が引けるので、これからも載せませんが、、
家の外観は築40年ほどに見えますが、しかしその実態は、ヨユーで100年超えの住宅でして、、
世間では「100年住める家」「住まい三代、100年のお付き合い」など、
耳当たりの良い売り文句で喧伝していたハウスメーカーがありましたけど、
大概の家はメンテナンスやリフォームを都度していけば、十分100年以上住めます
この家が好例
騙されちゃーいけませんw

ほんでまー、話は戻って誕生日会ですが、
みんなでゴッドマザー手作りの散らし寿司などを食べたあと、
子供は、生まれて初めてのケーキを食し、かなりご満悦だったようです

・・で、食事が終わった後、雨が止んだので、
幼少から、多感な時期まで過ごした、大多喜町の旧市街に出掛けてみました
駅前をふらつき、大多喜町観光本陣に入ってみると、不思議な存在感のある人形達がお出迎え(;・∀・)
149_2160895761_6large.jpg
149_2160895759_205large.jpg
149_2160895758_240large.jpg
149_2160895757_230large.jpg
「不思議」とは言いましたが、このセンスは好きですわ
実寸大の、昔の子供の人形ですね、
ある意味、生々しさがあり、生命感を感じ取れます(^ν^)

この大多喜駅前の観光本陣では、大多喜町の様々なお土産が売られています
あの津知家の十万石最中や、福田屋の十万石どら焼きも手に入ります

そんな中、今回、観光本陣で目を惹かれたのは、大多喜産イノシシ肉を使った「ウリ坊まん」200円
肉まんとして考えたら、小ぶりなのにちょっと高いな、とは思いますが、
豚肉とは違う、イノシシ肉の野性的な風味が味わえますわ
149_2160895162_18large.jpg
149_2160895163_80large.jpg
なによりこの外観がGood!っす(´∀`*)

その他、芋の「ずいぎ」も買ってきました
これは戦中派だった亡き父が、大好きだった一品です
実家の父の仏壇へのお土産ですな ε- (´ー`*)フッ
149_2160895338_105large.jpg
149_2160895339_89large.jpg


大多喜町観光本陣隣の大多喜ガスの建物には、天然ガスのガス燈がありました
これは案外洒落てますねー、
大多喜町は、千葉県の天然ガス発祥の地でもあり、
今でも旧市街の中心部では、天然ガスを生活インフラにしています
149_2160894886_77large.jpg
149_2160894877_207large.jpg


あー、そして、大多喜の旧市街を歩いてて「おや?」と思ったのは、、
塩田写真館(塩田カメラ)の建物が取り壊されると・・

149_2160895270_62large.jpg
新聞記者だった父が、取材で写した写真を、いつも塩田写真館で、急ぎで現像してもらってました
そのネガと取材原稿を、お駄賃もらって大多喜駅に届けに行くのが、自分の夏休みの楽しみのひとつでしたわ
なぜ大多喜駅に届けるのか?
FAXやインターネットのない時代、新聞の原稿は、鉄道やバスなどの、安全確かな公共機関で送るのが基本でした
父も、木原線+外房線、もしくは小湊バスなどで、原稿を千葉市にある千葉日報本社に送っていたのです
まー急ぎの場合は、父が車で一時間ほどかけて、千葉市の本社に直接持って上がったりしてましたけどね
しかしなー、昭和の子供の頃の思い出が、またひとつ消えていくのは寂しいわ(´Д⊂ヽ

でもほんと、俗にいうこの旧市街、大多喜町大多喜地区は、今は空き地だらけ・・
このエリアは、明治維新前までは「根古屋」と呼ばれていて、大多喜城の外郭内でもあり、
武家屋敷などがあった場所、
当時から、この町の中心地だったのになぁ( ´Д`)=3 フゥ
先祖代々の土地だからと、持ち主が手放さないままなんだろうけど、
このままじゃーあの辺りは廃れまくっちゃうよな、
特に、大多喜駅から小高病院方向に歩いて行くと、広範囲な空き地が目につきますわ
だったらオレに売ってくれないかな
思い出深いこの辺りに、ゴッドマザーの隠居の家(自分にとってはセカンドハウス?)として、
小さくていいんで新しい家を建てたいわ(´・ω・`)
その際は、大多喜町の名工、小高病院の隣「藤代工務店」に依頼、
そして植木は、権現通りの権現坂下、清瀧神社の隣「江沢植木店」にお願いし、隠居の家から全てを移植、と・・
そしたら子供らは、夏休みの間は、もれなく21世紀でも大自然いっぱいの大多喜&南房総三昧だ、
昭和の時代、幼い自分が毎日ワクワク過ごせた「ぼくのなつやすみ」リアル版な夏を、
その都会では味わえない、様々な貴重な経験を、もれなく追体験させてやれる
まー現在は、子供達の聖地、駄菓子屋の「バクダン屋」や「加賀屋」が揃って店じまいしちゃったんで、、
駄菓子や花火は、古戦場跡地のオリブまで行って買うことになるだろうけどね(;´∀`)

そういやバクダン屋、当時の子共達の間で歌い継がれたテーマ曲があったよなぁ・・
バクダン屋~♪ バクダン屋~♪
カッパば◯ぁ~にハゲ◯じぃ~♫
いーつもマンネリ同じ服~♪ ・・
 
(ヒデー歌だ)

・・あぁ、それにしても夢が広がるなー(´∀`*)


大多喜町 観光本陣
千葉県夷隅郡大多喜町大多喜270−1

nice!(3)  コメント(0) 
共通テーマ:旅行

いすみ鉄道と、いすみてつどう(木原線)もなか / いすみ鉄道 最中 [房総半島 外房 大多喜町]

あー、仕事に追われ、私事に追われ、
挙句、仕事なのか趣味なのか、いまだにその辺りの位置付けが、自分でやっときながら相変わらず不明な、
夷隅郡市の昔ばなしを編纂したWEBサイト「房総レジェンド」の挿絵作りなどに追われ・・(;´Д`)ハァハァ
このblogの更新を怠っておりますが、、何だかんだ、自分は元気ですw

そんな中、昨日6/7(日)に、いすみ鉄道に乗ってきました
2歳になる子供が、何故か電車が好きで、いつも「デンシャ、デンシャ、デンシャッシャー♪」と、
レゴでテキトーに積んだ電車モドキで電車遊びしてるし、
嫁さんは、前からあの黄色いムーミン列車が可愛い、乗りたいと言ってたんで、
ちょうどいいわな、と、大多喜町まで車で向かい、
みんなで大多喜駅から上総中野まで「いすみ鉄道」で往復してきた次第です

この第三セクターのローカル線「いすみ鉄道」が、まだ木原線と呼ばれてた頃まで、
自分は、この大多喜町に住んでいました
ですので、いすみ鉄道の、この黄色い気動車には乗った回数も殆どなく、特に思い入れはないのですが、
この「いすみ鉄道」の車窓に写る情景には、非常に懐かしいものを感じます
大多喜を出た30年前と、全くといっていいほど変わらぬ風景が、今もここにあるんですよね
変わったところといえば、・・精々、夷隅川にかかる鉄橋に、釣りをしている木彫りらしいムーミンがいるぐらいww

自分はその昔
こんな田舎イヤだー! ヽ(`Д´)ノウワァァァン!!
・・って感じで、高校卒業と同時に、この街を出て東京の学校に通いだし、
そのまま東京界隈に根を下ろしちゃったんですが、、
歳喰った今となっては、この大多喜町の風景とは、
先祖伝来の南房総市和田町(三原郷)、生まれ落ちた地の鴨川市と同様、
自分にとって、幼年期から多感な時期を過ごした、かけがえのない大切な故郷の風景の一つ、
その懐かしい風景を今でもリアルに回顧・堪能できるものの一つが、この「いすみ鉄道」の車窓って感じなんですなー
あらためてその事実に気付けたんで、そのうち、また乗りに行きたいな、と(ノ∀`)


で、写真は、大多喜駅ホームの様子、この黄色い列車(気動車)に乗りました
DSC_00091.JPG

いすみ鉄道の下りは、標高は高くはないけど谷が異様に深い、房総丘陵東部の山間をグングン抜けていきます
途中、キツネが多く出て、人を惑わしたという狐原(きつねっぱら)と呼ばれる西畑も通過し、終点の上総中野駅に・・
DSC_00171.JPG

隣のホームには、小湊鉄道のレトロな車輌が停車していました
小湊鉄道は、ここ、大多喜町の上総中野駅から、市原市五井までを繋げるローカル線です
DSC_00151.JPG


で、エラい久しぶりに、いすみ鉄道に乗った感想
こりゃーいいわ(^ω^)
なんというか、非常に観光鉄道っぽい雰囲気になっている
例えて言うなら「ディズニーランドのウエスタンリバー鉄道の蒸気機関車のよう」というのかな?
なんというか、今の時代からすると、ちょっと浮世離れしてて、
用事がなくとも、そもそも「いすみ鉄道」に乗ること自体を、体験として楽しめる鉄道になった感じがしました
自分は特に鉄道が好きというわけじゃないんですが、そんな人でも、この雰囲気は十分に楽しめると思います
ただまぁ惜しむらくはワンマン運転なんで、
運転士さんが切符の確認とか、車輌内のお客さんの相手をしなくちゃいけないことだな
運転士という仕事柄か、寡黙な感じの人で、ちょっとした質問とかも、し難い感じがしましたわ
観光鉄道だと、もっと愛想良くてもいいかもしれないが、、まー運転士さんも色々大変なんだろうな・・(;´∀`)

もちろん、お土産も忘れてません!
いすみてつどう(木原線)もなか!
求肥入り 3個入り540円
ぺろっと食べれちゃうサイズなんで、これが3つで500円越えとは、少々高い気もしますが、
お土産として考えたら、全く問題ない価格帯かと思いますitetsu-monaka1.jpg

味はイイッすねー、そして、美味しい上に楽しい(・´з`・)
この「いすみてつどうもなか(商品正式名はひらがな表記?)」は、
津知家の十万石最中、福田屋の十万石どら焼きと共に、
大多喜町の三大名菓と謳える程のクオリティー!
巧くすれば、このモナカをキッカケに、もっと「いすみ鉄道」の、
そして沿線地域のメジャー化が出来るかもしれない、そんな予感をさせる商品でした
(まー都電荒川線も、まさにこんなモナカ出してますが 汗 )itetsu-monaka4.jpg
itetsu-monaka5.jpg

パッケージも凝っており、幾つも種類があるようで、、
どうも木原線時代から、この沿線で走った、様々な列車達のパッケージのようでした
あれ?付属の解説書を見たら、木原線時代の、キハ01と03と36と、蒸気機関車のC12がない!?(; ・`д・´)
・・つつつまりコレは、第二弾も予定しているということですねそうですね??
いすみ鉄道、
やるなぁー・・(´゚ c_,゚`) ニヤリッ
itetsu-monaka2.jpg
itetsu-monaka3.jpg

いすみ鉄道
http://www.isumirail.co.jp/
大多喜三昧 3 「御菓子司 津知家」の十万石最中
http://sanadado.blog.so-net.ne.jp/2013-10-02-2
十万石 大多喜どら焼き 「御菓子司ふくだや(福田屋)」 大多喜町
http://sanadado.blog.so-net.ne.jp/2013-11-19
房総レジェンド
http://www.boso-legend.com/
房総レジェンドは、日本の房総半島の外房の町「大多喜町 御宿町 勝浦市 いすみ市」に伝わる、伝説や伝承、昔ばなしを、
次世代に語り継ぐWEBサイトです。

いすみ鉄道 大多喜駅
千葉県夷隅郡大多喜町大多喜264

nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:旅行

昭和で時が錆びついた「大多喜町」の、今は無き「西畑村」他、村々の境界 [房総半島 外房 大多喜町]

あー、自分は南房総の外房が出身、
代々先祖は南房総市和田町、生まれは鴨川市、育ちは大多喜町なんですが、、
この大多喜町は「昭和50年頃の、ちょっと懐かしい風景が残る田舎町」、
また東京に以外と近いこともあり、最近、よくメディアに出るようになりました
ほんと、週に一回は、何がしか耳にしますし、TVにも案外出ているようです(TVは見ないんでよく知らない)

そんな大多喜町を含む夷隅郡市(大多喜町、御宿町、勝浦市、いすみ市)の昔ばなしサイトを
実は趣味の一つとして、こっそり立ち上げてまして、
今度そこに「西畑村の歳時記」をUPしようとしております、、
まー、歳時記はともかく「西畑村」とはなんぞや?
「西畑村」、それは、昔、勝浦と大多喜の間にあった村の名で、現在では、大多喜町に吸収されています
この大多喜町は、1954年に、5つの町村が合併し、現在の形になりました
その合併前の「西畑村」他、「上瀑村」「総元村」「老川村」の村名も、現在はそれぞれ駅名ぐらいでしか残っておらず、、
今回、自身の趣味サイト「房総レジェンド」新コンテンツ追加のため、その理解を広げるためにも、
GoogleMAPをベースに、各文献から調べ、当時の村の範囲をMAPに落としこんでみました

1954年の合併前の大多喜町

old-ootaki-MAP.jpg

1954年以降、合併後の、現在の大多喜町
new-ootaki-MAP.jpg

で、肝心の「大多喜町 西畑歳時記」コンテンツですが、
いつUPするのか?
まー仕事のリソースの合間を見てポチポチやってるので、、そのうち、、
世間様が忘れた頃にUPかな ァ '`,、'`,、('∀`) '`,、'`,、

房総レジェンド
日本の房総半島の伝説・伝承・昔ばなしのWEBサイトです
http://www.boso-legend.com/

ちなみに大多喜町の場所は、下記MAP参照
この町は、房総丘陵の東に位置する、自然が豊か過ぎる町です
千葉県内ではもっとも大きな「町」ですが、その7割は山林です、
しかし、すぐ隣は、勝浦市や御宿町・いすみ市、そして安房郡の鴨川市ですので、
太平洋にもむちゃくちゃ近い外房のロケーションが楽しめる町です
tibaken-ootakimachi.jpg

東京からは、途中、高速を使って1時間半~2時間を見とけば余裕で行けます
第三セクターのディーゼル列車「いすみ鉄道」や、私鉄ローカル線の「小湊鉄道」も走ってますし、
案外、何もせず雰囲気で楽しめる町かと。。


nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:地域
前の5件 | 次の5件 房総半島 外房 大多喜町 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。